ラフロの身上(3)

 内戦終結は星間宇宙暦1432年。ラフロは八歳になっていた。


「八歳まで……」  

 デラは絶句する。


 両親と会うこともなく、身近な人間もなく、多感な時期を五年もほぼ一人ぼっちで子供が過ごしたらどうなるか。


(大切なものを無くしてしまったというのは)

 あるべきものを得られなかったという意味だろう。


「兄ちゃんは一切の感情を失ってたって」

 ほとんどの情動を感じられなかったという。

「義務だと思ってた剣の修業と一般教養の知識だけは学んでいたけど、それ以外がなんにもなくて」

「あの光景は忘れられないんな。やっと王宮に戻れたと思ったら、ラフロの瞳にはなにも色がなくって空虚だけが映ってたんな。ノルデはとんでもない罪を犯してしまったんな」

「ノルデはその頃から?」

 カレサにいたらしい。

「兄弟の父親、ミゲル王を助けてたんな。立派な考えを持った君主だったから勝たせようと思ったんな。それがなにを引き起こすかも予想できずに」

「渡した技術が父王を戦場に縛りつけた? それは結果論に思えるけど」

「事実は曲げようもないんな。失われたものも取り返せないんな」


 ゴート宙区で神のように扱われていようが完璧ではないという。特に人の感情にまつわる部分は彼らの予想を簡単にくつがえしてしまうと憂いた瞳で言った。


「絶望なら事態が好転すれば希望を与えることもできるんな。でも、最初から持っていないければ取り返すものもないんなー」

 ため息をもらす。

「与えられなかったんなら今からでもいいじゃない。大人になってからじゃ時間が掛かるかもしれないけど無理じゃないと思う」

「ノルデもそう思ったんな。ミゲルも母親のイクシラも頑張ったんな。でも、普通のやり方ではラフロの中にはなにも湧いてこなかったんな」

「四、五歳とか心の発達に一番重要な時期って聞いたことあるしなぁ」


 情緒の獲得に最も重要な時期とされる。家族を含めた大人たち、同年代の子供、そういった存在が身近にいれば心は正常に発達する。しかし、虐待などを受けていた場合は、身体が治っても精神的な傷は一生モノになってもおかしな話ではない。


「僕も悪いんだ」

 フロドの瞳にも影が落ちる。

「内戦後すぐに生まれたから両親の愛情も十分にもらって育った。でも、兄ちゃんの分は絶対に減ったと思うから」

「ミゲルたちはちゃんと親もしてたんな。普通の家庭に比べれば圧倒的に時間は足りないけどなー」

「そのまま大人に? それでラフロくんはこんな感じなのね」


 行動力はある。決断も早い。外的刺激には機敏に反応をできる。それは戦士の素養であって、修行のイメージトレーニングの中で培われたものと思われる。

 しかし、感情の動きから来る自発性に乏しい。どうしたいという情動がない所為だろう。誰かがどうしろという方向性を示されなければ自分から望んだりはしない。


(ノルデの説明は正しい。フロドくんのは本人が感じてる負い目みたいなものでしょうけど)

 心理学は畑違いもはなはだしいが、それくらいはわかる。


「基本的な欲求っていうのは人並みにあるんじゃないの? 感情ってそこを源にしている部分も多いと理解してるけど」

 そこから発達してくるのではないかと思う。

「薄いんなー。自分の立場じゃ我慢するのが当然と思ってしまったんな。幼い頃にはまだ残っていた両親への思いやりの心が生みだした判断がラフロの常識になって、一緒に薄れて消えていっちゃったんな」

「多くを望んで父親や母親の邪魔をしたくない。子供なら当たり前に望むものを封印してしまった? そうなの、ラフロくん」


 青年にとって弟はもちろんノルデも家族のように感じているだろう。彼らの分析は間違っていないと思うが、本人がどう感じているかも確認してみたかった。


「恵まれた守られている暮しをしていた。望むのは我儘というものだろう」

 彼にとってはそれが普通と感じている様子。

「そんなことないわ。あなたは望まなくてはならなかった。自分を守るためにも」

「十分に守られていた」

「でもね、あなたの心を守れるのもあなただけだったの」

 今さら言い聞かせても詮無いことかもしれない。

「自分の中から悲鳴が聞こえなくなる前に」

「理解はできる。結果的にフロドやノルデに迷惑をかけているのも不本意ではあるのだ」

「そうじゃなくて……」


 なにもないのではなさそうだが大きな欠損を感じる。少年の頃に砕けた心は元の形を失ったまま青年の中で息づいていた。


「で、今のこの生活はラフロっちの状態に関係あるのかい?」

 メギソンの疑問はデラのそれでもある。

「そうね。私もむしろ多くの人の中にいたほうが感情の萌芽の可能性は高まると思うんだけど」

「色々試してみたんな。高名な精神科の医師にも頼ったんなー。でも、変化が認められなかったんな」

「当然勧められるわよね。私だって思いつくくらいだもの」

 青年へと成長するまでの期間を費やしたという。

「あきらめたの?」

「普通の方法では無理だと思ったんな。だから特殊な方法を試みようと思ったんな」

「特殊な方法?」


 人間の精神科の医師でも匙を投げるような状態をどうにかする手段をゴート遺跡なら持っているというのだろうか。心の問題は不得手だと言っていたが。


「人間の原初の情動に訴えかけてみるんな」

 ノルデの金の瞳はあきらめていないという意思を示している。

「不思議を感じ、それに挑むんな。そこには怖れも期待も成功の喜びも失敗の悔しさもなにもかもあるはずなんな」

「普通の生活じゃ見られない不思議を兄ちゃんに見せてあげることにしたんだ。ありがたいことにノルデならどんな環境にも耐えられる機材を準備する技術を持ってる。そして、宇宙にはまだ誰も知らない不思議がたくさんある。それを探しに出かけようって」

「ああ、それで『従軍しない傭兵ソルジャーズ』なのね」

 理由にたどり着く。

「戦場も感情の渦巻く場所だけど、負の方向に偏ってるんな。それはラフロに与えたいものじゃないんなー」

「身内だけのただの冒険だと刺激が少ないんじゃないかって話になって星間管理局の人と相談してね、そっち方面の依頼を請けやすい契約にしてある」

「私たちも刺激の一つなわけね」

 フロドが経緯を教えてくれた。


 傭兵協会ソルジャーズユニオンは星間管理局との繋がりも深い公的機関。ゴート遺跡であるノルデの協力を得たい管理局は多少の無理は聞いてくれるのだという。


「フロドくんも負い目を感じて同行してるのか。ノルデのも償い? ゴート遺跡ってそんなこともするの?」

 人口知性だと思えば素朴な疑問も生まれる。

「ゼムナの遺志がサポートするのは選ばれた人間になるんだよ。そういうのを『協定者』っていうんだって」

「フロドの言ったとおりだ。ノルデの協定者は父上。われは無理を言って一緒に来てもらっている」

「ラフロが唯一示した欲求なんな。応えないわけにはいかないんなー」

 そう言うノルデの面持ちに浮かんでいる感情は母親のそれに見える。

「彼女にだけは執着があるのね。これくらい美少女ならわからなくもないけど」

「父上も母上も臣民のために全精力を内戦収束に傾けていたからね。全然余裕がなかったみたい。ただ、ノルデだけはときたま兄ちゃんを気にして話しかけていたからじゃないかな。アバターを飛ばしていただけでも救いになってたのかも」

われにとっては唯一つの拠り所だったのだ」

 フロドもラフロも彼女の軽口を聞きながす。


(空っぽじゃない。意思のきらめきは確実に感じられる)

 青年をそう評価する。


「わかったわ。じゃあ、刺激剤としてもっと親密に接しましょ。これからは呼び捨てにするからね、ラフロ。フロドも」

「うん!」

「ああ、かまわない」


 問題を抱えながらも誠実な青年をデラは見直していた。

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