5.
秋の空は晴れ渡って、青い空に赤いモミジがよく映えた。
あたたかな陽の差す縁側では、那智が将棋盤で遊んでいた。
といっても、指しているわけではない。盤の上に駒を立ててならべて、倒すだけ。将棋倒しだ。何度も繰り返す。
そのとなりでは、巳影がコーヒーを片手に書類を読んでいた。ノートパソコンを叩いたり、顧客からの問い合わせに答えたり、忙しく仕事をしている。
「こんにちは、巳影君」
「こんにちは、紫さん」
庭に来客を認めて、巳影は書類を伏せた。二人連れだ。紫のそばにはヒイラギ様もいる。
「土砂崩れでふさがっていた道が、ようやく通れるようになったみたいだから、来てみたの。しばらく不便だったわねえ」
「行く場所によっては、いつもの倍の時間が取られて。大変でした」
「これ、よかったらご家族で」
手土産を渡しながら、紫はあたりを見回した。
休日だというのに、佐倉家のなかは静かだ。人のけはいがない。
「じつは、宮子おばさんと銅音は、駅の方へ引っ越していったんです」
「やっぱり! 先日、引っ越しのトラックと一緒に、宮子さんと銅音ちゃんが乗った車が走っていったから、まさかと思っていたんだけれど」
「土砂崩れが起こるようなところには住んでいられないっていって。
もともと、宮子おばさんは交通の便のいい駅前に住みたがっていましたし、銅音も新しくてきれいなマンションに住みたがっていましたしね。
今この家に住んでいるのは、那智と俺と、弥生さんだけです」
「安全さでいったら、この家が一番だと思うけれど」
那智を横目にして、紫はくすりと笑った。
巳影の用意した座布団に腰を下ろし、弥生の運んできたお茶に口をつける。
「土砂崩れがあって、家が潰れてしまった人は災難だったけれど、命は助かってよかったわよね。被害に遭った家の人たちがみんな避難していたのは、不幸中の幸いだわ」
「本当に」
「被災した家々には、土砂崩れの起こる直前に、市役所職員を名乗る男から“逃げろ”っていう電話があったらしいけど――あれ、巳影君でしょう」
巳影はあらぬ方向を見やりながら、茶をすすった。
「市役所はそんな電話をかけた覚えがないっていっているから、近所ではちょっとした話題よ。キタリド様のお告げ?」
「そうです。意識がなくなると、急にキタリド様らしいことをいい出すんですよね。普段は、こんなんなのに」
那智は来客に気づかず、将棋倒しに熱中している。
平常時は注意力散漫なのだが、熱中すると過集中になる。両極端なのだ。
「那智、紫さんが豆大福もってきてくれたぞ」
「……」
那智はひたすらに将棋をならべている。
「好きなのね、将棋倒し」
「心が落ちつかせるためのルーチンワークなんですよ。朝からよくもまあ、飽きもせずにやるものだって感心します」
「うちの兄も、落ち着かないときは、同じ曲を繰り返して歌っているわ」
「外が騒がしいのが、気になるみたいで」
塀の外で、ドオン、と大きな物音が起きた。
道路の土砂の撤去作業は終わったが、壊れた家屋の撤去作業はまだこれから。重機が動いていて騒がしい。
巳影や紫は聞き流しているが、五感が過敏な那智はちがう。
集中力が切れると、ストレスを爆発させた。将棋盤から駒を乱暴に払った。
「もうやだ! うるさいっ!」
「落ち着け落ち着け。那智、大福あるぞ」
那智はすぐに機嫌をよくした。ニコニコと豆大福にかぶりつく。
「あ、紫とヒイラギだ。来てたのか」
那智は、近寄る勇気はないものの、ヒイラギ様を気にした。向こうも、那智を見る。
「――茶をこぼす」
「む?」
那智は湯飲みを取ろうとして、距離感を誤った。中身をこぼす。
「大福を落とす」
「きゃうっ」
ぶどう柄の着物に熱い茶がかかって、那智は叫んだ。その拍子に、口から大福が落ちる。
「“巳影、熱い”」
「巳影、熱い!」
ヒイラギ様と那智は、図ったように同じセリフを唱和した。
「……み、巳影。ヒイラギ、那智のやることなすこと、全部、いい当ててないか?」
「おまえの単純な行動パターンくらい、だれでも予想できるよ」
「ヒイラギ、おまえ、見えてないか? 本当は見えてるだろ!?」
那智はヒイラギ様に詰め寄った。紫がやんわり押しとどめる。
「兄さんに質問はしないであげて。昔、たくさん未来のことを聞かれたから、質問されるのが怖いの。
事故で瞳孔が二つに分かれてからというもの、兄さんは未来を視ることができるのよ」
「マジか!? すごいな!?」
那智の尊敬のまなざしに、紫は複雑な顔をした。ヒイラギ様の目元の布を覆いなおす。
瞳孔が二つに分かれているせいで、物が二重になって見えるため、ヒイラギ様にとって見えることは不自由なのだ。
「最初は良かったわ。
兄さんは何をするにも不器用で、両親に叱られてばっかりだった。未来を視る力を手に入れたときは、家族の役に立とうとがんばった。
おかげでうちは裕福になったわ。両親に褒めてもらって、兄さんも嬉しそうだった。
でも、私が肺炎で入院したときに、どうしてこうなるって教えてくれなかったんだって、両親から責められて。
それから、おかしくなってしまったのよ。ありもしない質問の声に、答えるようになってしまった」
那智に詰めよられて驚いたヒイラギ様は、早口に何かいいはじめた。
辛抱強く聞いていると、それは、今日これからのことを事細かに語っているのがわかる。
「人並み以上の能力をもちあわせることは、必ずしも幸せなことじゃないのね」
那智は独り言の絶えないヒイラギ様の姿を、おそろしげにした。
「……巳影。那智は思い直した」
「なにを」
「那智は普通の人間でよかった。ただの人間でよかった。巳影のいう通りだな。普通じゃないっていうのは、大変だ」
うなずく那智に、巳影はビミョーな表情をした。
「なあ、那智。おまえさ。台風の日の晩のこと、どのくらい覚えてる?」
「……久々にお酒飲んで、ハッピーだったことくらいだな」
「おまえは幸せなやつだよ」
うなだれる巳影に、紫がくすくす笑った。庭をながめる。
「モミジの赤がきれいねえ。
本当はこの後、兄さんと裏山に紅葉狩りに行くつもりだったけれど、無理になったから。ここで観られてうれしいわ」
「急用でも?」
「ううん。兄さんの予言によると、紅葉狩りに行くと、私、よくない目に遭うみたいなのよ。お金を落としたり、ストールが破けたり、ちょっとしたケガをしたり」
「地味に嫌なことばっかりですね」
「でしょ」
紫は名残惜しそうに、大きなトートバッグに入れた水筒と軽食をいじった。
「紫、紫」
「はい、はい。私は無事よ、兄さん。何にもないわ」
六十過ぎの紫はおとなしく、兄の手になでられた。
「でもねえ、兄さん。私ね、悪いことがあってもいいのよ。兄さんと一緒に、紅葉狩りに行きたいわ。
お金は小銭しか持っていないし、ストールは他にもあるもの。つまずいて転んだら、兄さん、どうか手を貸してね」
紫は兄と手をつないだ。
「これで十分よ」
突然、ヒイラギ様は、すっくと立ちあがった。
「未来が変わった」
とまどっている紫のところへ、弥生がやってきた。
「お孫さんの、翠さんがいらしてますよ。ヒイラギ様の羽織を届けに来て下さったみたい」
「翠が。わざわざ?」
「この後、紅葉狩りに行くなら、自分も行きたいからって」
ヒイラギ様は、白杖を手に歩き出す。紫は表情をほころばせて、席を立った。
「いってらっしゃい、紫さん。三人とも、お気をつけて」
「ええ。気をつけて行ってくるわ」
紫を見送った後、那智はお茶のこぼれた着物を気にした。ちょっと濡れているだけだが、顔をしかめる。
「濡れてて気持ち悪い」
「すぐ乾くよ」
「やだ!」
「ストレス溜めてると、おまえ、本当、細かいよな」
巳影は、蔵からまっさらな畳紙に包まれたものをもってきた。
「新しい長襦袢が届いたから。さっそく使うか」
「買ったのか?」
「臨時収入があったから。道端で倒れていた酔っ払いの人を家まで送ったら、お礼にってクジをもらったんだよ。そしたら、十万円が当たった」
「すごい偶然だな!」
「ソウダナ」
那智は巳影に感心し、巳影は那智に感心した。
なにせ人助けしたのは、台風の夜にあらわれたキタリド様の指示だったからだ。
何日何時何分、駅前で倒れている男がいたら助けろ、という指示が当たっただけでも驚きだったが、そこに思わぬ収入が重なるのだから、巳影は驚嘆するより他ない。
「……なんだ巳影。那智はもう、自分のおかげとかいわないぞ」
巳影にじっと見つめられて、那智はちょっとひるんだ。
「巳影の日ごろの行いがいいからだ。ちゃんとわかってるぞ」
「……本当は何一つわかってないけど、それでいいわ」
長襦袢の他に、新しい着物もあった。
落ち葉の季節に似つかわしくない桜の柄だが、柄の桜に枝はないので、年中通して着られるだろう。薄いピンクでかわいらしい。
「これも買ったのか」
「おまえに似合いそうだったから」
そろいの帯に帯締め、半襟に帯留め、新品の草履まであった。ここまでくると、十万では足りなかったろうが、巳影は頓着していない。楽しそうだ。
自分の手の平におさまるほど小さな草履を、主人の足に履かせる。
「どうだ、巳影。似合うか?」
すがすがしい陽光の下、着物を見せびらかすキタリド様に、家守はひざをつき、手をついた。うやうやしく頭を下げる。
「お見事」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます