ハガネ様

1.

 地方の旧家である佐倉の本家には、土蔵が三つある。


 三つある蔵のうち、二つは蔵らしく物品が収められているが、真ん中の蔵、“二ノ蔵”には少々変わったものが収められていた。


 何かというと、生き神様である。

 佐倉家には、一族内にいる一風変わった人間を家の守り神とする風習があるのだ。


 守り神はキタリド様と呼ばれ、家人とは一線を画した場所に住み、一線を画した生活をし、大事に扱われるが、本家の当代キタリド様は、とくに大事にされていた。


 たとえ他のすべての家財を処分しても、二ノ蔵のものだけは人手に渡してはならない――それが、先代当主の遺言である。


*****


 紅葉も散った初冬。

 はたきを片手に、一人の青年が二ノ蔵を開けた。真っ暗な土蔵の中にむかって、声をかける。


「那智ー、ついでにこの蔵の中も掃除するから。出てな」


 唐獅子が描かれた金屏風の裏から、もぞもぞと、枕を抱えて少女が這い出てくる。


 日本人形を連想させる少女だ。

 長い黒髪は切りそろえられ、着ているものは椿柄の袷。小さな顔は異様に整い、肌は透き通るように白い。

 これが佐倉家本家の当代キタリド様、那智だった。


「巳影、那智は今から昼寝するところだ」

「母屋ですればいいだろ。今日は陽があるから、あったかいぞ」


 青年、巳影はキタリド様から枕を奪った。

 キタリド様には、身の回りの世話をする付き人、家守が付く。巳影はそれだ。


「機械音で起こされるのが嫌だ」

「もう大丈夫だよ。近所の工事は全部終わったから」


 那智は長いまつげに縁取られたまぶたを閉じた。

 聞こえるのは、山々の枯れ枝に止まったビタキの鳴き声くらい。五感が過敏な那智でも平気な環境だ。


「蔵の掃除をしているのか」


 蔵を出た那智は、庭に広げられている品々を見回した。

 青いビニールシートの上には、季節物の食器や古びた家具、七輪、一輪車、雪かき道具などの日用品がならべられている。


「いろいろたくさんあるなあ」

「宮子おばさんと断捨離したおかげで、けっこう減ったけどな」


 那智は興味深そうに、一ノ蔵をのぞきこんだ。

 庭に出ているのは、一部のものだけだ。棚にはまだたくさん木箱が残っている。


「那智も運ぶの手伝ってやる」

「やめろ、触るな」


 巳影は枕を放りだした。案の定、木箱を抱えてよろめいた那智を支える。


「棚にあるのは、貴重品ばっかりだから触るな。絶対」


 巳影は気迫を込めていったが、那智はけろりとしていた。


「任せろ。次は大丈夫だ」

「良い子は寝ような」


 家守はキタリド様のネバーギブアップ精神を無視した。

 有無をいわせず抱き上げ、母屋の離れ座敷に転がす。


「巳影、那智もなんかしたい」

「寝ろ」

「それ以外で」


 巳影はやさしいやさしい微笑を浮かべた。

 那智のほっそりとした手を取る。労苦を知らない手指はやわらかく、みずみずしい。赤子の手をそのまま大きくしたようだ。


「那智、おまえはうちの大事な守り神様だ。

 だから、箸より重たいものは持たなくていいし、砂とホコリにまみれることなんてやらなくていいんだよ。

 おまえが物を落としたり、転んだりしてケガをしたらと思うと、気が気でない。


 一昨年、おまえは十万の花瓶を割り、昨年は二十万の彫刻の腕を折り、今さっきは四十万の絵皿を落とすところだったけど、そんなの、おまえの身の無事に比べたらささいなことだ。


 おまえの身が大事だから、簀巻きにしておいていいか?」


「大事の結論が簀巻きっておかしくないか?」


 家守に気圧されて、キタリド様はおとなしく愛用の枕に頭をあずけた。


 しばらく、のどかな時がつづいた。おだやかな午後の庭に、畳を叩く音と、箒を使う音が流れる。


 巳影が蔵の台帳を開いて、物品の確認をはじめたころ、異変が起きた。


「きゃうっ! 不審者ああああああっ!」


 悲鳴に、巳影はすぐさま駆けつけた。足袋のまま庭に降りてきた那智を抱きとめる。


「巳影、知らないやつが勝手に那智に触ってきたあっ」

「ちょっ、那智。知らないって。僕だよ、僕」


 縁側で、男が那智にむかって懸命にアピールする。


 見るからに無害そうな男だ。

 メガネをかけた目はややたれ気味で、柔和だ。ベージュ色のスーツに威圧感はない。

 締めているネクタイの柄は、よくよく見ればキャラクターもので、人柄がのぞいていた。


「那智。大丈夫だ。よく見ろ。金吾おじさんだよ」

「……金吾?」


 那智はそろそろと背後をふり返った。

 金吾とは巳影の伯父であり、佐倉家の当主だ。正真正銘、この屋敷の家長である。


「嘘だ。金吾はもっとぷにぷに丸々して、黄色いクマのキャラクターみたいな体形だぞ。あんなにシュッとしてないぞ」

「痩せたんだよ。おじさん、入院生活ですっかり体形が変わりましたね。那智ほどではないですけれど、俺でも一瞬、見間違えましたよ」


 巳影のほめ言葉に、金吾はうれしそうに頭をかく。


「さっき、会社に寄ったら、皆にもすごい褒められてさあ。

 若い女の子たちに、社長、とってもステキです、っていわれて。いやあ、まいっちゃうなあ」


「那智は前の、ぷにぷにした金吾が好きだったのに」


 金吾は有頂天だが、那智は心底がっかりしていた。


「那智、ハグしよう、ハグ」

「人肌は苦手なんだ」


「じゃあ、今まで抱き着いたり、ヒザに座ってくれていたのは?」

「金吾はいい肉布団だった」

「ひどい! 僕のカラダだけが目的だったなんて」


 金吾は両手で顔をおおった。家政婦の弥生が、笑いながらコーヒーをおく。


「旦那さま、コーヒーブラックで飲むようになられたんですってね。奥様がおっしゃっていました。糖尿病の教育入院の成果ですね」

「えっ? あっ。う、うん。当然じゃないか。健康のことを考えて生活しないとね」


 金吾はぐっと、無糖のコーヒーを飲み下した。

 添えられているあられとピーナッツを、味気なさそうにつまむ。


「ミツクラ様、今日のおやつは、旦那様が買ってきてくださったどら焼きですよ。

 流行りのスフレどら焼き。しかも中身は、秋冬限定のモンブランクリーム」


「どら焼きの要素が消え去っているな」


 那智がクリームたっぷりの、ケーキのようなどら焼きにフォークを突き立てた。

 金吾ののどが鳴るのを、耳ざとく聞きつける。


「金吾も食べればいいのに」

「いやいやいや。さっき遅めの昼を食べたばっかりで、お腹がいっぱいだから」


「甘いものを食べ過ぎると太るなら、しょっぱいものを食べたらやせるんだろう?

 あとで同じだけおせんべいを食べれば、無問題だ」


「那智は天才だね!」


 どら焼きに飛びつく金吾を、巳影が止めた。弥生がコーヒーに人工甘味料とスキムミルクを足し、あられを寒天ゼリーに替える。


「ムリしないでください、おじさん。入院したのも、ムリが続いてだったんですから」


「分かっているんだけどねえ。突然、父さんがいなくなってからというもの、ちゃんとしなくちゃって、気負っちゃって」


「だれも、じいさまみたいにはなれないですから。安心してください。あの人は体力も気力も才能も桁外れです」


 先代当主がよく使っていた離れの座敷には、賞状やトロフィー、勲章などが無数に飾られている。すべて、先代が獲得したものだ。


「旦那様には、旦那様の良さがあるんですから。気になさる必要なんて全然ないですよ」

「ありがとう、弥生さん」


 金吾は寒天ゼリーを一口食べて、おいしい、と相好をくずした。


「そうだ、巳影君。これ」


 金吾は、ブランドロゴの入った小さな紙袋を差し出した。


「前に、巳影君が気にしていた限定モデルの腕時計。

 入院中は、僕の代わりに町内の役やってもらったり、管理物件のことで世話かけたりしたからね。受け取って」

「こんな高いもの。いいんですか?」


「いいんだよ。弥生さんには、旅行券。着替えの用意とか、健康に配慮した差し入れとかしてくれて。ありがとう」

「こんなに。なんだか申し訳ないですわ」


 恐縮する二人に、金吾にはいいのいいのと鷹揚にふるまった。


「那智にはね、あとでお洋服を贈るよ。

 化繊が苦手な那智のために、ちゃんとシルクで。ボタンもファスナーも気にならないよう、オーダーメイドで仕立てもらうからね。

 こんな感じで作ってもらおうと思うんだけど、どうかな」


 金吾のスマートフォンには、フリルとレースたっぷりの純白のワンピースが映っていた。那智は三秒で目をそらす。


「洋服は下着付けないといけないから嫌だ」

「絶対汚すので、色は黒にしてください。それより、金吾おじさん」

「もう少し今風のデザインにしてあげてください。それより、旦那様」


 巳影たちは高額な贈りものを手に、金吾に詰め寄った。


「また浮気しました?」


 図星を指されて、金吾は押し黙った。


「巳影と弥生はエスパーなのか?」


 那智は驚嘆した。


「お願いだ。巳影君、弥生さん。僕は先週の土日、一時退院したとき、この家にいたことにしてくれ」

「ダメですよ、おじさん。浮気の片棒はかつぎませんよ」


「一泊二日で旅行に行きはしたけど、誓って、やましいことはしてない! 二人で観光地巡りしただけだ。信じてくれ」

「旦那様。奥様に正直に話せない時点で、アウトですから」


 二人はにべもなかった。


「頼むよ、二人とも。この通り。相手は、入院先の看護師の女性なんだけどさ。

 元気で、笑顔がすてきな子で、僕、入院中は彼女にとってもはげまされたんだ。

 だから、夜中に彼女がホームシックで泣いているのを見たら、いても立てもいられなくなって。気づいたら、飛行機に飛び乗って北海道に」


「それで、いつの間にか、腕も組んだりとか?」

「いつの間にか、抱きしめ合ったりとか?」


 金吾はつっと目をそらした。


「二人とも、千里眼でもあるのか?」


 那智はやっぱり感嘆した。


「本当に! そこまでだよ。やましいことは何も。信じてくれ。

 わかってるんだけど、泣いている女性を見ると、放っておけなくて。条件反射なんだよ」


 巳影と弥生は、息を一つついた。


「わかりましたよ。協力しますよ。俺がこの家に引き取られたのは、おじさんが、じいさまを説得してくれたおかげもありますし」


「私も。旦那様がそういう性格だから、乱暴な夫から逃げられたわけですし」


 金吾は恩に着るよ、と両手を合わせた。


「じゃあ、僕は、先週末はこの家にいたってことで」

「了解しました。ただ――」


 巳影は、ちらりと、那智を一瞥した。


 那智の食べているどら焼きは、まだ一口分しか減っていない。

 那智は同時に二つの動作ができない不器用なので、金吾たちのやりとりを聞いている間は、食べるのが止まってしまうのだ。


「那智は嘘つけませんよ。ついても、すぐばれますから」

「大丈夫だぞ、巳影。話の内容はよくわからなかったが、金吾は先週末、この家にいたと覚えておけばいいんだろう?」


「いや。おまえは、何も知らない、で通せ。それが一番いい」

「那智をなめるな。そのくらいは覚えておける」


「何も知らない、でいいから」

「任せろ。那智は常に伸びしろしかない人間なんだからな」


「それはまったく進歩しない、の婉曲表現なんだけどな」

「金吾は先週末、家にいた。ちゃんと覚えておくから」


 家守は前向きすぎるキタリド様を止めるすべをもたない。


「奥様、ミツクラ様にはほとんど話しかけませんし。大丈夫じゃないですか?」

「そもそも宮子さん、ここにはあんまり帰ってきませんしね」


 金吾の妻、宮子は現在、駅近くのマンションで娘と二人暮らしをしている。

 その方が通勤に便利なのと、土砂災害が起こった本家周辺の土地を嫌って引っ越したのだ。


「それじゃあ、よろしく頼むよ。じつは宮子には、すでに疑われているような気がするから。気を付けて」

「おじさん、すでに疑われているんですか?」


「少しだけね。ほんのちょっと。僕の思い過ごしかも」

「旦那さま、女性の勘を侮らない方がよろしいですよ」


 ミッションがインポッシブルな可能性を感じ、巳影と弥生の目が虚無になった。

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