3.

 十八時を回ると、那智は日課の散歩の時間だ。今日も巳影をお供に近所を歩く。


 途中、鳥井家へ寄り道をする。

 鳥井家は佐倉家と同じく、キタリド様を奉っている家だ。キタリド様の名前はヒイラギ様、家守はその妹の紫である。


「紫のところは、クリスマス一色だな」


 鳥井家の玄関扉にはリースが飾られ、窓際に大きなツリーが見えた。

 窓ガラスには雪の結晶のシールまで貼られている。


「こんばんは、紫さん。今年はにぎやかですね」

「こんばんは、巳影君。年寄り二人だけだと、イベントごとに疎いんだけど。家族が増えると変わるわね」


 紫は今年から、息子家族と同居をはじめたのだ。

 台所では、孫の翠が卵を泡立てていた。クリスマスケーキ作りに挑戦している。


「こんばんは、巳影さん。……わあっ」


 翠が感嘆したのは、巳影にではなく、那智に、だ。

 キタリド様に直接話しかけられないので、巳影にいう。


「ミツクラ様のお着物、すてきですね! クリスマスの夜みたい。トナカイの帯留めなんて、あるんだ」

「探せば色々あるものだよ。明日はクリスマスツリー柄の帯でもしようかなって思ってる」

「やーん。ヘアピン、ちっちゃいトナカイの角だし。めちゃかわいい。似合ってる。ミツクラ様、今日も麗しい~!」


 見てはいけないという決まりも忘れて、翠はまじまじと那智の着物姿を観察した。


「帯の結び方も。こんなリボンみたいな結びもあるんだ。すてき。

 ねえ、おばあちゃん、こういうのできる? お正月、私、着物を着てみたいな」


 紫が頼りない顔をすると、巳影が申し出た。


「よかったら、着付けようか?」

「いいんですか?」

「男に着つけられるのが、嫌でなければ。途中までは紫さんにやってもらって、仕上げだけやるっていうふうでやろうか」


 巳影がニコニコと愛想よく請け負うと、那智はそのすねを蹴りつけた。


「痛っ。那智、なにするんだよ」

「巳影のろりこん。むっつり」

「那智ちゃん。巳影君はね、那智ちゃんが褒められたから嬉しいのよ」


 拗ねた那智に、紫がフォローを入れる。

 翠と巳影は、まだ那智の話で盛り上がっていた。


「ミツクラ様の着物とか帯とかって、巳影さんが買っているんですか?」

「俺が自費で買っているのもある。今月、五万も費やした」


「最推しが現実にいて、しかも課金できるなんて最高じゃないですか」

「アホっていわないでくれてありがとう、翠ちゃん」


 翠がケーキ作りにもどると、巳影は手に提げていた大きな紙袋を差し出した。


「紫さん、これ。うちに来たお歳暮のおすそ分けです」

「立派なカニね! うれしいわ。他にもいっぱい」


 紙袋には、他にも果物や乾物、缶詰など、種々雑多な品が入っていた。


「さすがご本家ね。お歳暮が豪勢だわ」

「紫さんのところだって、すごいじゃないですか」


 巳影は、居間と続きになっている仏間をのぞき見た。

 床の間には、お歳暮の箱が山になっている。これらはすべて、ヒイラギ様宛だ。

 御礼状を書くために取ってある宅配便の伝票を見て、巳影は感心した。


「この議員さんも、ヒイラギ様に会いに来たことあるんですか」

「自分が議員になれるのかどうか知りたいって訪ねてきたのが、最初だったわね」


 鳥井家のキタリド様、ヒイラギ様には未来を視る力があるのだ。

 ヒイラギ様の両親が、その能力を積極的に活かしたため、顧客は一個人から政財界までと幅広い。

「でもさ、おばあちゃん。蒼おじさん、質問はできないんでしょ? どうやって依頼者の聞きたいことを聞くの?」


 特殊な力を持つヒイラギ様は、そのために心を病んでいる。

 多くの質問を受けているうちに、自らの中で幻の質問を作り出すようになってしまったのだ。

 今では、実際に質問を受けると、大きなストレスを感じて暴れだす。


「質問はできないけれど、誘導はできるのよ。

 議員になれるかどうか知りたかったら、その人に、選挙の話題や、自分の活動について、お連れの方と話をしてもらうの。

 運が良ければ、兄さんはその人に関する未来を一から十まで話し出すわ」


 ヒイラギ様は、身近にあって、関心がむいたものについて、未来を視るのだ。


「外れることはあるの?」

「もちろんあるわ。兄さんの語る未来はあくまで、現時点でそうなる可能性が高い、というだけだから。その人が努力を怠れば、未来は変わるわよ」


 紫は棚からファイルを取り出した。

 そこには、事前に依頼者に留意してもらう注意事項がつらつらと書かれており、末尾には承諾のサインが記されている。


「ひえー、すごい金額。みんな、払うの?」

「払ったから、これがあるのよ」


 卵を泡立てる手を止めて、翠はファイルをのぞきこむ。


「外れても、たとえ何も視えなくても、見料は返さないって書いてあるのに?」

「そうなのよ」


 紫は半ば憤慨していた。

 未来を視る力のせいで、心を病んでしまった兄を想って、紫はヒイラギ様の仕事に消極的だ。

 依頼人が注意書きを読んで、できれば依頼を思い止まって欲しいのだった。


「やめれば?」

「新規のお客は断っているけれど、やめられない人もいるのよ」


 巳影が、やや申し訳なさそうにした。


「この町に、国主導のイベントの誘致ができたのは、ヒイラギ様のおかげですからね。


 ヒイラギ様が政財界につながりを持っていたから、うちのじいさまが国の偉い人たちに会いに行けた。ヒイラギ様の能力と引き換えに、交渉も有利にできた。

 今でも依頼が断れない人たちっていうのは、その時の借りがある人なんですよね」


「いいのよ。佐倉の大旦那様は強引だったけれど、兄さんにちゃんと敬意をもって接してくれたもの。

 キタリド様と呼びながらも、ぞんざいな扱いをしていたうちの両親を叱り飛ばして、私たち兄妹に正しい在り方を教えてくれた。


 それに、大旦那様に協力したことは、とても意義のあることだったと思っているわ。

 イベント誘致に成功したおかげで、宅地開発が進んで、この町は豊かになった。若返った。想像もできなかった発展ぶりよ」


「蒼おじさん、すごいすごいと思ってたけど。本当にめちゃすごいんだね」


 翠は、仏間で安楽椅子に揺られているヒイラギ様を見た。


「すごいなあ」


 改めて感心するが、不自由な目を布でおおい、内なる幻聴に耳をふさがれ、今でない時をさまよって未来を語るヒイラギ様の姿に、付け加える。


「……でも、神様って、孤独だね」


 紫も巳影も、さみしい微笑を浮かべた。


「おじさん、未来が視えるようになったのって、事故で目を悪くしたのが原因なんでしょ? 治らないの?」

「兄さんに治す気がないのよ。目が治ったら、力が無くなるかもしれないから。自分はこの土地の守り神でいないとっていって、きかないのよ」

「そんな……」


 居間にはしんみりとした空気が流れたが、一人だけ、マイペースな人物がいた。那智だ。

 仏間に踏み入り、躊躇なくヒイラギ様にちょっかいをかける。


「ヒイラギー、那智もゆらゆらしたい。貸してくれ」


 那智が背もたれを押すせいで、ヒイラギ様の頭ははげしく前後に揺れた。


「……明日は巳影と出かけ、出先で会った男とホテルへ行き、そこで酒を飲み……」

「ん? なんだって? ホテル?」


 那智が手を止めると、ヒイラギ様も突然、話すのをやめた。眼帯をむしり取って、実在の眼球で那智を見る。


「ぎゃ-っ! ヒイラギ、なんだそれ! 瞳の穴が四つあるぞ!」


 那智が悲鳴を上げて、退いた。立ち上がって正面を向かれると、さらにおびえる。


「怒ったのか、ヒイラギ。もうその椅子貸してっていわないから。後日こっそり勝手に借りるから。来るな!」

「すみません、ヒイラギ様。もう邪魔させませんから、おかけください」


 巳影が那智を背にかばい、紫は兄の胸に手をおく。


「兄さん、座って。ミツクラ様が驚いているわ」

「……よかった」


 ヒイラギ様が笑った。届きはしないが、那智に手を伸ばす。


「一人じゃなかった」


 畳に膝と手をついて、ヒイラギ様はあえいだ。むせび泣きながら、同時に笑っている。

 紫と巳影は尋常でない様子にとまどい、那智は自由に発言した。


「……ヒイラギ、やっぱヤバいな。激ヤバでんじゃー丸だぞ」

「原因おまえだからな?」


 那智の失言に対する謝罪は、巳影がした。


「今日はこれで失礼します。ご迷惑かけてすみません、紫さん」


「こちらこそ。ミツクラ様をびっくりさせちゃってごめんなさいね。

 いったい、どうしたのかしら? 兄さんがこんなに興奮しているの、はじめてだわ」


 紫はヒイラギ様を助け起こして、安楽椅子へ座らせた。

 ヒイラギ様はまだ、頬に涙を流しながら、口元には笑いを浮かべている。


「よかった……よかった……これで……ようやく……」

「兄さん?」


 安堵している声を聴きながら、那智たちは鳥井家を後にした。

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