第5話 俺が玉川のナイトになる

「着いてこい」

 そう拓真が言ったので珠子は従った。良く分からないが何か後ろめたい気がして、拓真に逆らってはいけないと思った。


 二人は近くの公園のベンチに並んで座った。

 珠子は背中に定規でも入れられたように姿勢を正している。拓真は何も言わずにいるかと思えば、ちらちら珠子の様子を窺っていた。

「富田菜美絵に脅されてやってたんだよな」

 万引きの一件の事を言っている。珠子は少し逡巡して小さく頷いた。するとまた沈黙が始まる。気まずい。

 公園では小学生がボール投げをして遊んでいたり、おじいさんが犬を連れて散歩していたりする。夕方の空は徐々に夜の色が混じってきた。

 そろそろ帰りたいな……。

 珠子は困っていた。早くこの場から離れたいがきっかけを掴めない。珠子が少し手を動かしただけでも拓真の視線が追ってくる。


 その時、散歩していた人が珠子達の前で立ち止まった。

「君達、デート中かな?」

 妙に明るい声。顔を上げるとブレザー制服を着た男の人がいた。

「ち、違いますよ」

 拓真がすぐに否定する。焦った口調だった。珠子も首を横に振る。すると男はにんまり表情を緩めた。

「中学生なのに羨ましい限りだよ」

 通学鞄を軽々と肩に掛けて言った。高校生か。どこの制服だろうと思ってよく見てみると、襟の校章を見て珠子は驚いた。

「い、い、茨野高校の人ですか」

「そうだよ。僕は三年の芥川あくたがわそうって言うんだ。文豪っぽいでしょ」

 軽い口調で言っているが、茨野高校と言えば学区内でもトップの学校だ。東大京大への進学者も珍しくない。

 しかしこの創という人はどうもイメージが合わない。頭の良い人は変わり者なのだろうか。少なくとも、見知らぬ中学生に突然声を掛ける時点で変わり者だ。

「あ、そうだ――」

 ぽんと手を叩いて創は通学鞄からジャムパンを一つ取り出した。

「昼に買ったけど食うタイミングがなくてさ。せっかくだし二人で半分個して食べなよ」

 じゃあね、と言って創は行ってしまった。何だったのだろう。変な人だ。


 拓真はジャムパンの包みを開け、二つに割って大きい方を珠子に差し出した。よく分からない人だったが、創という男のおかげで珠子と拓真の間の空気が少し和んでいた。

 ありがとう、とパンを受け取った珠子は一口齧る。このジャムパンは甘い味がした。

「あのさ。玉川って、いつも富田に嫌がらせされてるのか」

 ジャムパンを持った珠子の手がぴたりと止まる。なかなか言葉も出てこない。その様子を見ていた拓真は続ける。

「俺さ、ああいうの見てると我慢できないんだ」

 どういう意味だろう。珠子は不思議そうに顔を上げる。

「弱い者いじめとか許せないんだ。なんて言うか、胸の中がグツグツ熱くなってさ、じっとしていられなくなる」

「正義のヒーローみたいだね」

 珠子の言葉で拓真の表情が緩んだ。

 彼の言動を見ていれば少しは分かる。拓真は正義という言葉に何らかの信念を持って生きているのだろう。

「玉川もほら、アレだぞ。何かキツイ事があったら俺に言えば良いんだぞ。今日みたいに富田に嫌がらせされたら俺に言え。また追い払ってやるから」

「うん、ありがとう……」

 嬉しかった。

 この世に味方などいなかったから、珠子にとって拓真の言葉は衝撃的だった。嘘だとしても、その場の勢いだとしても嬉しい。

「他にも何か困ってる事とかないのか。あるだろ玉川なら」

「何それ。私が悩みの倉庫みたいじゃない」

 そう言うと拓真は「おっと、すまん」と笑った。珠子も少しだけ笑った。作り笑い以外で笑ったのは何年振りだろう。

「困ってる事、か。そうだね、ええと――」

 考え始めてすぐ、珠子は一つの事を思い出した。ナップザックから木箱を取り出して蓋を開ける。中を覗いた拓真は怪訝そうに眉を寄せた。

「これね、来週から始まるセイブ・ザ・クイーンの指輪と首飾り。私さ、クイーンに選ばれちゃったの」

 拓真は両目を見開いて驚いている。その反応を見て珠子は苦笑して俯いた。

「そうだよね。私なんかには絶対無理だよね。ドジだしノロマだし、勉強もスポーツもダメ。友達もいない私がクイーンだなんておかしいよ」

「すごいじゃないか玉川。政府に選ばれたんだぞ」

 興奮気味の拓真。しかしそれとは正反対に沈んだ表情の珠子。

「嫌だよ。だってこわいもん……」

 拓真は首を傾げる。

「こわいって?」

「日向君もセイブ・ザ・クイーンって見た事あるよね。あんなに大勢で指輪の取り合いをするんだよ。みんな恐い顔で追いかけてくるし、怪我だってするかもしれない。私、競争なんて向いてないよ」

「チャンスじゃないか。やったことない事を経験すれば、新しい可能性を見つけられるかもしれないぞ」

「前の大会の最後。知らないの――」

 その瞬間、拓真の顔色が変わった。

 四年前の大会の幕切れは日本中誰もが知っている。それほど衝撃的だった。

「事故でも死んじゃう事があるんだよ。あんなの私、無理だよ……」

 珠子は膝を抱えて丸くなった。震える肩を自分できつく抱きしめる。


 死ぬ……。

 想像しただけで震えが止まらなくなった。


 拓真は木箱から首飾りを摘まみ取る。

「これがナイトの首飾り。ナイトはクイーンを守る役目なんだよな」

 珠子が顔を上げると、拓真が首飾りをぎゅっと握りしめた。

「俺が玉川のナイトになる」

「そ、そんな。日向君まで危ない目に遭うかもしれないんだよ」

 拓真は珠子の制止も聞かず首飾りを付けた。トップの青い石が夕日を受けて首元で輝く。

「俺に任せろ。正義のヒーローだぞ」

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