第7話 やーだよ

「でさあ、瑠架ちゃんって十六歳なんだっけ。どこの高校なの」

「行ってない」


「ええ、もしかしてドロップアウトしちゃったの。やんちゃだなあ」


 瑠架は相手に聞こえないように舌打ちし、テーブルの下に爪を立てて引っ掻いた。

 赤槻市駅前のショッピングモール。

 二日前に爆破事件があったばかりなのに、駅前繁華街はいつも通りの賑わいを取り戻している。若者に人気のオープンカフェがこの男との待ち合わせ場所だった。

「瑠架ちゃん、彼氏とかいないの」

「いない」

 この男の名前は何だったか。瑠架は再確認する気も失せていた。

 ツーブロックを汚く染めた髪型。ピアスも安っぽい輝きをした物を左耳に二つ付けている。不快なくらい香水臭い。肌蹴た胸元にはクロスのシルバーネックレス。人と話す時はその昆虫みたいなサングラスを外せ。

「瑠架ちゃんってクイーンなんでしょ。それならナイトは俺に任せとけば大丈夫だって」

 数日前、瑠架の元に通知が来た。

 小包にはシンプルな手紙と一緒にリングとネックレスが入っていた。大会開始までにナイトを決めたい。

 そう思って瑠架はSNSでネックレスを預けるべき相手を募集した。それで最初に連絡を寄越して来たのがこの男だ。

「腕には自信あるぜ。中学の時さ、隣の中学の三年のやつに絡まれたんだけどな――」

 まったく、期待外れだ。

 利用者の多いSNSで募集を掛けていたのが失敗だった。だからナンパ目的のこんな男が釣れてしまった。この男はたぶん役に立たない。

「俺って地元じゃそこそこ有名だし、みんなに声掛ければ結構人は集まるんだよね。チーマーやってる先輩もいるんだけど、連絡しとこっか」

 話しているだけ時間の無駄だ。

「ごめん。もういいや」

 立ち上がった瑠架は五百円玉をテーブルに置いた。男はぽかんと馬鹿面を晒して止まっていたが、瑠架は気にせずに立ち去った。


 まったく無駄な時間を過ごした……。

 瑠架はショッピングモールを出て、国道沿いの歩道を行く。片側三車線の道路に仕事からの帰路を急ぐ車がびゅんびゅん走っている。

 瑠架はポケットに手を入れて歩いていた。

 携帯電話をチェックする。さっきからメール受信通知が止まずに鳴り続けていた。複数のサイトで募集しているから次々とメッセージが届く。

「おい、待てよ!」

 さっきの男の声が後ろから追い掛けてきた。ああ鬱陶しい。目の前の歩行者信号が点滅している。渡ってしまおうと、瑠架は男の呼び声を無視して駆け出した。

「待てって言ってんだろが!」

 乱暴に肩を掴まれ、瑠架は立ち止まってしまった。男は威圧的に眉を寄せるが、昆虫みたいなサングラスが間抜けで笑える。

「なに勝手に帰ってんだ、ナメてんのかよ」

 あ、歩行者信号が赤になった。

 この男のせいだ。

 瑠架は舌打ちして男に向き直る。その態度が気に食わなかったのか、男は瑠架のパーカーの襟を掴んで引き寄せる。香水臭い。

 駅前から離れたので人足も途絶え、まったく通行人がいない。誰にも見られていないのを良い事に、男はさらに瑠架に詰め寄ってくる。

「何なんだよその態度。女だからって調子に乗ってんじゃねえぞ」

 瑠架はポケットから手のひら程度の大きさのスプレー缶を取り出し、男の顔の前に突き出す。

「男だからって調子に乗るなよ」

 スプレーを噴出すると、男は小さく呻いて両手で顔を覆う。

 催涙スプレーだ。苦しそうに身を屈めて「痛え痛え」と漏らし続ける男。瑠架は鼻で笑った。

「これはOCガスって言ってね、中身はカプサイシンなんだよ。トウガラシスプレーって事。今は苦しいだろうけど、命には別状ないよ」

 男はゲホゲホ咳込んで横断歩道の前に膝をついた。情けない姿を見て瑠架はまた笑ってしまう。

 そして――。

「でもお前は死ね」

 瑠架は男を車道に蹴り飛ばした。

 目を開けられない男は道路の真ん中で手を突き出して回っている。そして何台もの車が横断歩道に向かってきた。

「あははは。ドーン!」

 急ブレーキを踏む耳障りな音。その後に何かにぶつかった音がする。

 瑠架が覗き込むと、乗用車が男をねていた。男は道路に転がっている。

 五メートル以上飛ばされていて、サングラスも割れていた。

 コンビニや飲食店から、騒ぎを聞きつけた人達が出てくる。

 瑠架は野次馬に紛れて倒れた男に駆け寄る。意識はあるようだが、全身あちこち骨折していそうだ。瑠架は傍らに屈んでぽつりと言う。

「救急車、呼んでほしい?」

 瑠架の声に反応して男の肩が引き攣る。

 男の喉の奥から弱々しい声が返って来きた。よく聞き取れないが「ああ」とか「うん」に近い返事をしているようだ。

 瑠架は満面の笑みを浮かべて答える。

「やーだよ」

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