3.

 帰り道、那智は神社に寄り道をした。参拝はせず、ご神木を熱心に見上げる。


「那智、何してるんだ?」

「紫とヒイラギをみていたら、那智も兄弟が欲しくなった」


 巳影は怪訝にした。


「それはわかった。でも、それでなんで、神木を見ているんだよ」

「金字(きんじ)が、那智はこの神社の木の股から生まれたっていってたから。弟妹が生まれていないかと思って」


「アホ。おまえ、じいさまに騙されているよ。木から人間が生まれるわけないだろ」

「じゃあ、那智はどこから生まれたんだ?」


「もちろん、人間の女の人のお腹からだよ。おまえのお腹にへそがあるだろ。それが何よりの証拠だよ」


 衝撃を受けている那智の腕を、巳影はつかんだ。

 雨粒が肌に当たりはじめていた。神社から出て、家路を急ぐ。


「那智はどこのお腹から出てきたんだ?」


「さあ。おまえはじいさまがある日突然、どこからか連れてきた子供だから。母親は不明だ。

 キタリド様は戸籍を作らないし、残さないようにするから、手がかりもない。

 ただ、じいさまの隠し子って説が濃厚だから、父親はじいさまかもな」


 家の門をくぐり、裏庭へまわって、二人は蔵へ帰りつく。

 巳影はかぶせていた薄絹の衣をとって、乱れた髪を手櫛で直した。


「那智は人間なのか」

「当たり前だろ。人間以外のなんだよ」

「キタリド様」

「キタリド様は人間だよ。それ以外の何者でもない」


 那智はまた衝撃を受けた。唇を引き結ぶ。


「巳影も、キタリド様はウソだっていうのか。翠みたいに。

 キタリド様は家の守り神なんかじゃない。ただの頭のおかしい変人だって」


「翠? ――紫さんのお孫さんのことか? そんなこといっていたのか?」

「巳影もそう思っているのか」


 巳影は前髪をかきあげた。視線を上へやり、慎重に口を開く。


「俺はおまえのことを、頭がおかしいとか、変なやつとか、そんな風には思ってないよ」


 ほっと表情をゆるめた那智に、巳影は続ける。


「ただ、普通の人間だとは思ってる。俺たちとなんら変わりない、ただの人間だとは。キタリド様がなにか特別な存在だとは思ってない」


 那智の表情が、ふたたび険しくなった。猛然と反論する。


「なんでそんなこというんだ。金字は、会社の経営がうまくいっているのも、事故を間一髪で避けられたのも、宝くじが当たったのも、那智のおかげだっていってたぞ」


「へえ、初耳だな。おまえにはそういっていたのか。じいさま、親戚や知人友人には、まったく逆のこといっていたよ。


 会社がうまくいっているのも、九死に一生を得たのも、不意な大金を手に入れたのも、全部、自分の才覚と、日ごろの行いの良さと、自分の運の良さのおかげだって。


 酒の席になると、耳にタコができるくらいに、まわりにそう吹聴してたぞ」


 那智は文机に飾ってある写真立てをふり返った。

 パナマ帽をかぶり、はでな黄色いシャツを着て、金歯を輝かせながらニカッと笑っている老人をにらみつける。


「金字は目立ちたがりの、自慢しいだから! 皆にはええかっこしいしたんだ!」


「そんなことないだろ。確かにじいさまは自慢の多い人だったけど、見合うだけのことはしていた。


 不動産業をはじめて軌道に乗せたのはじいさまだ。これはおまえが生まれる前の話。

 じいさまは養護施設に多額の寄付をして、善行を積んでいたし、若いころに、海外のカジノで大もうけしたこともある。完全に運でな。


 おまえのおかげっていわれるより、じいさま自身の手柄っていわれた方が納得だよ」


 那智はにぎった拳をふるわせた。


「巳影は、那智のこと、信じてないのか」


「じゃあ、逆に聞くけど、おまえ、じいさまに何か助言とかしたことあるわけ? 事故に遭う日時を予言したとか、宝くじを代わりに買ったとか」


「……ない」

「だろ?」


 那智は白い頬をまっ赤にした。目の端に涙をにじませる。


「なんでそんな悔しそうにするんだよ。その方がいいだろ。普通の人間だった方が。

 本当に変な力でもあってみろ。大変だぞ。

 大勢に騒ぎ立てられたり、金もうけ目当てで誘拐されたり、今よりもっと自由の利かない立場になるかもしれない。その方が嫌だろ」


 いたわるように肩へ置かれた手を、那智は乱暴に払った。


「那智をキタリド様だって信じてないなら、巳影はなんで家守をやってるんだ」


「じいさまのいいつけだよ。十二で母親が死なれたとき、交換条件を出された。

 “おまえの母親が駆け落ちをしたときに、佐倉はおまえの母親とは縁を切った。おまえを引き取りたくはないが、家守になるなら、うちで十二分に面倒を見よう”――ってな。


 他に女がいた父親の所へは行きたくなかったし、施設送りも嫌だったから、うなずいた。それで家守になった。おまえをキタリド様として信じているかどうかは関係ない」


「那智をキタリド様、キタリド様って呼んでいたくせに! 心の中では那智のこと、バカにしてたんだな」


「心のなかでバカになんてしてないよ」

「本当に?」


「だって俺、おまえに面とむかってバカとかアホっていうだろ。一人でほくそ笑むような陰険なマネはしない」

「そういえばそうだな」


 那智は納得し、一拍おいて、怒りを爆発させた。


「巳影のバカ! キライだ! 大キライだ! 絶交だ!」

「ヘイヘイ。いわれなくとも退散するよ。仕事しないといけないから。部屋にいるから、なんかあったら呼びな」


「口も利かない!」

「そうかそうか。七度目の絶交宣言だもんな。今度こそ本気なんだな」

「本当の本当に本気だぞ!」


 まったく本気にしていない巳影を追い払うと、那智はぴしゃりと蔵の戸を閉めた。


*****


 次に蔵の戸が開いたのは、夕方だった。


 戸口から一歩出て、那智は庭の惨状に驚いた。

 地面は雨でぐしゃぐしゃで、落ち葉が散乱している。枝も何本か落ちていた。台風のせいだ。


 今は雨も風も小休止していて静かだが、庭に、どこからか飛んできたトタンが落ちているのを見れば、天気の荒れぐあいが分かるというものだ。


 那智は不安げに、雲のうず巻く空を見上げた。影のように暗い裏山におびえる。


「お腹空いた……」


 那智はたいてい昼食を摂らないので、夕方ともなると空腹だ。

 戸口におやつを見つけ、飛びつく。にんじんのケーキには、冷めないよう水筒に入れて、紅茶も添えてあった。


「……トレイは、自分で返さないとな。巳影とは絶交したから」


 那智は自分でトレイをもって、母屋に移った。

 おやつがあるということは、誰かがおやつを運んできているのだが、そこまではとんと考えが及ばない。


 銅音が帰ってきているらしい、居間から高い声がしている。那智は中をのぞいた。


「えーっ! 避難までするの? 大げさじゃないかな」


 銅音の話し相手は、巳影だ。片手でスマートフォンをいじっている。


「でも、金吾おじさんがわざわざ電話までかけてきたんだから。おじさんのためにも、避難しておくべきじゃないかな」


「パパってば、心配性なんだから」


「去年、おじさんの友人が、ゲリラ豪雨のせいで酷い目に遭ったらしいから、災害を心配するのも無理ないよ。

 今回の台風は勢力が強いし、一番危ないのは夜中だ。夜に避難しようと思っても難しい」


 テレビのニュースが、各地のいたましい被害状況を映し出していた。


「那智、今夜は外に泊まりに行くから。準備するぞ」

「……」


 ぷいっと顔をそむけた那智を、巳影は辛抱強くさとす。


「那智、絶交はな、していいときと、悪いときがあるんだぞ。今はダメなとき」

「みか君とキタリド様、絶交したの?」


 那智が何か言うより先に、銅音が興味津々で口をはさんだ。


「一時的に」

「ずっとだ!」


 さらりと返す巳影に、那智は肩をいからせた。


「もう巳影は家守じゃない。那智はこれから一人で生活する!」

「一人じゃ着物も着られないのに?」


 那智はさっそく言葉に詰まったが、銅音が加勢した。


「決めつけはよくないよ、みか君。キタリド様がしたいっていってるんだから、させてあげなよ。もう子供じゃないんだから。自分のことは自分でさせるべきだと思うな」


 銅音は親しげに、那智の両肩に手をおいた。嬉々としてたずねる。


「キタリド様、もう大人だもんね? みか君いなくても、大丈夫だよね?」

「うん」


「家守なんて、いらないよね?」

「いらない。だいたい、那智は巳影に家守になってくれなんて頼んでないからな」


 巳影が片眉をはね上げた。那智の両頬を両手ではさみ、いじめる。


「那ー智ー? おまえ、へそ曲げるのもいい加減にしとけよ?」

「痛い! でぃーぶい! でぃーぶいだ!」


 那智は暴れ騒いで巳影の手を外し、身をひるがえした。台所に駆けこむ。


 エプロン姿の女性が野菜を洗っていた。佐倉家で住みこみの家政婦をしている、弥生だ。那智にやさしくほほ笑む。


「ミツクラ様、わざわざお皿を返しに来て下さったんですね。ありがとうございます」

「これからは毎日返しに来るぞ。那智は一人で生活することにしたから」


「巳影さんはどうなさったんです?」

「巳影はクビにした。あんな裏切り者はもう知らない」


 つーんと、小さなあごをそらす那智に、弥生が目を丸くした。


「裏切り者なんて。巳影さんほど、ミツクラ様を大事にしている方はいないでしょうに」

「そんなことない。巳影はキタリド様なんて信じてないんだ」


 那智はふてくされた。台所の隅にあるスツールに座って、しょぼくれる。


「信じてないのに、キタリド様なんて呼んで。

 那智を大事扱っていたのだって、ただの金字のいいつけだし。

 本当は那智のことなんて好きじゃないんだ。全部、ウソだったんだ」


 大きな両目から涙がこぼれると、弥生があわててその背をさすった。


「そんなはずありませんよ。ミツクラ様はキタリド様です。本当に本物の」

「嘘だ。弥生だって本当は信じてないんだ。巳影の方がよっぽどキタリド様らしいって思ってるんだ」

「まさか! 巳影さんがミツクラ様にかなうものですか。次元がちがいます」


 弥生は涙でぬれている頬をタオルで押さえる。


「忘れもしませんわ。あれは十年前のお正月のことです。私、そのとき、とある悩みというか、困った事情を抱えていたんです。


 そしたら、寝ていたはずのミツクラ様が、唐突におっしゃったんです。

 “弥生の悩みは、松の内の間に解決するから、何も心配するな”って。

 その通り、私の困りごとは松の内中に解決しました」


 那智はまるで無知な顔をした。


「弥生の困りごとって、なんだったんだ?」


「当時、私は乱暴な夫から逃げるために、この家にお世話になっていたんですよ。

 ところが、夫がここまで追ってきて。私への腹いせに、この家に迷惑をかけるようなことをするものですから、夫の所へ戻ろうかと思い悩んでいたんです。


 でも、一月四日に、夫は飲酒運転で事故を起こし、頭部を強打して入院。

 以来、人が変わったように大人しくなって。

 ずっと拒んでいた離婚届にも署名してくれて、二度と私にはつきまとわないって約束してくれたんです。


 事故の原因も経緯もはっきりしていて、おかしなところはなかったですけれど、私、これはもう、絶対にキタリド様のお力なんだって信じましたわ」


 弥生は興奮ぎみに語り、那智の手をにぎった。

 が、当の本人の那智は、頼りない表情をする。


「……那智は弥生にそんなことをいった覚えがないぞ?」

「ミツクラ様、大旦那様にお屠蘇を飲ませてもらって、酔っていらしたから。覚えていらっしゃらないのかも」


 弥生は頬に手をあて、首をひねった。


「それにしても、変ですね。佐倉家の人間でもない家政婦の私が、キタリド様を信じているっていうのに、家守の巳影さんが信じてないなんて。そんなこと、あるかしら?」


 那智はエプロンの裾を引っぱった。


「弥生。弥生は那智の家守になってもいいぞ」

「あらうれしい。でも、巳影さんに嫉妬されそうですから。やめておきますわ」


 台所に、巳影が顔をのぞかせた。コンロにかかった鍋を見て、すまなさそうにする。


「夕食の支度してくれているところ、すいません、弥生さん。

 台風で裏山がくずれないか心配だから、今夜は駅前のホテルへ避難するようにって、金吾おじさんから連絡があったんです。

 夕食もホテルで取ることになったので、今日は夕食はいりません」


「わかりました。まだお湯を沸かしているだけだったから、よかったわ」


「荷物をまとめてください。宮子おばさんが自分の荷物を取りがてら、迎えに来てくれますから、銅音とその車でホテルへ。俺と那智は別の車で行きます」


 弥生はうなずいて、エプロンをはずした。荷物をまとめに、台所を出ていく。


「那智、聞こえてたろ。荷物もってきな。替えの襦袢だけもってこればいいから」

「……行かない」


「わかった。俺と行くのが嫌なら、おばさんの車に乗れ」

「避難なんてしない」


「那智。家に一人で残ったら、夕食ないぞ。それに、断水とか停電とかあったとき、一人じゃ対応できないだろ」

「いい!」

「那智!」


 とうとう巳影も声を荒げた。ちょうど帰ってきた宮子が、台所で足を止める。


「どうしたの、巳影君」

「那智が避難しないっていっていて。――なにが嫌なんだよ、那智」

「那智はこの家のキタリド様だから。避難なんてしない」


 那智のいい分に、巳影も宮子もあきれた。


「キタリド様だろうが何だろうが、土砂くずれでも起きたら、下敷きだぞ」

「もういいわよ、巳影。放っておきましょ。万が一の避難なんだし、一晩、一人で留守番させると思って置いていきましょう」


 宮子はさっさと那智に背をむけた。


「それより巳影君、悪いけど、おとなりさんを避難所に連れて行ってあげてくれない?

 おとなりさんも避難するみたいなんだけど、さっき表で、車のエンジンがかからなくて困っていらしたの。途中まで一緒に乗せて行ってあげて」


「――わかりました」


 巳影はなおも那智を気にしていたが、宮子の頼みにうなずいた。


「那智、本当にいいんだな?」

「……いい。巳影なんていらない」

「わかったよ」


 巳影は小さなスーツケースを引いて出て行った。どやどやと、宮子や銅音や弥生も出ていく。

 家には那智一人が残された。

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