カミ様

1.

 地方の旧家である佐倉家には、庭の北東に蔵が三つ並んでいる。

 三つのうち、中央の蔵は、佐倉家を守る生き神、キタリド様の住まいである。

 しかし、今、蔵にキタリド様の姿はない。

 神様は外出中であった。


*****


「おお……あれが富士山。大きいな」


 前方に威風堂々と姿をさらしている霊山に、佐倉家の生き神、那智は感嘆した。

 黒くつややかな髪が、寒風になびく。暴れる髪を押えたのはキタリド様の世話係、家守と呼ばれる役を担う青年、巳影だ。


「今日は晴れているからいいな。冬で空気も澄んでいるし。よく見える」

「次回は――」


 次回は別の場所から、といいかけて、那智はやめた。次があるかどうかは不明だ。巳影は数日後には、那智の家守でなくなる。感動に輝いていた顔が、たちまち曇った。


「巳影。コガネはたまにはこっそり、外に連れていってくれるかな?」

「どうだろうな」


 二人が富士山の威容をながめていると、すぐ近くに白い外車が停車した。女性が降りてくる。女性にしては背が高い。ヒールを履けば巳影と視線が合うだろう。

 原色の赤いコートが目を引く。短い髪に大ぶりのイヤリングがよく映えた。都会的な雰囲気が漂っているが、右手薬指の指輪は古臭いデザインで、ちぐはぐだ。


「巳影さん、ですよね」


 確認が取れると、女性は巳影に自分の車のキーを渡した。


「慎重なんですね」

「佐倉家は警察のお偉いさんにも顔が利くので。念のため」


 代わりに、巳影の車のキーを受け取ると、女性は顔をほころばせた。


「やっぱり、似ていらっしゃいますね」

「あなたは、今の奥様?」

「内縁ですけど」


 女性はカードを渡した。店名と柏木百合(かしわぎゆり)という名が印刷されている。


「自宅は店のビルの二階です。何かあったら言って下さい。あの人から、手伝うように言われているので」


 ためつすがめつ、女性は巳影をながめる。那智はおもしろくなさそうにした。


「ごめんなさいね。違うのよ。私、子供がいないから。いたら、こんな年だったのかしらと思っただけなの」

「いないのか」

「欲しかったんだけど、恵まれなくて。――あなた一人だけよ。銀華さんが羨ましい」


 巳影は自分の荷物を、女性の車に積み替えた。


「乗り変えるのか?」

「色々乗れた方が楽しいだろ?」


 なにか釈然としないのだが、那智はさして悩むこともなく、車に乗った。巳影に従っていれば問題ない、と信頼しているからだ。愛用の枕を抱えて助手席に座る。あくびがでた。


「寝てろよ。昼寝の時間だろ」

「起きてる。車の中は、眠たいのに思うように眠れなくて、ストレスたまる」

「ちゃんとこれも持ってきたよ」


 イヤーマフとアイマスクが出てきた。長時間の移動の必須アイテムだ。睡眠薬の錠剤もある。那智はすべてを使い、思い切り後方へ倒した助手席に身を横たえた。


「おやすみ」


 毛布の上に、さらに巳影のコートをかけられると、暖かさに眠気を誘われて、那智はすぐに寝入った。

 目が覚めた時、あたりは薄暗かった。走っているのは町中で、あちこちにネオンが灯りはじめている。

 アイマスクを取った那智は、きょときょととあたりを見回した。趣味がエア旅行なだけあって、那智は地理に強い。さっきの地点から、コガネの家までなら、とっくについていなければ時間であることを知っていた。


「あれ? まだ着いてないのか?」

「いや、もう着くよ」


 車は大通りをはなれ、住宅街へ入った。マンションの駐車場に入る。


「コガネ、ここに住んでるのか。庭があるような話をしていたから、戸建てだと思ってた」

「那智、枕忘れるなよ」


 枕を抱えて、那智はものめずらしそうにマンションを見回した。巳影が番号を打ちこんで、オートロックを解錠するのを、ほうほうとながめる。エレベーターにやってくると、率先してボタンを押した。


「何階だ?」

「五階だよ」


 エレベーターを降りて、那智はまた首をひねった。廊下の窓からは、ビルやマンションが立ちならぶ、都心の景色が広がっている。コガネの住所ではありえないであろう景色だ。

 不審に思いながらも、那智はマンションの一室へ入った。ダークブラウンを基調にしたモダンな内装だ。男物の革靴が脱いである玄関を上がる。


「コガネー?」


 廊下の右手側に、洗面所やバスルーム、トイレがならんでいた。左手側には二部屋あるが、那智は突き当りを目指す。電気がついていたからだ。


「こがっ……」

「十八時、五分前。時間に正確でありがたいね」


 腕時計を確かめて、男がいう。那智は思わず半歩下がった。背中が巳影の体にぶつかる。


「おまえは……」

「また会ったね。名無しのお嬢さん」

「巳影パピー! なんでここにいるんだ!」


 那智が人差し指を突きつけると、庵治は髪をかきあげて笑った。Tシャツにジャケットとくだけた服装だが、隙のある雰囲気には色気があった。


「まさか君がミツクラ様だったとはね。この間はとんだ大失敗だ」

「巳影、大変だ。こいつを取っ捕まえないと」


 那智は巳影の服をひっぱった。ところが、何も反応がない。


「……巳影?」

「お望み通り、連れてきたぞ。このクズ。人をはめやがって」

「人を殴ったおまえが悪いんだろ。でも、ま、よかったろ。あんな写真と怪文書一つで、おまえはいとも簡単に信頼を失った。人の心なんて、真剣に相手にするだけアホらしい。俺に寝返った方が、人生、正解だよ」


 庵治は無遠慮に、那智との距離を詰めた。おびえた様子を楽しそうにする。


「あーあ。かわいそうに。信じてたのにな。巳影のこと、大好きなんだったっけ? 裏切られて、今、どんな気分? 俺、人を好きになる気持ちとか、信じる気持ちとか、本当に分かんないんだよね。教えてくれる?」


 那智は訳が分からなかった。巳影にしがみつく。


「巳影。なんでこんなやつと話なんかするんだ。早くやっつけないといけない。そうだろ!」

「まだ分からないのか? 那智。おまえは俺に騙されたんだよ。誘拐されたんだよ。俺は佐倉家を裏切って、父親と手を結んだんだ」


 突然の告白に、那智は天地がひっくり返ったような衝撃を受けた。


「あの家にいても、俺は未来がない。あの怪文書が出回った途端、俺は税理士の仕事を干された。頼りにしているといったその口で、遠回しに、おまえは信用できないから他に頼むといわれた時、自分がどこまでも余所者なんだって思い知らされた。

 他で新しい人生を作ろうって思うのは当然だろ?」


「だからって、庵治に寝返ることないじゃないか! 巳影はそんなことしなくったって、生きていけるだろ!」


 那智はぽかぽか叩いたが、与えられるダメージはわずかだった。肩に担がれ、別室に連行される。窓のない部屋だった。家具はベッドが一つあるだけで、殺風景だ。


「那智、服脱ぎな」


 ベッドに座らされた那智は、躊躇した。信じられないことを聞いたというように、瞠目する。巳影の手でワンピースのファスナーを下ろされると、後は自分で脱いだ。


「下も。全部だよ」


 那智はやっぱり我が耳を疑ったが、脱いだ。シルクのキャミソールもレースのショーツもガーターベルトとストッキングも外す。生まれたままの姿に、シーツがかぶせられた。


「逃走防止? さっそく容赦ねえな」

「これも用意してあるけど。念には念をってね」


 手かせ足かせも用意されていた。那智は嫌がったが、逃げられるはずもない。両手は後ろに回され拘束され、左足に枷がはめられ、ベッドのフレームに繋がれる。


「はい。一丁上がり。ホント、おまえは素直で助かるわ。俺がいうことなんでも信じるんだから。コガネさんの家に行くなんて嘘なのに。途中、俺が変なことしてても、ぽけっとしてるし。逆にこっちが心配になったよ」

「巳影! これ外せ!」

「やだよ。俺はもう、おまえの家守じゃないんだから。おまえのいうことなんて聞かない」

「おまえなんか巳影じゃない!」


 暴れる那智の足が、壁に当たった。返ってくる音は、なぜか鈍い。


「この部屋は防音室だよ。以前の住人がバイオリンの練習をする為に作った部屋だ。つまり、いくら助けを求めて泣こうが叫ぼうが暴れようが、ムダってわけ。わかった?」


 那智はぷっくりとした愛らしい下唇を噛んだ。怒りで頬は赤くなり、真っ黒な双眸がうるむ。今にも涙がこぼれ落ちそうだ。


「なんでそんな顔するんだよ。あんなに離れたくないっていってたのに。これからしばらく一緒に暮らせるっていうのに、なにが悲しいんだよ。なんで泣くの?」


 小さなあごを取って、巳影が残酷に問う。うしろで、庵治が愉しげに笑った。


「それで、巳影。身代金はいくらが妥当だ?」

「全財産」


 庵治は目を丸くした。


「全財産? おいおい。無茶いうな。欲張りすぎると、交渉自体が決裂する」

「いうだけいってみりゃいいだろ。こいつには、全財産と引き換えても渡すなって家訓があるくらいなんだから」


 庵治は渋い顔をした。


「それは現実的じゃない。もっと妥当な額にしろ。財産のすべてなんて持ちかけても、むこうもすぐには決断できない。話をまとめるのにも時間がかかりすぎる」

「すぐに金が要るのか?」

「少なくとも百万は。去年の土地売買の案件が失敗したせいで、自由に動かせる金がない」


 巳影は宙を見た。


「……方法がないわけじゃないけどな」

「じらすなよ」

「佐倉家の現当主、佐倉金吾は女性に弱い。泣いている女性にはとくに。困っているといわれたら、ぽんと数十万出すくらいに」

「なるほど。それなら、百合がうってつけだな。さっそく頼んでみるかな。それじゃ」


 庵治はさっさと身をひるがえした。


「巳影!」

「……ごめんな」


 扉が閉められると、蔵の中と同じように、部屋は無明の無音になった。

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