ミツクラ様

1.

 元日、地方の旧家である佐倉家には、大勢の親戚縁者が集まる。


 新年の挨拶のためだ。ふすまの外された広い座敷に、家ごとに固まって座り、順に前に進み出て、上座の当主に挨拶するのだ。


「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」


 十番目に前へ進み出てきた母子に、本家の当主、金吾は和やかな笑みを浮かべた。


「今年は、和葉(かずは)さんが挨拶に来てくださったんですね。ずいぶん久しぶりだ」

「久々に帰省したものですから、たまには一家を代表して、私が本家にご挨拶にお伺いするようにと父にいわれまして。ご無沙汰しております」


 和葉と呼ばれた三十ほどの女性は、手土産を差し出した。ここよりかなり遠方の銘菓だ。


「和葉さんは、たしか大学も就職もご結婚も、遠いところでなさったんですよね。

 はるばるありがとう。ご主人の実家より先に、こちらに年始の挨拶に来てもらって、よかったの?」


「いいんです。……たまには、それぞれの実家にそれぞれ帰ろうって事になって」


 和葉の歯切れは悪かったが、金吾はそういう時代になったんだなあ、と納得しただけだった。わきのお盆から、ポチ袋を取る。


「これ、少ないけど、息子さんに」

「ありがとうございます――ほら、受け取って」


 和葉は、かたわらの息子の背を押した。

 年は五歳ほど。声をかけられても、反応は薄い。一心に電車のおもちゃで遊んでいる。


「お名前は?」


 金吾が尋ねても、顔も上げない。見かねて和葉が答えた。


「すみません。名前は陽太(ようた)です。……声は出るんですけど、全然しゃべらなくて」


 居心地の悪そうな和葉のために、金吾は、それじゃまた後で、と早々に話を終えた。


 しかし、挨拶はこれで終わらない。佐倉の一族は、当主の他に挨拶するものがあった。


 それは金吾の後ろ、上座より一段高い場所に設けられた場所にいる存在。

 佐倉家の守り神、キタリド様だ。佐倉家の生き神様である。


「こちらは、キタリド様に」


 和葉は風呂敷包みをほどきながら、最上段の人物をうかがう。


 本家の当代キタリド様は、十八歳の少女だ。名前は那智。愛称は、本家に三つ蔵があることにちなんで、ミツクラ様という。


 肌は陽を知らぬように白く、長い黒髪は漆を刷いたようにつややか。

 頭から薄絹をかぶっているが、目鼻立ちのおぼろな輪郭だけでも、造形の端正さが察せられた。

 羽織っている金と赤の色あざやかな色打掛は、非日常的で、別世界の威厳を放っていた。


「ミツクラ様は絹のお召し物を好まれるとのことでしたので、父母が白絹の反物をご用意いたしました。御前にお供えください」

「お預かりいたします」


 供物を預かるのは、金吾ではない。キタリド様の横に控えている長身の青年だ。

 名前は巳影。キタリド様の身の回りをする、家守と呼ばれる役を担っている。


 巳影は一旦、供物をキタリド様の前に捧げ持った。それから、横の台に置く。


 台は供物でいっぱいだ。

 今日来られない家や、佐倉の姓ではないがつき合いの深い隣近所からの捧げ物もあるからだ。

山となっている酒や米、野菜や果物、菓子、干物、装飾品、金銭などは、信仰の証であり、この土地の結束の証でもある。

 和葉は息子とともに、生き神様に額づいた。


「キタリド様、どうか今年も我が家をお守りくださいませ」


******


「やっと終わったー!」


 年始の挨拶が終わって座敷を出ると、那智は薄絹のかぶりものを放った。

 すぐさま巳影が拾い、那智が引きずっている色打掛の裾を持つ。


「那智の出番は終わり! あとは蔵にもどって、のんびりするぞー」


 先程までの堅苦しい雰囲気はどこへやら。座敷では大声や笑い声が上がっている。

 年始の挨拶が終われば、座敷は無礼講の場だ。机をならべ、料理をならべ、酒を注いで、飲めや歌えやの宴会がはじまる。


 楽しい席だが、那智にとってはまったく楽しくない。

 那智は五感が過敏で、大声が苦手だ。体臭が混じりあう場もよろしくない。自室である土蔵で静かに過ごすのが一番なのだ。


「今年の正月はいいなあ。“リアル・母を訪ねて三千里”の一挙再放送がやるんだ。見逃したアマゾン回が見られる」


 お気に入りのテレビ番組を見るべく、那智が意気揚々と蔵へ帰ると、その背を呼び止める者があった。


「あの!」


 那智も巳影も、振り返る。

 座敷で十番目に挨拶した母子、和葉と陽太がいた。


「すみません、家守さん。キタリド様には、どうやってなるんですか?」


 短い沈黙が訪れたが、和子は必死だった。矢継ぎ早に質問をぶつける。


「なれる基準ってあるんですか? 何か儀式とかあるんでしょうか? どんな細かい決まりがあるんですか?」


 巳影は冷静に、陽太を一瞥した。陽太は他方を見ている。


「単刀直入にお聞きします。ひょっとして、お子さんをキタリド様にしたいというご相談でしょうか?」


「……そうです。息子を、そうした方がいいのかと思って。この子、全然しゃべらないんです。人が話しかけても反応しないし。他の子とは変わっていて――あっ」


 突然、陽太は母親の手を振りほどいた。空飛ぶヘリを追って、庭を走っていく。


「待ちなさい、陽太!」

「和葉さん、そういうお話は当主の金吾がすることになっているんです。

 のちほどお呼びしますので、ひとまず座敷に戻っていて頂けますか?」

「すみません。わかりました。お願いします。陽太っ」


 和葉は姿を見失って焦っていたが、木陰からタバコを吸っている男性が出てきて、母屋を指さした。

 すみません、と頭を下げて、和葉は急ぐが、すでに老齢の女性が陽太をかまっていた。

 人が多いので、和葉が気を張っていなくても、誰かが見ていた。


「キタリド様が増えるのか」


 打掛を脱がせてもらいながら、那智はワクワクしていた。


「今度はなんだ? ヒイラギは目が不自由で、ハガネは手がなくて。今度は口がきけないやつか?」

「おもしろがるんじゃない。おまえだって、注意力散漫で人の話を聞かなくて無神経で能天気なアホっていわれたら、嫌だろ」

「いやべつに」


 那智は、己の家守の忖度のない評価に全くひるまなかった。


「那智は六つの時でも話せなかったし、いまだに長い話は理解できないし、不器用で落ち着きがないけど、欠点だなんて思ってないぞ。

 金字が言ってた。那智は生まれながらに完璧。あるがままで完璧。そのままでいいんだって。あいあむごっど!」


 那智は文机の写真をもって、我こそナンバーワンというように、立てた人差し指を掲げる。

 写真立ての中では、那智をキタリド様にした先代当主、金字が同じポーズをとっていた。『I am GOD!』と書かれたTシャツを着て。


「今年もおまえが元気そうでなによりだよ」


 那智と祖父の鋼のメンタルが、いっそ羨ましくなった巳影だった。

 那智がおめでたい龍柄の袷に着替えたころ、蔵に新たなお客がやってきた。


「明けましておめでとう、巳影君」

「紫さん。明けましておめでとうございます。昨年もお世話になりました。今年もよろしくお願いします」


 巳影は年配の女性に、深々と頭を下げた。

 鳥井紫。巳影と同じく家守をしている女性だ。仕えているキタリド様の名は、ヒイラギ様。紫の兄にあたる。


「翠ちゃんも、明けましておめでとう」

「おめでとうございます。今日はよろしくお願いします」


 紫の孫、翠は大きな風呂敷を抱えていた。

 中身は着物や小物など、和装道具一式だ。巳影に振袖を着つけてもらうために来たのだ。


「着付け、茶室でやろうと思って準備してあるので。紫さん、先に行っていてもらっていいですか? 俺、おじさんにいっておかないといけないことがあって」


 巳影の用事は、和葉のことだ。


「長襦袢までは私が着つけるわね」

「お願いします。暖房付けてありますけど、寒かったら、温度上げてくださいね」


 紫の後を、那智も追った。一緒に茶室に上がり、着付けをする紫に話しかける。


「なーなー、紫。キタリド様にはどうやってなるんだ?

 さっき、親戚の一人がなり方を聞きに来たんだ。基準とか、儀式とかあるのか?」


「那智ちゃん以来、キタリド様になった人がいないから、うる覚えだけれど。


 まずは、キタリド様を新たに奉りたい家が、本家と面談するの。

 キタリド様がどういうものか分かっているか、きちんと最期まで奉れるか、家守になれる人はいるか、家族にそういうことを確認するのね。


 本家との面談が終わったら、次に、主だった分家の人や、地元で大事な役割を担っている人たちが集まって会談。新たなキタリド様を認めるかどうかを審議する。


 賛成多数で決まれば、山中にある社でキタリド様になるための儀式をして、お披露目会。新しいキタリド様は、目立つように赤い着物を着て町内を練り歩くの。


 家守は正装をし、それ以外の同伴者――家族や、審議に関わった人たちは、喪服を着るわ。

 キタリド様になるということは、この世ならざる者になること。ある意味、鬼籍に入るということだから、喪服なのよ。


 この日だけは、キタリド様も日中、堂々顔をさらして出歩いていいし、近所の人も見ていい。むしろ、誰がなったか、顔を覚えておかないといけないからね。


 最後はまた山中の社にもどって、一日、そこで過ごす。

 皆がお供えを持ってきたり、お披露目会に参加できなかった人たちが来て、新しいキタリド様のお顔を見ていくわ。

 お酒やごちそうがふるまわれて、ちょっとしたお祭りよ。

 皆で新しい守り神様がいらして下さったことを喜ぶの。それでお終い」


 はたで聞くでもなく聞いていた翠が、へえ、と感嘆した。


「神秘的だね。ミツクラ様のときも、したんだよね?」


「もちろん。本家だもの。佐倉の大旦那様が、とくに気合を入れてなさったわ。

 練り歩きの行列は長かったし、佐倉の名に掛けて、桜の花びらなんか撒いたりしてねえ。おふるまいも豪華だったわ。皆、お社に殺到よ」


 那智の感想は、ふうん、だった。小さい頃の話なので、覚えていないのだ。

 ついでに長い話が苦手なので、質問したくせに、そろそろ飽きていた。翠のもってきた小物をいじりはじめる。

 翠の方が続きをねだった。


「キタリド様になるには、条件ってあるの?」

「なれるのは、二種類の人だけよ」


 紫の答えはそれだけだった。詳細は語らなかったが、翠は見当をつけた。


「私、一つは分かった。蒼おじさんみたいに、特別な力がある人でしょ」


 蒼とは、鳥井家で奉っているキタリド様、ヒイラギ様のことだ。ヒイラギ様には未来を視る力がある。


「当たりよ」

「もう一つは分かんないや。何?」

「そうねえ……どういったらいいかしら。神様にしたい人、かしらね」

「神様にしたい人? 神様にしたいくらい立派だったり、いい人だったりってこと?」


 紫が言葉を濁していると、外から巳影の声がかかった。


「紫さん、どうですか?」

「入って大丈夫よ。後はお願いするわ、巳影君」


 巳影は茶室に上がると、翠のもってきた品を事前に確認した。

 普段、那智を着つけるときとは違い、振袖は使う小物が多い。


「キタリド様になりたいって方が見えたの?」


 巳影が、ええ、と苦笑すると、紫も苦笑いした。


「盆暮れ正月の時期になると、たまにいらっしゃるわよね、そういう方。私も去年のお盆に、遠縁のご夫婦から相談を受けたわ」


「自分の子供が社会になじめない性格だったり、特徴を持っていたりすると、親が不安になって、ストレスで追い詰められて、子供を世間から隠したくなるんでしょうけど。

 そういう人たちに本当に必要なのは、キタリド様になる方法じゃなくて、不安を聞いてもらうこと、理解してもらうことなんですよね」


 巳影は振袖を広げ、翠に着せかけた。


「今回もたぶん、そのパターンです。金吾おじさんは聞き上手だから、和葉さんの話をよく聞いて、これからのことにもいい助言をしてくれると思います」


「私の所に来たご夫婦も、一通り不安を話したら、すっきりしたみたいで。

 結局、キタリド様の話は全然しないで帰っていかれたわ。進んでなるものではないのだけれどね」


「同感です」


 家守二人は、心労のこもったため息を吐いた。


「いいね。翠ちゃん、背があるから、大きな柄が似合う。豪華だな」

「えへへ。ありがとうございます」


 翠が持ってきたのは、白地に牡丹の花が咲き乱れる振袖だ。巳影が山吹色の帯を手に取ると、那智が邪魔した。


「巳影。これより、昨日、那智がしてた帯の方がいい。あっちの方がこの着物に合う」

「あー、あれね。これよりワントーン明るい黄色の。貸していいの?」

「いい。これじゃ地味だ」


 那智は帯だけでなく、帯揚げの色や帯締めの太さにも注文を付けた。自分の手持ちの中から、合うものを持ってこさせる。


「いつも俺の着付けには注文つけないのに、今日はやけにいうな」


「銀子が、巳影の着せかえ人形になるのは、那智のつとめの一つだといっていた。

 家守へのふくりこーせーの一環だって。だから黙ってる」


 着せ替え人形と、福利厚生の単語に、翠と紫がおかしそうに吹き出した。


「意味はよくわからないが、那智の着物選ぶの、巳影、楽しそうだからな。

 那智は楽しみを奪わないようにしているんだ。どうだ、優しいだろう」


 ニコニコしているキタリド様に、家守は絶句した。ぶっきらぼうにいう。


「そりゃ毎日、お気遣いいただきましてすみませんね。ミツクラ様。おかげで楽しくお仕事させていただいておりますよ、ハイ」


 翠と紫は肩を震わせた。大笑いしそうになるのを必死にこらえる。


「今日のミツクラ様もステキですよ、巳影さん。お化粧までして。大人っぽいですね」

「メイクは俺じゃなくて、宮子さんが。那智もこの正月で十八だから。女性のたしなみだって」


 着付けが終わると、翠は姿見の前で歓声を上げた。


「わあ! すっごい。帯結びかわいくてテンション上がる。帯の色がちょっと変わっただけで、印象も変わってるし」

「うん、若々しい感じになったわね。翠の年齢に合ってるわ」

「帯揚げと帯締めの色も、これで正解だな。那智、おまえ、センスがあったんだな」


 巳影にも褒められたので、那智は大得意になった。えっへんと胸を張る。


「それは翠にお下がりにする」

「お下がり?」

「あげるってことだよ」


 翠はぶんぶんと首を左右に振った。恐縮するが、紫も受け取るよう勧める。


「お下がりは縁起物よ。頂きなさいな。大事にするのよ」

「分かった。ありがとうございます、ミツクラ様。成人式にもこれ着ていくね」


 翠は初日の出のように、晴れ晴れとした笑顔を見せた。

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