3.
「宮子と連絡が取れない」
スマートフォンを片手に、金吾はうなだれた。
「マンションに行っても、入れてもらえない。銅音にいっても、ダメって断られるし」
「おじさん、会社に行っても、会えないんですか?」
「会えるには会えるけど、すごい他人行儀な対応をされるよ」
金吾は離婚届を開き、手のひらで折り目を伸ばした。
「離婚……離婚かあ……。準備いいなあ」
「すぐ出てきたってことは、持ち歩いてたってことですよね」
「奥様、決意は固そうですね」
弥生は、金吾の前に夕食をならべた。ブリの刺身にゆずみそ豆腐、小松菜のからし和え、レンコンのきんぴらなど、冬の味覚が満載だ。
「まさか、俺が少し出かけている間に、宮子さんが那智にかまうなんてなあ」
「奥様にコーヒーをお運びしたら、集中なさっていらしたから。蔵の方に行かれるなんて、全然、思いませんでしたわ」
「巳影が出かけてすぐに、こっち来たぞ。一ノ蔵と三ノ蔵をごそごそしてた」
那智は、巳影の足の間でもぞもぞ身動きした。
「蔵を? 宮子さん、私物を何か置いていたかな」
「何も持ち出してはなかったぞ」
金吾がレンコンのきんぴらを食べているのを見て、那智はふっと思い出す。
「そういえば、レンコンを信じるかって聞かれたな」
「レンコン?」
「いや、ちがうな。幽霊を見たことあるかって、聞かれたんだった」
巳影たちは、奇妙な顔をした。
「宮子さんが、幽霊を?」
「変な質問だね」
「奥様、オカルトなんて、全然、興味なさそうですよね」
廊下で、固定電話が鳴った。弥生が取り、金吾を呼ぶ。
「分家の方から」
「はい、はい」
金吾が廊下に出ていくと、巳影は自分の足の間でもそもそ動くモノを見下ろした。
「那智、おまえ、さっきから何やってるんだよ」
「座り心地をたしかめてる」
那智は金吾に代わる肉体を求めていた。
「金吾は背もたれにすると、ぜい肉がクッションになってよかったんだが。
巳影はダメだな。筋肉ばっかりでやわらかさがない。金吾をソファとすると、巳影はベンチだ。公園にあるようなやっすいベンチ」
急に触られるのを嫌がる那智のため、巳影は親切に予告した。
「那智、今からおまえを張り倒すから」
「事前に宣言すれば、なんでもしていいわけじゃないぞ!」
那智が畳の上に転がされたころ、金吾が一旦、居間に戻ってきた。
「巳影、明日の夕方って家にいるかい?」
「十八時前までなら大丈夫ですよ」
「ならよかった。――ええ、大丈夫です。巳影に伝えておきますので。はい、では。また」
金吾は受話器を置いて、ふたたび居間に腰を落ち着けた。
「どなたからだったんですか?」
「分家の鋼太郎さんだよ」
鋼太郎、というのは、人名ではない。屋号だ。このあたりは佐倉の名字が多いので、屋号で呼び合う。
「鋼太郎さんというと……たしか、奥さんの真理亜(まりあ)さんが、占い師として有名な」
「取引先の社長の娘さんが、どうしても真理亜さんに見て欲しいっていうから、時間外を頼んだんだよ。
そしたら真理亜さんに、引き受ける代わりに、しばらく預かって欲しいものがあるっていわれてね」
「何を預かったんですか?」
「壺だよ。蔵に白い壺が置いてあったと思うんだけど。フタつきで、縄のかかってる」
このくらいの、と金吾は両手に収まるくらいの大きさを示す。
「それを明日の十七時に取りにいらっしゃるから、渡してもらっていいかな?」
「……ないですよ?」
「へっ。ウソでしょ?」
「月の初めに蔵の整理しましたけど、覚えがないです」
「骨董品の棚に、たしかに置いたよ? なかった?」
「台帳と突き合わせをしましたから、よく見ていますけど。なかったと思いますよ」
論じていてもらちが明かない。金吾は夕食を中断して、蔵へと向かった。
巳影と二人で、一ノ蔵を探し、三ノ蔵も隅から隅まで探し、青くなる。
「ものすごい価値のあるものだったんですか?」
「詳しくは知らない。ただ、家宝だから預かって欲しいっていわれて」
金吾は、もう一度、蔵の中を見て回った。
「預かったのはいつなんですか?」
「今年の四月だよ。その後、蔵を開けた覚えってある?」
「七月、宮子さんと蔵の整理をした時にも、台帳と突き合わせをしましたが、その時にはすでになかったような……」
巳影はスマートフォンを取り出したが、使う必要はなかった。
ざくざくと玉砂利を踏んで、人影が近づいてくる。石灯籠に仕込まれたライトが、すらりと伸びる足を照らし出した。
「宮子!」
金吾は喜び勇んで近づいたが、宮子は無表情で、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません」
「な、なにが? 謝るのは、僕の方だけど?」
金吾よりも、巳影が先に事情を察した。
「鋼太郎さんのところの壺って……ひょっとして」
「私が落として割って、処分してしまいました」
宮子は顔を上げた。体の前で両手を組み、事務員のように事情を説明する。
「台帳にもなかったし、中身も錆びた鉄のカケラだけだったから、大事な物だと思わなかったの」
「骨董品の棚に、載っていませんでした? 金吾おじさんは、たしかにそこに置いたっていうんですけど」
「私が見た時には、蔵の隅に置かれていたわ」
宮子は唇に手をあてた。記憶をたぐるように、目線を下方にやる。
「ちがうわ。那智が勝手に持ち出そうとしていたから、一旦、蔵の隅に置かせたんだった。それをどこかに置き直そうとして、割ったのよ」
「那智より宮子の方がドジじゃないか」
余計なヤジに、宮子がきつい視線を送る。
「まさか人からの預かり物だったなんて。しかも、鋼太郎さんの家宝だなんて」
「家宝だってことは、いつ知ったんですか? おじさんから聞いたわけではないですよね」
「鋼太郎さんから直接よ。町で偶然、奥様にお会いして。そのときに、割った壺が家宝だったって知ったの」
宮子は、大きなトートバッグからスカーフにくるんだ破片を取り出した。
「破片は、裏山に捨てていたのを思い出して、今、拾ってきたけど。
……これを元にもどしただけじゃ、きっと勘弁してもらえないわよね」
「見たところ、漬物壺か酒壺って感じだけどねえ。家宝というからには、値打ちものなんだろうな。
うちにある骨董品のどれかで、勘弁してもらえるといいんだけど」
金吾はさっそく、骨董品の棚を物色しはじめた。
「父さんの集めたものだけど。生前から、いざというときは売っていいっていってたし。今がそのときだよね」
「私のミスよ。ちゃんと自分で尻ぬぐいはするわ」
「宮子、僕にも手伝わせてくれよ。夫婦じゃないか」
金吾はおずおずと、ポケットから離婚届を出した。
「だから、これは勘弁して欲しいなー……なんて」
宮子がギロリ、と夫をにらみつける。
「何もなかったんだよ! 誓って。信じてくれ。なんなら、その子に聞いてもらってもいいから。本当に、ただ旅行行って、はげましただけだよ」
「助けがいのある女性と再婚したら?」
「君に僕は必要なくても、僕には君が必要なんだよ。自分で人生を切り開いていける君が」
宮子は無言で、離婚届を引っ込めた。
「それじゃ、一緒に鋼太郎さんに謝ろう。
しかし、何でなら弁償できるかな。人間国宝の作った壺? 江戸時代の有名浮世絵師の肉筆画? それとも、黄金のおりん? どれが適当かな」
「無理よ、金吾さん。これは弁償できないわ」
宮子は浮かない顔で、首を横にふった。
「外身じゃなくて、中身が大事なの」
「中身って。錆びた鉄片だけだったんだろう?」
「目には見えないものが――キタリド様の魂が入っていたのよ」
金吾は目を丸くした。
*****
「左様ですわ。大事なのは、中身ですの。あの壺には、キタリド様の御霊を封じていたものですから」
翌日の夕方。
本家の客間には、佐倉真理亜が座っていた。腕に抱いた黒猫を、ゆったりとした手つきでなぜる。
「我が家のキタリド様、ハガネ様には生まれつき右手がございませんでした。
しかし、代わりに、見えざる手をもっていたといわれております」
「見えざる手?」
「いわゆる、念力、サイコキネシスと呼ばれる力です」
真理亜は、面食らっている宮子を一瞥した。
宮子は本家の嫁だったが、特別な力を持つキタリド様がいることを、知らされていなかった。
「壺の中に、薄い鉄の板が入っておりませんでしたこと?」
「ええ。変にねじれた板が、入っていましたけれど」
宮子は肩をちぢめた。壺の破片はあるが、鉄片の方は不燃ごみに出してしまっていた。
「その鉄のかけらは、ハガネ様がつねに持ち歩いていたものだそうです。
ないはずの右手で、折り曲げたり、伸ばしたり、ねじれさせたりして、遊んでいたとか」
川で溺死したハガネ様は、遺体が上がらなかった。なので、遺骨の代わりに愛用の品を入れたのだ。
真理亜は壺の破片を引き寄せる。
「ハガネ様は特別なキタリド様でした。災害時には、見えない手で倒木をどけたり、大きな岩を一人で動かしたりなさったそうです。
先祖の佐倉鋼太郎は、ハガネ様がその特別な力で、死後も一家を守ってくれることを願って、この壺を作ったのです」
真理亜は陶片に手をかざした。両手首には翡翠や虎目石、瑪瑙などのブレスレットがいくつもはめられている。
「……ダメね。もういらっしゃらない。
まさか本家の奥方が割ってしまうなんて。占いでも本家の方角が良しと出ていたから、間違いないと思ったのに」
宮子の頬に朱が挿した。金吾が一段と深く、頭を下げる。
「お金には代えられないものを代えようとは、失礼でしょうが。
せめてものお詫びに、この家にある品を、どれでも一つ、お持ちください。床の間の掛け軸でも、花器でも、仏壇の仏具でも、どれでも結構ですから」
「何物もあの壺の代わりにはなりませんわ。代えたら、罰が当たります」
真理亜は断ったが、黒猫が歩いて行った先を見て、前言をひるがえす。
「金吾様、この家にあるものなら、なんでもよろしいのね?」
「土地や家屋は困りますが……それ以外でしたら」
「でしたら」
真理亜は上座の方へ見やった。
本来であれば、客が座るはずの上座には、別物が居る。
人であって人でなく、家人であって家人でない。客人よりも優遇される貴きもの。佐倉家本家のキタリド様、那智が。
「にゃー? にゃう? なうーぅ?」
真理亜の黒猫と鼻を突き合わせて、猫の鳴きまねをしていた。
「ミツクラ様を、いただきたく」
金吾はあっけにとられた。
「我が家はキタリド様を失いました。よって、新たにキタリド様をお迎えしたく存じます。
本家のキタリド様であられるミツクラ様を、我が家に下さいませ」
「……ちょ、ちょっと待ってください。それは困ります」
金吾は身を乗り出した。動揺のあまり、手が茶碗をひっかけ、中身がこぼれる。
「那智はうちの家族のようなものですし」
「我が家も、家族のような存在を失いました」
真理亜はひるむことなく、真正面から反撃した。
「父は、他の家財を失っても、二ノ蔵にあるものだけは人手に渡すな、という遺言を残しておりまして」
「縁もゆかりもない家でなく、分家に譲るのなら、問題ございませんでしょ?」
「それなら、今後は本家にいる那智を、鋼太郎さんのキタリド様とお思い下さい。
本家のキタリド様は、キタリド様をもたない分家すべてのキタリド様でもあるのですから。
本家のキタリド様は、いわば佐倉家の共有の財産です。一分家だけにそんな勝手を許すわけにはいきません」
「よいではありませんか。今のミツクラ様を失っても、また新たにお迎えすれば」
「でしたら、鋼太郎さんに新たなキタリド様を紹介しますよ。同じことでしょう?」
「今のミツクラ様がよろしいのです。ミツクラ様には運命を感じます」
「にゃに?」
ようやく自分が話題になっていることに気づいて、那智が顔を上げる。
「だれだ。今、運命を感じるとか、金字の口説き文句みたいなこといったの」
「後ろにいらっしゃるのは、家守さんかしら?」
真理亜は那智越しに、巳影を見た。
「ミツクラ様に、わが家へ来てくださらないか、聞いていただけませんこと?」
「お宅は肌に合わない、とおっしゃられています」
本人に聞くまでもなく、巳影は即答した。
猫をかまっていた那智が、くちっとくしゃみをする。ミツクラ様は動物アレルギー持ちだった。
「仕方ありませんわね」
仕方ないというが、真理亜はあきらめたわけではなかった。別の案を持ち出す。
「それでは、御霊をいただきたく存じます」
「はい?」
「生きておられる間はあきらめます。ですから、ミツクラ様の御霊を。死後に。その壺に入れて、我が家へくださいませ」
金吾は絶句した。真理亜の、くっきりとアイラインが引かれた、瞬きの少ない目を見返して、なんとか言い返す。
「――前例のないことなので。考えさせてください」
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