2.

 着付けが終わると、巳影たちは門まで紫たちを見送りに出た。


「そういえば、ヒイラギ様、大丈夫でした?

 去年、最後にお会いした時、那智がとても驚かせてしまっていましたよね?」

「全然。大丈夫よ。むしろあの後、調子がいいくらいだから」


 紫が気にしないでと手を振ると、翠が両手を握った。


「聞いてくださいよ、巳影さん。昨日、っていうか、今日かな。珍事があったんですよ。

 蒼おじさんが夜中に戸棚をひっくり返してて。びっくりしたうちのお父さんが、思わず、何してるの? 探し物? ケガしてない? って、うっかり質問攻めにしたんです」


「普通だと、それ、ヒイラギ様、びっくりしてパニックになるよね」

「ならなかったんです。お年玉の袋を探してるっていっただけ」


 翠は巾着から、ポチ袋を出した。


「そしてこれが、おじさんが私にくれたお年玉です。おじさんからお年玉もらったの、初めてで。正月早々、私もびっくり、お父さんもお母さんもびっくり」


「私もびっくりよ。この数十年、他人の未来をさまようばかりで、盆暮れ正月もない人だったのに。急にどうしたのかしら」


 紫は当惑しつつも、兄の社会人らしい振る舞いを、嬉しそうにした。


「一緒に暮らすご家族が増えて、意識が変わったんじゃないですか? いいことですね」

「独り言もちょっと減ったよね? 心が元気になってきてるんじゃない?」

「たまたま調子がいいだけよ。期待はダメ。本人にはストレスになるだけだから」


 長年一緒にいる紫は慎重だった。二人が帰っていった後、那智がぽつりという。


「ヒイラギは昭和の家電みたいだな」

「どこが」

「ショックを与えれば調子よくなる、みたいな」

「おまえでも試していい?」

「那智はセンサイな平成製だぞ!」


 二人がじゃれあっていると、銅音が通りかかった。翠の後姿を見て、不機嫌になる。


「さっきの子。みか君が着付けしたの?」


 銅音はリップで光る唇を、小さくとがらせた。


「私もやって欲しいな」

「振袖持ってきたの?」

「ないけど。ここにいっぱいあるでしょ? ねえ、ミツクラ様。さっきの子の帯、ミツクラ様のでしょ。私にも何か貸してよ」

「あれは貸したんじゃなくて、お下がりにした」


 銅音は眉をしかめた。目尻がつり上がる。


「なんで勝手にお下がりにするのよ。うちの親戚でもない子に。ミツクラ様の持ち物は、うちの親戚縁者がお供えしたものでしょ。お供えした仲間内で分けるものでしょ!?」


「銅音、基本的に、キタリド様の物は、キタリド様の物だよ。本人がそうしたいっていえば権利があるんだよ。先代のミツクラ様は、心神喪失で物欲も何もないお方だったから、自由に任されていただけで」


 怒る銅音を、巳影がたしなめる。

 那智は耳をふさいでいた。甲高い子供の声が苦手なのと同じで、女性の怒鳴り声も鼓膜に響いて苦手なのだ。

 だが、聞く耳もたないといわんばかりのその姿が、よけいに相手の怒りをあおる。


「ずるいじゃない! 何もしてないのに、全部ひとり占めなんて!」

「銅音」


 次にたしなめたのは、巳影ではなかった。松の柄の着物を上品に着こなした女性だった。

 佐倉家当主の姉、黄金(こがね)だ。お銚子の載ったお盆を手に、姪を叱責する。


「おやめなさい、みっともない。ずるいだの、独り占めだの。女子小学生なの?

 だいたいね、あなたがそんなこと言える立場? 自分で働いて得たお金で、キタリド様にお供えもしたことがないのに」


 まだ大学生の銅音は、押し黙った。アルバイトの経験くらいはあったが、稼ぎはすべて自分の服や化粧品に消えている。


「ちゃあんと知ってますからね。あなたが毎度毎度、ミツクラ様から借りた物をなんだかんだ理由をつけて返していないのは。

 去年、あなたが借りていったカシミアのストールだってそう。ちょっと汚れたのを理由に、キタリド様に失礼でお返しできないっていって、持って行ったでしょう。

 あれね、私がお供えした物なの。ミツクラ様のお気が済んだら、私にお下がりしていただく予定だったの。それを勝手に」


 伯母の冷めた視線を浴びて、銅音は赤くなった。


「……ご、ごめんなさい。知らなくて。返します」


「そういう話をしているんじゃないんです。はじめから人と分け合う気のないあなたの心構えを責めているんです。自分がもらうつもりだったから、親にもまわりにも、自分がもらっていいかの確認もしなかったんでしょう?

 まったくもう、宮子さんも。キタリド様にかかわる作法については、全部金吾任せなんだから。ちゃんと取り仕切ってもらわないと困るわ」


 立て板に水だ。銅音はひたすら黙っているしかない。


「出た。妖怪お小言ババア」


 那智の茶々に、くるりとコガネがふりむいた。


「――って、海斗(かいと)がいってたけど、コガネは、妖怪なのかババアなのかどっちなんだ?」

「どちらでもありません!」


 コガネは、自分が持っていたお盆を銅音に渡した。


「お座敷に運んでちょうだい」

「えっ……これから、みんなで初詣に」


 銅音に続いて、銅音と似たような年頃の男女が外に出てきていた。


 コガネはすっと目を細める。


「女性は台所に、男性は座敷にお戻りなさい。自分の持ち場を離れるには早すぎます」


 年長の男が、車のキーを片手にコガネに意見した。


「コガネさん、今時、古いっスよ。男は飲んで食って、女は台所なんて。おかしいっしょ」

「海斗。あなた、今年でいくつ?」

「二十一ですケド」

「来年から就職活動が始まるわね。なおさらお座敷にお戻りなさい。就職に関わるわ」


 このあたりを牛耳る佐倉家は、あちこちの会社だけでなく役所や病院といった公共機関にも顔が利く。座敷に集まっている大人たちは皆、立派な肩書を持っており、働き口のコネがある。親類と仲良くしておいて損はない、とコガネは暗に言っているのだ。


 だが、海斗は権威をふりかざすような物言いに反発した。


「あ、オレ、そういうのいいんで。オレ、上京するんで。むこうで仕事探すから、カンケーないんで。座敷でへらへら笑いながら、ぺこぺこして、思ってもないお世辞言いながら、お酌して、仕事もらうなんて。

 オレはちゃんと自分の実力で仕事見つけるんで。大人として、そんなカッコ悪いこと、したくないです」

「格好悪い。そう、あなた。今、お座敷にいらっしゃる自分のお父様のことをそう思っているのね」


 バツが悪そうにしたが、海斗は否定もしなかった。


「コネに頼らず、自分の力で仕事を見つける。立派よ。応援するわ。なら何も言いません。どうぞ遊びに行って」

「ですよネー。じゃ、遠慮なく」


 駐車場へ向かう海斗の背に、コガネは次なる小言の矢を射かける。


「ところで海斗。あなた、お酌の仕方は知っている? 上座下座の席順はきちんと把握している? 今日の新聞は読んでいる? お天気政治スポーツ、どの話題にも対応できる?」


 海斗は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「座敷にいる方たちの名前とご職業はいえる? 好きな物や嫌いな物、趣味を把握している? それを知るために、話すきっかけになるような話題はもっている?」

「な……なんすか。いきなり。知るわけないじゃないですか、普通。そんなこと」


 コガネは巳影に視線をやった。


「巳影。座敷の出入り口側、左から数えて六番目に座ってるのは?」


 巳影は、直す必要もないのだが、ネクタイの位置を調整した。髪も今一度、手櫛でなでつける。


「佐倉一天(さくらかずたか)さん。海斗さんのお父さんですよね。今年で還暦。ご職業は車の修理屋さん。お酒は苦手。甘いものがお好きで、一番好きなのは芋ようかんだったかな? そばアレルギーをお持ちなので、お食事に注意が必要。

 趣味は釣りとカーレース。カーレースは海外に見に行くほどで、毎回、気の合う大手車メーカーの役員さんと一緒に行くんだとか。

 おかげで俺は車を買ったとき、一天さんの紹介だからって、その役員さんがあれこれサービスしてくださって、納期も早くなりました」


 詰まりも淀みもしない巳影に、コガネはつまらなさそうにした。


「巳影、あなたの欠点は優秀すぎるところよね」

「逆ギレじゃないですか」


 取るに足りない反論は無視し、コガネはしたり顔を海斗に向けた。


「どう。海斗。あなたは、巳影の伯父の金吾について、これに匹敵することを言える?」

「や……その、本家の人だから。偉い人だから。話したこと、ないし」

「どこで働くにせよ、人付き合いの技術は必要よ。社会に出れば、上司や同僚、後輩、取引先、色んな人と付き合っていくことになるんだから。座敷で予行練習してきなさいな」


 海斗は黙って車のキーをポケットにしまった。初詣に行けると期待していた他の若い女の子二人は、落胆を見せた。


「もー。お給仕なんて。これだから帰省ってやだ」

「お父さんとかお兄ちゃんは、お座敷で自由にやってるのにさ」


 彼女たちのふくれっ面も、コガネは容赦なく小言でひっぱたく。


「いいのよ? あなたたちもお座敷で飲んで。銀子だってお座敷に出ているしね。

 でも、お座敷に出るということは、お酒の飲める年、もう立派な大人ということだから。あなたのお父様のように、好きでもないお酒も少しは付き合わなければいけないし、目上の言動に腹が立っても、隅でスマホゲームばっかりやってる息子の働き口をもらわないといけないから我慢して、振り上げた拳をそのまま下すしかない己の小市民さについて他の人と愚痴りつつ、情報交換をして、今後の仕事を得るための根回しをするのよ?

 他のおうちはどうか知らないけれど、少なくとも、佐倉家の正月の座敷は、社交の場なの。戦場なの。社会の縮図よ。参戦したければ、どうぞ?」

「……お台所、手伝ってきまーす」


 そそくさと、女子二人は台所の方へ消えていった。

 やれやれとコガネはため息をつく。説教タイムが終わると、少し表情をゆるめた。庭で縦横無尽に遊びまわる子供たちのことは寛容に見過ごし、銅音にも優しい目線をむける。


「銅音、そのワンピース、いいわね。似合っているわ」

「お正月用に、クリスマスに買ったの。人気の品だったから、在庫切れであきらめてたけど……運よく買えて」


 銅音は、ちらりと那智を横目にした。那智はとっくにコガネの説教など聞き飽きて、地面にだれかが書いた鉄道の路線図をながめていた。続きを書き加える。

 那智の趣味は、地図や路線図をながめてエア散歩をすることである。興味のあることに関しては、記憶力がいい。


「でも、着替えた方がいいわ。座敷のスケベ三人組にセクハラ働かれること間違いなしだから。あのヒヒジジイたち。毎年、毎年。招いてもないのにやってきて。こうなったら早いところ酔いつぶして動けなくしてやる」


 コガネは憤然と肩を怒らせ、台所に回れ右をした。が、すぐに正面を返す。


「いけない。本来の用事を忘れるところだったわ。――巳影、来なさい。話があるわ」


 巳影は逃げたそうにしたが、佐倉家の女帝に逆らえるはずもない。首根っこをつかまれているように、コガネの後をついていく。


「――あ、ねえ! キタリド様」


 一人蔵へ戻ろうとする那智に、銅音はワンピースを見せつけた。


「これ。なんで私が欲しがってるってわかったの?」

「なんのことだ?」

「いったじゃない。クリスマス・イブの時。みか君と外から帰ってきて。私の欲しがってるワンピース、実店舗にならある、明日行けば買えるって」


 銅音はくわしく説明するが、那智はますます不可解そうにした。


「そんなの知らない。那智はテレビ観るから。じゃあな」


 困惑している銅音を残して、那智はうきうきと蔵へ去っていった。

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