ヒイラギ様
1.
十二月の下旬になると、佐倉家の本家は、人の出入りが多くなる。
ここらの地主である上に、会社を経営し、親戚縁者が多く、近所づきあいが濃い土地柄となれば、暮れのあいさつに訪れる人間が多いのは当然のことだ。
今も、くぐり戸のついた立派な門を出ていく一団があり、入れ替わりに入ってくる一団があった。
「ごめんください。ミツクラ様はお出ででしょうか?」
新たにやってきたのは、三角形の太眉が特徴の男性だった。
体格がよい。胸板が厚いので、スーツ姿はまるで甲冑を着こんでいるようだ。
応対に出た巳影は、一瞬で相手の頭の先から爪の先まで視線を走らせた。
その目にあるのは、警戒だ。
ミツクラ様は、佐倉家本家のキタリド様だ。
キタリド様とは、この地域特有の文化で、家を守る生き神のことである。
このあたりの住人ならだれでも知っているが、だれもその存在をあえて口にすることはない。
キタリド様のことは、家人以外、見てはいけないし、話しかけてはいけないし、名前を呼んでもいけないのだ。
やむをえず呼ぶときは、本名でなく、そのキタリド様を奉っている家の特徴――本家の場合はミツクラ様――と愛称で呼ぶ。
やむをえず会わなければいけないときは、そのキタリド様についている世話役、家守と呼ばれる人をまず訪ねる。
ので、新たな客人は、訳知り顔でキタリド様を訪ねてきているが、部外者であることが明らかだった。
ミツクラ様の家守である巳影が警戒するのは、当然の成り行きだ。
「私はおたくの親戚で、こういう者だ」
名刺を見て、巳影は警戒をゆるめる。
「失礼しました。佐倉不動産会社の副社長の、玉垣(たまがき)さんでしたか。
お名前は存じ上げていたのですが、お顔は存じ上げなくて」
「納得いただけたのなら結構。上がらせていただこう」
巳影は相手より高い背で、立ちはだかった。
「本家の当主に――社長にお話は通されていますか?」
「こちらに来訪する旨は、伝えてある」
伝えてはあっても、来訪の日時が巳影に伝わっていないのだから、許可が取れているかどうかは怪しいところだ。
巳影が顔を知らないということは、本家には来たことがないほど縁が薄い親戚ということである。勝手に家に上げるわけにはいかなかった。
「社長と連絡を取ってみますので、少々、お待ちください」
「待てない。こっちは生まれたばかりの孫を連れてきているんだ」
大きな体の後ろには、赤子を抱いた女性が立っていた。玉垣の大声に、赤ん坊はまだ小さく弱々しい声で泣き出した。
「さっさと奥へ入れてくれ。大事な孫が風邪でも引いたら、どうしてくれる。こっちはミツクラ様にさえ会えればいいんだよ」
「ミツクラ様に会えさえすればいいとおっしゃいますが。そのミツクラ様にお会いするには、ここの家主である社長の許可がいるんですよ、玉垣さん」
「私は佐倉家の人間なのにか! 私は前社長の息子だぞ!」
怒声にも動じなかった巳影の顔が、はじめて揺れた。
「じいさま……いや、金字前社長の?」
「社長とは、腹違いだがな」
巳影は天をあおいだ。前社長であり、本家前当主の佐倉金字は、女性関係が奔放な人物だったので、十分にあり得る話だ。
「佐倉家には、子々孫々の守護を願って、キタリド様に子供の名前を授けてもらう風習があると聞いた。
社長と異母兄として、せめて孫の名くらいもらってもいいだろう?」
「事情は分かりました。しかしやはり、日を改めてください。ともかく社長にご許可を」
「社長社長と。貴様はそれしかいえんのか!」
玉垣はドン、と靴箱を叩いた。娘がおびえ、孫の泣き声は激しくなる。
「オヤジのことを、じいさまと呼んでいたってことは、おまえは孫だな。
金吾の子供は、女しかいない。
おまえは、本家に居候しているという金吾の甥だろう」
玉垣はジロジロと巳影をながめた。侮蔑の目をむけ、そしる。
「金吾の甥といえば、あれだろう? 父親が詐欺師の。
本当なら佐倉家への出入りを禁じられている身のくせに、よくもまあ、そんな大きな顔して客に物を言うな」
「そこまでご存じなら、僕が通さない訳もご納得いただけると思いますが。
僕には、伯父の金吾を通さなければ、何一つ決める権利がない。
だから社長に話を通して欲しい、とお願いしているのです」
淡々と反論しながら、巳影は靴箱の上の置時計を一瞥した。
十五時十五分。
話は終わりとばかりに、玄関を示す。
「お引き取りを」
決して動じない巳影に、玉垣が苛立った。大きく息を吸い、胸を膨らます。
「みーかーげー」
廊下に、間延びした声がひびいた。とたとたと、小さな足音が近づいてくる。
巳影は頬を引きつらせた。
こっちに来るなと手で合図するが、相手は聞いていなかった。
「もうおやつの時間だぞ。十五時過ぎてる。那智はおなか減ったぞ」
肌の白い、小柄な少女だった。和装である。雪降る夜を思わせる大小あられ柄の袷を着ている。帯留めのトナカイが、雪原色の帯で跳ねていた。
「台所で話を聞いていたが、さっきから何をもめているんだ。那智のお客なんだろう? なんで那智を呼ばないんだ」
「おまえは人と会っちゃいけないんだよ。知ってるだろ」
「金字の息子なんだろう? この三角太眉」
那智は客を見た。袖で口を押えて、ぷっと笑う。
「おまえ、金字のスポーツ同伴用の愛人、京香の息子だろ。
金字に赤ちゃんのときの写真を見せてもらったことあるぞ。
眉がすごいんだ、眉がって。全然変わってないな」
那智は三角眉を指さして、あははと笑う。
いわれたい放題だが、玉垣は怒らなかった。気を悪くしたふうもなく眉を触り、照れていた。
那智の人並み外れた美貌は、初対面の男を油断させるのに十分な威力があった。
「ひょ、ひょっとして、あなたは、み、ミツクラ様で?」
「そうだ。ミツクラ様だ」
正体を知るや否や、玉垣は横柄な態度を改めた。石床にひざまずき、懇願する。
「初対面でぶしつけではございますが、どうか孫に名前を。佐倉家の一員として、末永くご加護を」
「名前を付ければいいのか?」
「玉垣さん、勝手なまねは困ります。佐倉の一員なら、決まりを守ってください」
巳影がけん制するが、那智も玉垣も聞いていなかった。
「はい。ぜひ名前を」
「んー、そうだなあ」
那智は考えた。三秒だけ。
「じゃあ、芋太郎」
名前の由来は、その場の全員がなんなく察した。
玄関のとなりにある台所からは、焼き芋の甘いにおいが香ってくる。今日の那智のおやつだ。
玉垣はいきり立った。
「ふ――ふざけるなっ! 俺をバカにしているのか!」
「金時君がよかったか? 紅あずま君? それとも――むぐっ」
巳影がトラブル製造機となっている口をふさいだが、もう遅い。玉垣は怒り狂っていた。
「もう結構だ! 帰るっ!」
荒々しく玄関扉を開けて、玉垣は出ていった。娘があわてて後を追う。
お客のいなくなった玄関で、那智はあごに手をあてた。
「……今風に、ぽてと君、がよかったかな?」
「おまえのネーミングセンス、壊滅的だな」
土間を寒風が吹き抜けた。
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