4.

 話し合いは後日に延期となった。

 真理亜の帰った客間で、本家の面々はうなる。


「目が本気だったわね、鋼太郎さん」


 宮子は壺のかけらを手に取った。細かく砕けていないので、壺の方は、修復は難しいことではない。


「……霊媒師って、どこに行けば会えるかしらね。ハガネ様の魂をこの壺に呼び戻してくださいっていって、やってもらえるかしら?」


 宮子はスマートフォンで、霊媒師の検索まではじめたが、途中でやめた。らしくない、と思い直したようだ。


「金吾、那智はテーネン退職できないのか?」


「ああ、不安にさせてごめんよ、那智。

 そうだよね、死んだ後に、こんな壺に閉じこめられるなんて、嫌だよね。ブラック企業のやることだよね」


「毎日、まんじゅうを供えてくれるなら、延長コヨーも可能だぞ。無論、中身は粒あんで頼む」

「那智はリーズナブルだね」


 金吾は腕組みをしたが、妙案は出てこない。巳影が口をはさんだ。


「いっそ、キタリド様という風習自体、失くしてしまったらいいんじゃないですか?」

「ええ?」


「そうすれば、真理亜さんはキタリド様を奉るということ自体が無意味になります。

 那智を人間に戻してしまえば、鋼太郎さんだって人様の家族をどうこうはできないと思うんです」


「一案ね。もうキタリド様を奉っている家自体が少ないし、これを機に撤廃してもいいんじゃないかしら?」


 宮子も賛同したが、金吾ははげしく首を左右に振った。


「いやいやいやいや! それはだめだよ。

 この土地や屋敷と同じく、キタリド様という風習も、佐倉家の大事な伝統だ。キタリド様は佐倉家の結束の要だと、僕は思っている。


 僕は地主の息子だ。地主というのは、先祖から受け継いだものを、無事に次代に受け継いでいくのが一番の仕事だ。

 少なくとも、僕にはそれで精いっぱいだ。僕には父さんみたいな才能はない。

 伝統を変えるなんて、僕にはとても……」


 金吾は困り果て、弱気でスマートフォンを取った。


「とりあえず、姉さんに相談してみよう」

「やめて」


 宮子は夫の腕をつかんだ。


「またお義姉様にお説教されちゃう。鋼太郎さんにも、嫌味をいわれたっていうのに」

「でも、僕らだけで悩んでても、いい案が出そうにないし」

「私、もう一度、謝ってくるわ」


 宮子は机上に、離婚届を出した。


「これ、やっぱり書いてくれる?」

「ええ!? なんで」


「壺が割れたのは、本家の女主人であるにも関わらず、壺のことを把握していなかった私が原因。

 責任を取って、本家の奥方をやめますから、那智のことは諦めてくださいって交渉するわ」


「バカいわないでくれ。そんな責任の取り方はおかしい。筋が通らないよ」


「このくらいの覚悟があるってことを示せば、向こうだって諦めるかもしれないじゃない」

「もし、向こうがそれでいい、なんていったら。どうするんだい」


 宮子は肩をすくめた。


「そうなったら、私たち、潔く別れましょ」

「宮子!」


 金吾は妻の方をつかんでゆさぶった。


「本当はまだ、浮気のこと怒っているのかい?」


「浮気のことがなくても、離婚は考えていたのよ。私、この家の嫁に向いてない。

 私は歴史も何もない家で育ってきたから、伝統や風習の大事にするこの家になじめなかった」


「君は十分、がんばってくれているよ。気にすることないよ。僕には君が必要だよ」


 必死に引きとめる夫を、宮子は恨むようにした。

 

「ねえ。鋼太郎さんの話、本当なの。ハガネ様、超能力があったって」

「本当だ。キタリド様の中には、そういう方もいらっしゃるんだ」


「那智は? 那智にも、そういう力があるの?」


「いや、今のところ、ない。キタリド様全員が、持っているわけじゃないから。ただ、ある日突然、目覚める可能性は高い」


「どうして教えてくれなかったの?」

「折を見て、話そうとは思っていたよ」

「私たち、結婚して何年目だったかしら?」


 二十年以上連れ添っている伴侶に冷ややかにされ、金吾は冷や汗をたらした。


「所詮、私はどこまでいっても他所者だったってことよね」

「一族内でも大っぴらにしてないから! 君だけが知らなかったわけじゃないから!」

「それにしたって、当主の妻が知らないなんて、おかしな話でしょ!」


 夫婦喧嘩をはじめた二人に、那智が耳をふさいだ。


 那智は大声が苦手だ。ついでに、長い話も苦手だ。

 つねに周囲の色んな雑音を聞き流すことなく拾っているせいもあるし、耳から聞いた単語を理解する能力が低いせいもある。

 昨今では聴覚情報処理障害と呼ばれるものだ。


 自力で理解することは早々に諦め、かたわらの家守を当てにする。


「巳影。今、どうなってるんだ?」

「おまえを他にやるわけにはいかないから、宮子さんが出ていくって」


「なんでだ? それなら、那智が出ていくぞ。宮子は残らないとだめだ」

「那智、あなたは黙ってて」


 またいらない茶々を入れにきたと、宮子は那智をうるさがった。

 しかし、自由な那智が黙るはずがない。


「金吾は宮子を必要としているんだろう? ミツクラは他でもなれるけど、宮子は宮子しかなれないんだから。出てっちゃダメだ」


 宮子は、那智を初めて見るようにした。驚きをもって、本家の生き神をあおぐ。


「那智はキタリド様だぞ。家を守るのがキタリド様の役目だ。

 金字は佐倉の家を守って欲しいと願って、那智をここへ連れてきたんだ。なのに、キタリド様のために一家の誰かがいなくなるんじゃ、あべこべじゃないか」


 それだけいうと、那智はきびすを返した。客間を出ていく。


「那智、待って。どこに行くの」

「止めるな、宮子。那智は行くと決めているんだ」

「だめよ。やめて。行っちゃだめよ」


「宮子さん、止めないでください。那智のいう通りにさせてやってください」

「あなたまで何をいうの、巳影。那智だって――うちの子みたいなものでしょ!」


 必死に那智を抱きとめる宮子に、巳影が気まずそうに付け足した。


「日課の、散歩の時間なんです」


 鳩時計が、十八時を知らせた。


*****


 散歩の途中、巳影は那智を鳥井の家に誘った。


 鳥井家はヒイラギ様というキタリド様をもつ家だ。

 ヒイラギ様の妹であり、家守である紫は、巳影の良き話し相手である。

 家に上がらせてもらうと、巳影は今日の顛末を紫に語った。


「そう……那智ちゃん、いえ、ミツクラ様がそんなことを」


 巳影に茶を出しながら、紫はいい直す。巳影への手助けを通して、本家のキタリド様と関わってきたため、紫にとって那智は他人でない。


「那智がめずらしく、キタリド様らしいまともなことをいうので、びっくりしましたよ」

「立派なキタリド様だわ。家を守るのが、自分の役目、なんて。頼もしい」


 紫は那智を褒めたが、当人は聞いていなかった。那智は本に夢中になっていた。マンガだ。二人の会話は耳に入っていない。


「あ、あのー、み、ミツクラ様?」


 紫の孫の翠が、那智にちらちらと目配せする。


「翠、直接話しかけちゃだめよ。伝えたいことがある時は、家守さんにお話しして」


「ごめん、翠ちゃん。勝手に読んじゃって。那智、翠ちゃんに返しな」


「いえっ、読むのはいいんです、巳影さん。ただ、その……ミツクラ様が読んでいいのかが気になって」


 翠は自分が読んでいるマンガを見せた。

 スーツ姿の男性二人が親しげに肩を抱き、表紙を飾っている。


「それ『ミドルメンズ・ラブ』っていう、マンガなんですけど……」

「やめろ、那智。おまえにはまだ早い」

「巳影、このおっさん、金字に似ていると思わないか?」


 那智は登場人物の一人を指して、はしゃぐ。絵柄を追って楽しんでいるのだ。


「大旦那様だったかしら? 那智ちゃんを連れてきたの」

「そうです。じいさまが、那智をうちに連れてきた張本人」


「那智ちゃん、大旦那様のこと、大好きなのねえ」


「一番なついていましたよ。じいさまも、那智をバカみたいに甘やかしていましたし。

 那智がようやくしゃべるようになってきた頃、那智が黄金が欲しいっていったら、本当に用意したくらいです」


「黄金って。金塊、ということ?」


「ええ。お正月のお供えに何が欲しいか尋ねたら、那智が“黄金。金字が好きな。いっぱい”というので。

 じいさま、刻印入りの金のインゴットを十本、那智に奉納しました」


「さすがは大旦那様。豪気なこと」

「お金持ちい」


 紫は驚嘆し、はたで聞いていた翠もあきれた。


「でもね。本当は、那智が欲しかったのは金塊じゃなかったんです。

 那智が欲しかったのは、いつもじいさまが持ち歩いていた、黄金糖のことで。

 那智は奉納された金塊を、なめて、かじって、まずい、の一言。親戚中で呆れるやら笑うやらですよ」


「大旦那様も大旦那様なら、ミツクラ様もミツクラ様らしいわね」


 紫は声を上げて笑った。


「じいさまは、自分の子供たちよりも孫たちよりも、那智を猫かわいがりでしたよ」


「でも、甘やかすばっかりじゃなくて、ちゃんとキタリド様としてのお役目を言い聞かせていたんだから。大旦那様もご立派だわ」


「そうですね。……でも、教えていなければ、あいつはそんなもの背負い込まずに済んだのに」


 微笑をかげらせた巳影を、紫は気遣わしげにした。


「そういえば、紫さん。死後もキタリド様を奉るのって、ある話なんですか?」


「私が知る限りでは、初耳よ。キタリド様は、死後は元居た場所に、山にお送りするのが普通のはずだわ」


「最初のキタリド様は、山からの“来たり人”様でしたもんね」


「昔から、山は異界の入り口だとか、祖先の魂が眠る場所だとか、神様の住む場所だとか、とにかく神秘的な場所だとされてきたから。

 キタリド様をお送りするには、ぴったりの場所でしょ?」


「亡骸を山に埋葬するんですよね」


「全部か、一部かはその時々だけどね。キタリド様が親しい肉親であれば、遺骨を一緒にお墓に入れたいと思うものだから」


 紫はストーブの上の土鍋をかき混ぜた。中はお粥だ。ヒイラギ様はカゼで寝込んでいた。


「紫さんは、ヒイラギ様と一緒なんですね」

「実の兄だもの。死んだら、一緒に共同墓地に入るつもり」


 孫の翠が、意外そうに口を挟む。


「おばあちゃん、鳥井家のお墓に入らないの? なんで?」


 孫の屈託ない質問に、紫は言葉をにごした。


「鳥井家の方々とは、色々、あったのよ。

 死んだ人を悪くいうのはよくないけれど、兄さんのことで結婚を反対されたり、子供ができた時に、異常がないか検査してくれっていわれたり」


「え……ひどい」


 疑問をただ口にしただけだった翠は、予想以上の重い回答にひるんだ。


「誤解しないで、翠。ひいおばあちゃんたちは、息子の幸せな結婚生活を願う良き親だっただけよ」


「おじいちゃんは、おばあちゃんと同じお墓に入りたかったんじゃない?」

「そうね……おじいちゃんは、自分も共同墓地でいいっていってくれたんだけど」


 紫はうつむき、両手を強く握りあわせた。


「子供ができて、検査を頼まれたときね。おばあちゃん、検査を断ったの。生まれてくる子供を区別したくなかったから。

 でも、当然、鳥井家のご両親は納得しなくて。おばあちゃんは、ご両親とも、おじいちゃんとももめたわ」


「どう収まったの?」


「兄さんが『子供は正常に生まれてくる』っていう予言をして。事は収まったわ」

「蒼おじさん、やるう」


 鳥井家のキタリド様、ヒイラギ様には未来を視る能力がある。翠は口笛を吹いたが、紫は怒りの形相になった。


「全然よくないわよ。おばあちゃん、鳥井家の人たちには兄さんの予言の能力を秘密にしていたのよ。

 なのに、おじいちゃんが。おばあちゃんのいない間に、兄さんを勝手に鳥井家の人たちと引き合わせて。見世物みたいに予言の能力を見せつけて。

 その上で、子供が正常に生まれてくるっていう予言でもって説得をしたのよ」


 普段は穏やかな紫の声が、怒りにかすれた。


「おじいちゃんのことを愛しているけれど。あのことだけは、いまだに許せない」


 明るく家庭のにおいに満ちた居間に、重い沈黙が落ちた。


 唐突に、アラームが鳴る。時刻は十八時三十八分。中途半端な時間だ。

 翠はアラーム音を発する自分のスマートフォンを見つめて、数秒、ぽかんとした。


「あ、そういうことか。おばあちゃん、蒼おじさんから伝言。『そのことは忘れなさい』」


 紫はぽかんとし、翠は笑った。


「この時間になったら、おばあちゃんに伝えてくれって頼まれたときは、何かと思ったけど。蒼おじさんは、本当に何でもお見通しなんだね」


 紫は恥ずかしそうに、愚痴を吐いた口を押さえた。


「いやね。どうして人間の脳は、悪いことはいつまでも覚えているのかしら。いいことも、たくさんあったのに」


 紫は仏壇に手を合わせた。自分がこれ以上毒を吐かないよう、巳影たちに水をむける。


「巳影君は? まだまだ先の話だけれど。ミツクラ様の弔いはどうするの?」

「さあ。おじさんたちに任せますよ。俺に決定権はないですし」


 マンガに満足した那智は、巳影に背にのしかかった。


「巳影は那智と同じ墓に入るんだぞ」

「おまえ、入りたいの?」


「だって巳影は那智の家守だろう」

「死後もおまえのお守かよ」


 紫がくすくす笑った。


「決まりね。ミツクラ様は本家のお墓に入る。巳影君もそこに入るから」

「うんうん。一緒だな」


 満足げな那智を、巳影は自分の背中からどけた。


「残念。ムリだよ。俺は佐倉の墓には入れないから」

「なんでだ」

「母親の代で縁が切れているのを、無理に入れてもらっている身だからだよ。居候はさせてもらえても、墓は別」


 那智はきょとんとした。


「じゃあ、二人だけで墓を建てればいいな。それで万事解決だ」

「だから。おまえのことは、俺の一存ではできないの」


「那智がそうしたいっていってる」

「おまえの身も、おまえのものじゃないんだろ。キタリド様なんだから」


 那智は口をへの字に曲げた。むくれる。


「巳影のばーか」

「俺に八つ当たりするな」


 那智がその辺にあったものを投げつけると、巳影も負けじとデコピンで応戦した。

 那智はにらみつけたが、巳影もにらみ返した。席を立つ。


「お邪魔しました、紫さん。また」

「寒いから、カゼには気をつけてね」

「待て、巳影。行くなら行くと、先に那智にいえ」


 那智はもたもたと立ち上がって、後を追う。

 二人が居なくなると、翠はすぐにマンガを閉じた。


「え。巳影さんって。居候なの? でも、本家の人でしょ? 墓は別って、何で?」

「昔、巳影君のご両親が本家と色々あったのよ」


 手をつないで去っていく那智と巳影の姿を、紫は心配そうに見送った。

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