第6話 ねえ、もう死んじゃう?

 十月三日(木)

  ◆ミス・ポイズン&ミスター・ボマー◆


『ああ、私の愛した人は何て残酷な人。私の愛を投げ捨ててしまった。

 ずっとあなたを愛していた。側にいるだけで幸せでした。

 グリーンスリーヴスは私の喜び。

 グリーンスリーヴスは私の楽しみ。

 グリーンスリーヴスは私の魂。

 私のグリーンスリーヴス、あなた以外に誰がいるのでしょうか』


 夕日の差し込むワンルーム。

 奈佐原なさはら瑠架るかは部屋の隅で膝を抱え、グリーンスリーヴスを鼻で歌っていた。開けっ放しのベランダから涼しい秋風が吹き込んで来て髪に触れてゆく。

 外から一匹の蛾が迷い込んできた。

 頭上で忙しなくはねをばたつかせ、はらはら鱗粉が散らばった。瑠架は鼻歌交じりに眺める。

 瑠架は傍らの殺虫スプレーを手繰り寄せ、蛾に向かって噴射した。天井に薄い霧が掛かる。

 最近の殺虫剤は効果が大きいから使用量は少しで良い。あまりたくさん噴き掛けると、すぐに死んでしまうから。

 十秒もしない内に蛾の飛び方が揺らぐ。

 毒が効いてきた。

 成分はフェノトリンやフタルスリン。人間には無害だが羽虫には猛毒らしい。徐々に飛ぶ位置が低くなる。

 蛾は二度三度壁にぶつかり、ベランダの外へと逃げようと必死に翅を動かす。もう少しで外へ出られる、という所で瑠架が網戸を閉めた。


『あなたが望むものすべてを差し出そう、あなたに愛してもらえるなら。

 この命も何もかも差し出そう、たとへ貴方が私を嫌いになっても。

 ずっと私の心はあなたの虜のまま』


 蛾は何度も網戸に体当たりするが、やがて力尽きてフローリングに落ちた。苦しげに翅を震わせる。

 もう飛べない。

 瑠架は目を細めて静かに口を開く。

「ねえ、もう死んじゃう? 死んじゃうの?」

 死んでゆく。

 ゆっくりゆっくり死んでゆく。

 蛾は翅を微かに動かすのが精一杯だ。生きようとしている。瑠架は膝を抱えて動きの一つ一つを観察していた。やがて目蓋を閉じるように翅を止め、蛾は死んだ。

 よく見ると気持ち悪い模様の翅だし、色も汚くて形もいびつだ。気持ち悪い。

 瑠架は溜息をつき、死んだ蛾の触角を摘まんで立ち上がる。

 ベランダの網戸を開けて蛾の死骸を投げ捨てた。落ちていく所までは見ていない。そこまで興味がなかったから。

 瑠架の携帯電話が鳴った。

 午後五時を知らせるアラームだ。携帯のスケジュール帳を開く。今日の相手からのメールをもう一度確認しておいた。

「十九歳。フリーター、か」

 そろそろ出掛ける時間だ。瑠架は黒いパーカーに袖を通し、デスクの引き出しから青い石の首飾りを取り出してポケットに押し込む。

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