第8話 本名と顔写真はネットに出回っていたからね
事故現場を離れた瑠架は河川敷の堤防を歩いていた。
もう今日が終わる。
瑠架は暗くなり始めた空を見上げていた。結局今日は何の収穫もなかった、と不服に思いながら鼻歌を歌う。
「知ってる。それグリーンスリーヴスだね」
ぴたりと鼻歌を止める。いつの間にか瑠架の前に男が立っていた。
男が愛想良く微笑むと、瑠架は警戒を強めて立ち止まる。どこまでもまっすぐ伸びる堤防に、その男が立ち塞がっていた。
「イギリス民謡だっけ。悲しいけど綺麗なメロディだよね」
この制服、茨野高校の生徒か。
エリート校の秀才坊ちゃんが何の用だ。瑠架は身構えた。念のため、ポケットの催涙スプレーに指を掛ける。
「ストップ。僕は君に危害を加えたりはしない。だからその……催涙スプレーは勘弁してくれないかな」
瑠架の動きが停止する。
どうしてそれを知っている――。
「実はさ、僕は見てたんだ。君がさっきの不良に催涙スプレーを掛けて、道路に突き飛ばした所をね――」
ヤバい、見られてた。瑠架がポケットの中の指を動かそうとすると、男は「ストップ、ストップ!」と声を張って両手を上げた。
「警察に言ったりしないから、スプレーは許して!」
男は
「ところでさ、グリーンスリーヴス好きなの」
瑠架は黙り込む。
好きかどうかは分からない、どこで聴いたのかも覚えていない。ただ子供の頃からずっと頭に残っているメロディだ。よく歌っているのにも特に理由はない。ただの癖と言っても良い。
「君、もしかして奈佐原瑠架さんじゃないかな」
「どうしてそれを!」
全身の血が冷たくなった。
創は「やっと声が聞けたよ」と満足そうに微笑む。
正体不明の男を前に警戒する瑠架。さらに創はとんでもない事を言い放った。
「君の本名と顔写真はネットに出回っていたからね。当時十一歳だっけ。今でも面影が残っているからすぐに分かったよ」
瑠架は創から顔を背けてフードを深く被る。
暴力、罵声。胸の奥で昔の記憶がぐつぐつ煮立って、体が燃えるように熱くなってきた。
「未成年が犯罪加害者になっても、顔や名前は公開しないって法律も当てにならないよね。ニュース報道から数時間で素性を特定されて、ネット上で顔も名前も住所も晒し上げられるんだから――」
「消えろ!」
瑠架は頭を抱えて叫んだ。困った顔をした創は「ごめん、悪かったよ」と頭を下げる。
「すまない。今のは僕が無神経過ぎた。人の家庭の事に――」
「もう、どっか行けよ」
瑠架はそう遮ると、創は何も言わずに立ち去って行った。
まったく気分の悪くなる事を思い出した。あれから四年以上経つのに、今でも覚えている者がいたとは……。
その時、また携帯電話が着信した。メール通知だ。
ナイト募集の書き込みを見た者からのメッセージだった。また使えない奴だったら嫌だな。瑠架は眉をひそめて内容を確認する。
【二十一歳(男) 大学中退、無職】
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