2.

 夕方。金吾の長女、銀子(ぎんこ)が本家にやってきた。


 巳影にとっては従姉であり、巳影より一つ年長である。

 社会人になってからは家を出て一人暮らしをしているが、たまにふらりと帰ってくる。


「ふっふっふっ。よくやったわ、那智、巳影! よくぞあのゴリ押し三角眉を撃退したわ。褒めてつかわす!」


 銀子はくびれた腰に手をあて、座卓に一升瓶をおいた。

 那智が目をかがやかせるが、巳影が遠ざけた。


「耳が早いね。おじさんと会ったの?」

「あんたがパパに電話してきた時、ちょうど一緒にいたのよ。今日は一緒に、暮れのあいさつ回りしてたから」


 銀子は佐倉不動産会社の営業職に就いている。

 今日はあいさつ回りの後、直帰しているので、パンツスーツ姿だ。肩口で切りそろえられた髪に、知的な銀フレームのメガネが、いかにもキャリアウーマン風だ。


「おじさん、玉垣さんを怒らせたこと、気にしなくていいっていっていたけど、本当?

 不動産会社は玉垣さんのおかげでもっているって聞いた気がするけど?」


 巳影の質問に、銀子はけっ、とツバを吐くマネをした。一升瓶をつかみ、栓を開ける。


「そうだけど、最近、越権行為が目に余るわよ。パパをシロウト扱いして、会議でほとんど意見をいわせないわ。さも自分が社長面よ」


 中身を飲み干した湯飲みに酒を注ぎ、一口。


「うちの会社、今、都心部に進出する計画を立てているのよ。

 土地の売買にあたって、パパが購入についてもう少し検討したいっていったら、これ以上、検討することなんてありませんから、よ。何様よ」


 銀子は怒り心頭だった。


「パパの異母兄らしいけど、とうの昔に、おじいさまと副社長の母親との間で、うちの敷居はまたがないってことで話がついているわ。

 うちの会社にも、おじいさまのコネで入れたっていうのに。ずうずうしいったらありゃしない。

 っていうか、キタリド様のこと、どこで知ったのかしら。しかも名づけなんて。今時、レアな習慣よね?」


「それ、俺もふしぎでさ。会社で働いている佐倉の人から聞いたのかな」


「それはないと思うけど。今日会ったならわかると思うけど、横柄な人だから。

 地元出身の社員は、副社長のことを陰で他所者(きたりど)さんって呼んで嫌ってるわ」


 キタリドはこの地方の方言だ。他から来た人という意味で、他所者とも書く。


「銀子お嬢様、お酒、熱燗にします? 冷酒に?」


 家政婦の弥生が、できたての肉豆腐を運んできた。


「そのままで。入れ替えもしないで、ビンのままでいいわ。明日は休みだから、今日は飲む気なの」


 銀子は断ったが、巳影が日本酒のビンを引き渡した。


「弥生さん、五合までで。それ以上になると面倒だから」

「面倒とは何よ、面倒とは」

「だって、酔うと俺につっかかってくるじゃん。覚えたプロレス技とか試してくるじゃん」


 銀子は女性らしい外見とは裏腹に、柔道、空手、合気道をたしなむ武闘派である。


「あんた生意気よ。全部かわすか返すかしてきて。あんたの方が背も体力もあるんだから、少しはレディに勝ちをゆずりなさい」

「パンツ丸見えで襲ってきてレディはないと思うけど」


 淡々としている巳影を、銀子はおもしろくなさそうにした。


「ちっ。最初のころは動揺していたくせに。全くかわいげがなくなったわね」

「昔は、酔ってなくても突きか蹴りがきたけど。あれはなんだったの? 嫌がらせ?」


「ちっ、ちがうわよ。あんた、無口で、おとなしくて、なに考えてるかわからないやつだったから。

 ああでもしないと、話しかけるきっかけがつかめなかったのよ」


 銀子は照れくさそうにしながら、煮汁色によく染まった豆腐をつまむ。


「中学生で急に弟ができてさ。どうやって関わりあっていいか、わからなかったのよ」

「拳で語り合う。セイシュンだな」


 経験もないのに、那智が相槌を打った。

 巳影にえいえいとパンチを繰り出すが、あっさり片手で畳に転がされる。


「あとさー、いじめられたりしないかが心配だったから。体鍛えておけば、心も強く持てるかなって。姉ゴコロよ」


「おかげさまで。危ないときがあったけど。冷静に対処できたよ」

「やっぱりあったの? 大丈夫だった?」


「うん。銀姉に比べたら、本当、キックもパンチも弱くて遅すぎて。

 大ケガしない程度に打たれつつ、同級生に頼んで、暴行の証拠動画を取ってもらって、その上でぶちのめして、次やったら退学に追いこむって話した。ありがとう」


「あんたのが怖い」


 あたしの心配を返せ、と銀子は悪態をついた。


「なんで巳影がいじめられるんだ?」


 起き上がった那智が、興味津々で口をはさんだ。


「父親が詐欺師だからか?」

「こら、那智!」


 銀子はたしなめたが、巳影は気にしなかった。


「いいよ、銀姉。那智も多少は話が分かる年になったんだから、教えておかないと。


 そうだよ、那智。俺の父親は詐欺師だったんだよ。

 皆から土地を安く買い集めて、大手のハウスメーカーに高く売って、大金を独り占めして逃げたんだ。


 皆に、今はお金がないから安く買うけど、売れてお金が入ったら、その分を埋め合わせするっていっていたのに、約束を守らなかった」


「ずるいな」


「たまたま父親も名字が佐倉だったから、皆、遠い親戚と思って警戒心が薄れたんだろうな。

 それに、当時の本家の次女、つまりは俺の母親が説得に協力したものだから、簡単に話を信じた」


「巳影ママも詐欺師だったのか?」


 銀子が顔をしかめるが、やはり巳影は気にしない。

 自分の身の上がどうであろうと、那智の自分への信頼は変わらないと確信していた。


「本人に騙すつもりはなかった。純粋に、故郷のためになればって思っていた。


 今でこそ、町の西側はたくさん店ができて、家ができて、にぎやかになっているけれど、昔はそうじゃなかった。

 三十年ほど前まで、駅まわりすら閑散として、畑と田んぼばかりの地味な土地だった。


 だけど、国を挙げてのイベントの誘致に成功したのをきっかけに、世間の注目が集まるようになって。

 電車の本数が増え、都市部に出るのに便利な道路ができて、ベッドタウンとしての価値ができた。


 そこで俺の父親は、母親をこう口説いた。

 今がチャンスだ。みんなの畑を売って、家を建てれば、きっともっと人が移り住んでくる。

 町が豊かになれば、みんなの生活も豊かになる。俺と君で、この町を生まれ変わらせよう――」


 巳影はその様子を再現した。那智の手を取って、口づけるマネをする。


「二十歳そこそこだった俺の母親は、男の語る夢と甘い言葉にすっかりのぼせあがった。

 途中で、じいさまがキナ臭いって勘づいて、男と会うなっていったけど、母親は聞かなかった。

 恋の盲目に逆らえなかった。男のいうままに動いて、多数の被害者を生んだ。


 じいさまは佐倉の名を悪用したと大激怒して、男と駆け落ちした母親を絶縁した――那智、そろそろ頭いっぱいだな」


 長い話が苦手な那智は、目を回していた。


「ともかく、俺の父親はとんでもない嘘つきだって覚えておけばいいよ」

「わかった。出会ったら成敗する。キタリド様の名にかけて。天に代わってお仕置きだ」


 こぶしを突き上げた那智を、巳影はハイハイ、と畳に座らせた。

 着物の帯に挟んである櫛を取り出して、乱れている髪を整える。


「那智の着物、クリスマス仕様?」


 銀子は帯留めの、赤や緑のビジューがちりばめられたトナカイをつついた。


「他に何もしない分、我が家のキタリド様には装ってもらおうと思ってさ」

「え――まさか明日、なんにもしないの?」

「しないよ?」


 今日は十二月二十三日の金曜日。

 土日がクリスマス・イブと、クリスマスとあって、世間は盛り上がっていたが、佐倉家はいつもと全く変わっていない。


「去年までは、おじさんたちがいたから、やっていたけど。

 今年は俺たちだけだから、もういいかなって」


「なんで!? いなくても、三人でやればよくない!?」


「特に思い入れがなくて。……ないっていうか、クリスマスは、父親が帰ってこなくて母親が情緒不安定だったなあっていう思い出くらいしかないから」


 弥生も控えめに賛同した。


「すいません、私も。別れた夫にプロポーズされたのが、クリスマスだったんです。

 なので、クリスマスというと、人生最大の過ちを犯したっていう思い出しかなくて」


「那智も。クリスマスは子供が集まってきてうるさいっていう思い出しかない」


 子供時代から、家族や友達と毎年楽しいクリスマスパーティーを体験してきている銀子は、三人の見解に愕然とした。


「そんな……ここにくれば、明日はローストチキンとかポットシチューとか、クリスマスケーキとか食べられると思っていたのに……」


「銀姉、今日ここに来たの、それ目当てだったの?」

「ちゃんとみんなにプレゼントだって買ってきたわよっ」


 赤や緑の包装紙でラッピングされた品の入った紙袋を示して、銀子は顔を赤くした。


「やだ。なにそれ。あたし一人だけ大盛り上がりして。バカみたいじゃない。

 っていうか、人の事情を推し量ることのできない無神経でごめんなさい!」


 恥じ入る銀子に、弥生が首をふった。


「とんでもない。銀子お嬢様がその気なら、やりましょうよ、クリスマスパーティー。今からでもお料理、間に合いますし」


「ぜひ。あたしも手伝うので。明日、パパとママは二人でホテルディナーだっていうから、銅音に本家でクリスマスしよって誘っちゃったし」


「じゃあ、クリスマスケーキは俺が仕入れてくるよ」

「那智は何する?」

「那智は、そうだな。ツリーでも飾ったらどうだ?」


 巳影が無難な役割を振ろうとすると、銀子が待ったをかけた。

 プレゼントの入った紙袋から、ひときわ大きな包みを取り出す。


「那智はね、そんなことしなくていいのよ。ただこれを着てくれればいいわ」


 包みから出てきたのは、赤いワンピースと帽子だった。いわゆるサンタ服だ。

 感覚過敏で、絹以外の布地が苦手な那智は、顔をしかめる。


「どうしてこんなものを着ないといけないんだ」

「那智はかわいいからよ。着物だけじゃなく、こういうものも着て、シモジモの者を喜ばせるのも、生き神様のつとめよ」

「……つとめ」


 那智はじっと丈の短い赤いワンピースを見つめた。巳影が顔をしかめる。


「銀姉、テキトーなこといって那智で遊ぶのやめて。嫌がってるだろ」

「嫌がってないわよ。那智、あのね、この服なんてすごいのよ」


 銀子はしつこく、手荷物から新たなコスプレグッズを取り出した。

 今度はフリフリエプロンのついたメイド服だ。


「これは魔法の服よ。どんな失敗をしてもね、これを着て『ごめんなさい、ご主人様』って謝ればね、巳影は寛大に許してくれるわ」

「本当かー!? 着る着る!」


 大喜びする那智の影で、巳影がぼそっとつぶやいた。


「銀姉。いい加減にしないと、銀姉のSNSの裏アカウント『天王子キツネちゃん@コスプレイヤー(18歳)』に『本当は二十五歳のババアwww』って煽りコメントを証拠画像とともに投下する」


「殺ス」


「那智、散歩行くぞー」


 巳影は那智を小脇に抱え、居間から逃走した。

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