5.


 佐倉家本家を悩ませた問題は、あっさり解決した。

 相手が要求を取り下げたのだ。

 壺を引き取りながら、真理亜は事情を語った。


「ひ孫ができましたの」


 真理亜はお腹が少し膨らんだ、年若い女の子を伴っていた。

 孫の絵蓮(えれん)です、との簡単な紹介がある。


「ひ孫は、羊水検査で異常が出ました」

「――なるほど。ひ孫さんがキタリド様になるので、他から招く必要がなくなるわけですね」

「そうです。その子がこの壺に入りますから」


 金吾は、おめでとうございます、の一言を喉に詰まらせた。


「妊娠二十二週をこえなければ、中絶は法で認められております」

「……お孫さんは、さぞお辛いでしょうね」


 絵蓮はうつむいて、唇をかみしめる。

 真理亜の方は、並びの悪い歯をのぞかせて、ゆるりと笑んだ。


「ひ孫のことを聞いたとき、納得しました。壺は壊れるべくして壊れたのです。役目を終えたから割れたのです。

 絵蓮、顔をお上げなさい。おまえの子供は、わが家の神様になるために生を授かったの。何も悲しむことはないわ」


 真理亜はからっぽの壺を見せた。

 宮子の手によって、ひびだらけだが、壺は元の形に修復されていた。


「生まれたら、この壺に子供の骨を入れるのよ。

 自分が生きられなかった分、その子は家族の生を願ってくれるでしょう。

 自分が健康でなかった分、その子は弟妹の健康を願ってくれるでしょう。

 未練を残した御霊は強い。きっとよき守り神になってくれるわ」


 涙にぬれた絵蓮の顔は、生気を取り戻した。壺を抱え、涙を落とす。


「健康に生んであげられなくて、ごめんね。ずっと一緒だからね。お母さん、亜瑠斗(あると)のこと、忘れないからね」


 絵蓮は壺をしっかりと抱え、帰っていった。


「生きている間に奉ることだって、できるだろうに」


 金吾がぽつりとつぶやいた。

 その横で、宮子は大きく息を吐く。


「無事に解決してよかったわ。金吾さんも、巳影君も。迷惑かけてごめんなさい」

「いいんだよ。家族じゃないか」


「那智も。危うく巻き込みかけて、ごめんなさいね」

「巳影。もう十八時だぞ。散歩の時間だぞ」


 自由すぎるキタリド様は、宮子の謝罪を聞いていなかった。


「那智、おまえ、人の話聞けよ」

「いいのよ、巳影君。いつものことだもの。いい加減、慣れてきたわ。気にしない」


 宮子はからりと笑った。それから、少しすまなさそうにする。


「……守り神様なんて信じていないけど、本当は、心の片隅でちょっと思ってたの。

 私が本家の嫁にふさわしくないから、ミツクラ様は私になつかないんじゃないか。出ていけって思われているんじゃないかって。

 でも、別に、そういうわけじゃなかったのね」


 宮子はほっと表情をゆるめ、バッグを取った。


「私はマンションに帰るわ。明日、始発で出かけないといけないから」


 那智たちが散歩のために門を出たところで、宮子の車も駐車場を出発していった。

 青いスポーティーな車体は、軽快なエンジン音を残して、ぐんぐん遠ざかっていったが、カーブの手前で急に失速した。

 わき道からやってきた軽トラックが、宮子の車を尻目にゆうゆう走り去っていく。


「故障かな?」


 巳影は首をかしげた。

 宮子は車を降りて、バンパーを開けたり、タイヤ周りを確認したりしている。


「トラブルですか?」

「アクセルを踏んでも、急に動かなくなったのよ」


 巳影も一緒に車を診たが、目立った異常は見当たらない。

 試しにもう一度、エンジンをかけると、何事もなかったかのように動き出した。


「もう、なんなのかしら。本当、ここのところ、ついてないわ。厄年?」

「止まって、正解だったかもしれませんよ、宮子さん」


 巳影は車道の真ん中に、場違いに落ちている白菜を拾い上げた。

 先ほど、わき道からやってきた軽トラックが落としていったものだ。


「さっきの軽トラック、一旦停止をしないでこっちの道に入ってきていましたよね。

 宮子さんが止まっていなかったら、ぶつかっていたかも」


「……そういえば。結構なスピード出していたわよね」


 わき道は木々の合間にあり、宮子の走っていた車線からでは合流車両が見にくくなっていた。

 合流地点のカーブミラーも、枝木のせいで半分以上が見えなくなっている。


「あとで、市役所に連絡しておきましょ」


 宮子は気を取り直してアクセルを踏み、去っていった。


 不意に、那智がかるく頭を下げる。


「那智、どうした? 知り合いでもいたか?」

「那智は知らない。むこうが頭を下げてきたから、那智も下げただけだ」


 巳影は不審そうにした。

 那智が指した方向は、山中だ。急な斜面は宵闇に沈んで、人のけはいなどありはしない。


「こんな時間に山にいるなんて、おかしくないか? どんな人だった?」

「顔は見えなかった。浴衣だった」

「こんなに寒いのに?」


 巳影の口からは、白い息が漏れる。那智はふかふかの銀キツネの襟巻を寄せた。


「そういえば、右手がなかったな。袖がぷらぷら揺れてた」

「右手がないって――それ、鋼太郎さんのところの」


 巳影は腕をさすった。

 去っていったという方角を恐ろしげにしたが、態度を改める。


「そうか。最後に一仕事なさって、山へお帰りになったんだな。キタリド様は」


 巳影は丁寧に、山にむかって頭を下げた。


「お疲れさまでした」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る