第二十一話 初等部一年生の桃葉ちゃんが、伊織さんと出会った話。伊織さんの過去。
「……うん。
「感情を、ぶつけた?」
あたしがおどろくと、桃葉ちゃんがうなずいた。
「そうなの。わたし、その時に初めて、伊織君と会ったんだけど……アイツだって、心が反応したというか、気づいたんだ。あの
「えっ? えっと……桃葉ちゃんが小学一年生の時の話だよね? あっ、初等部か……。あれ? 伊織さんって、あたしたちと同い年じゃなかったっけ?」
あたしが空斗君に視線を向ければ、彼がニコリと笑い、うなずいた。
「そうだよ。僕らが小学一年生の時、彼も一年生だったんだ」
「えっ? 伊織さんって、そんなに小さいころから髪を染めてたの?」
あたしがたずねると、空斗君は首を横にふり、「染めてないよ」と教えてくれた。
「染めてない? えっ? 髪が白銀色で、目が黒いって……どこの人?」
あたしの言葉を聞いた空斗君が、真顔で「日本だよ」と答える。
「えっ? 日本? 日本人?」
「……えっと、伊織が、
「覚えてるけど……。藤の精霊の血を引いていたら、あの髪色になるってこと? でも、桜さんと店長さんは、黒髪なのに……」
「伊織はね、血が濃く出てるんだ」
「血……?」
「うん、先祖返りとも言うみたいだね」
「先祖返り?」
胸の辺りが、もやもやする。
あたしはそっと、自分の胸に手を当てる。
ゆっくりと、深呼吸をしているあたしを気にしてないのか、空斗君が話を続けた。
「昔はね、藤色の髪と瞳の赤ちゃんが生まれてたみたいだよ。藤の精霊が、藤色の髪と瞳を持ってるから」
「えっ?」
ドクンッ、と、胸が高鳴り、ブワッと、汗が出た。冷たい汗が背中を流れる。
胸がドキドキして苦しくて、身体が熱くて。
あたしは片手で胸をぎゅっと、強く押さえた。
「――でもね、ある時から……藤の精霊の血が濃い人は、白銀色の髪と藤色の瞳になったんだって。血が濃いと言っても、昔より薄くなっているのか、伊織は白銀色の髪と黒色の瞳で生まれたんだ」
身体が震える。心臓の音がうるさい。汗が、ダラダラ流れる。胸が痛くて、苦しくて、身体が熱くて涙があふれて、とまらなくて……。
――嫌いっ! 嫌いっ! 嫌いっ! 嫌いっ! 嫌いっ!
――藤の精霊は嫌いじゃないけど、あの男は嫌いなのっ!!
あたしの中から、ものすごい怒りがあふれ出し、心のままに叫び出しそうになった
――その時。
「空斗君」
と、怒りのこもった声がした。
桃葉ちゃんの声なのはわかるけど、こわいし、顔を見る元気はない。
あたしは胸から手を離し、震える手を顔に近づけた。手の甲で、涙をふく。
ふいてもふいても、涙がとまらないので、手を伸ばし、なにも言わずにティッシュを取る。そして、涙をふいた。
「大丈夫?」
桃葉ちゃんの声が聞こえた。
やさしい声だったので、大丈夫かなと思い、桃葉ちゃんがいる方に顔を向ければ、心配そうな表情の彼女が見えた。
「……大丈夫」
ではない。
だけど、大丈夫じゃないなんて言えば、空斗君が、かわいそうなことになる気がした。
なので、そう答えると、「なんか飲む?」って、桃葉ちゃんが聞いてきた。
「……飲まない」
「そう……」
「……伊織さんと、初めて会った話の続きを教えてほしいな」
「いいの? 楽しい話じゃないよ? 聞いてほしい気持ちはあるけど」
「聞いてほしい気持ちがあるの?」
「うん……。今は……話せないこともあるけど、わたしのことを深く知ってほしい気持ちがあるから」
「そう……」
「初めて伊織君を見たわたしはね、ものすごい、怒りを感じたの。怒ってるのに、涙が出てきて、号泣しながら、伊織君がいるところまで、走って行ったの。それから彼に、怒りをぶつけてね、桜さんにも、怒りをぶつけたの」
彼女の話を聞いてたら、身体が震えて、涙が流れた。
悲しくてせつなくて、胸が苦しくて。
だけど、桃葉ちゃんの過去も、伊織さんの過去も、知りたくて。
あたしはたずねる。
「……なんで、桜さんにも怒りをぶつけたの?」
「……桜さんのね、孫がいることは知ってたの。その孫が、白銀色の髪をしていることも、噂で聞いてたから……」
「噂?」
あたしが聞くと、桃葉ちゃんは小さくうなずく。
「うん。あたしが小さかったころからね、うちにきた人とか、幼稚部の子とかが、話してたの。白銀色の髪の小さい子を見たって。藤森家の子だろうって、みんな言ってた。伊織君を見た子たちはね、妖精みたいだったとか、人形みたいだったとか、無表情だけど、綺麗で可愛いとか言ってたんだ。みんな、彼のことが気になって、いろいろ噂してたの」
「……そうなんだ」
「でもね、わたしは桜さんと会っても、その話はしなかったんだ。わたしに会わせる気があるなら、そのうち連れてくるだろうって思ってたし……」
「……それで、なんで、桜さんにも怒りをぶつけたの?」
「……桜さんがね、時々、わたしに会いにきてくれてて、うれしかったんだ。なのに……わたしが嫌いな相手が生まれ変わってるのを知ってたのに、隠してたから……怒りがとまらなかったの」
「そうなんだ……」
「桜さんはね、そんなわたしに向かって、おだやかな表情で、話をしてくれたんだ。伊織君が前世を思い出したのは三歳だったらしくて、桜さんに言ったのは、小学校に入学する前だったんだって。それで、わたしのおばあちゃんに相談をした結果、わたしがもう少し、大人になったら話そうということになったって言ってた。その時は」
「その時はって、どういうこと?」
あたしが首をかしげると、桃葉ちゃんがつらそうな顔で語り出す。
「――翌日、桜さんが一人できたんだ。それでね、昔の話をしてくれたの」
「昔の?」
「うん。桜さんの娘さんがね、妊娠中に、
「そう……」
胸が苦しい。だけど胸に触れることなく、桃葉ちゃんにバレないように、深呼吸をする。
「それでね、おばあちゃんが、桜さんにそのことを話したんだって。桜さんは、彼女の家の屋敷神と、藤の精霊に伝えたみたい。屋敷神も藤の精霊も、伊織君の前世のことを知っているから」
「……そうなの?」
「うん。伊織君はわたしが前世で、怒りをぶつけた鬼だから、あの家に住んでたし。と言っても、家は何度か、建て替わってるみたいだけど……」
「あっ、前世の桃葉ちゃんが会いに行った家が、今の桜さんの家で、そのころから屋敷神と藤の精霊がいたってことか」
そう言ったあと、ん? って思った。
なんだろう?
胸の辺りが、もやもやするような……。
「……そうだよ。鬼の血が入ったことで、藤色の髪と瞳の子が生まれなくなったんだって。精霊の方が、強い力を持っているから、角は生えなかったらしいけど……」
「角……?」
あれ? あたしが伊織さんのことが気になってたのって、彼に、鬼の血が流れてるから?
「……それでね、伊織君のことなんだけど……。幼いころの伊織君は、他人の言っていることは理解できたし、数字も理解できたし、文字を書いたり、絵を描いたりもできたんだって。絵本も、読んでいるようだったし、運動もできたみたいなんだ。でも……言葉をほとんどしゃべらない子だったらしくて……」
「ほとんどしゃべらない子? 今も、ほとんどしゃべらないように見えるんだけど……」
「そうだね。でも、今よりもっと、しゃべらなかったみたいだよ。笑わないし、泣かないし、怒らないから、そんな伊織君を見た他人から、人形のようだとか、ふつうじゃないとか、おかしいって、言われてたみたいなの……」
ああ、苦しい。せつなくて、涙が出そうだ。
あたしがそっとうつむき、「……そう、なんだ……」と言った時。
「他人は無責任に、いろんなことを言うからね。真に受ける必要はないんだよ。自分の本当の気持ちがわからない人間なんて、たくさんいるのだから。相手が、自分は本音で話してるって、そう言ったとしても、それが本当の気持ちなのかはわからないんだ。本人が、そう思い込んでいるだけってこともあるからね。もちろん、信じたい人の言葉は信じたらいいんだけどね。自己責任で」
と、空斗君の声がした。
あたしはゆっくり、顔を上げる。
桃葉ちゃんと目が合った。不安げにゆれる瞳。
あたしがじっと、彼女の瞳を見つめると、桃葉ちゃんがまた、話し出す。
「……伊織君がね、小学校に上がる前、自分から桜さんに、前世の話をしたものだから、びっくりしたけど、うれしかったんだって。そう、桜さんに言われた時、わたし、悪いことしたなって、思ったの」
「…………」
「わたしが嫌いな相手はもう、あの鬼じゃなくて。まだ小さな子どもで。桜さんの孫なのに、いきなり怒りをぶつけるなんて、ひどい人間だなって思ったんだ……」
つらそうに顔をゆがめる桃葉ちゃんを見て、胸が苦しくなる。
なにか言わなきゃ!
「……そっか。でも、伊織さんと初めて出会った時は、桃葉ちゃんも一年生で、伊織さんと同じぐらい、小さかったんだし、しょうがなかったって思う。怒りや悲しみの感情って、とめられない時があると思うし」
「うん……。でもね、わたしは同じことを何度もやっちゃったの。今は、昔よりはマシになったと思う時もあるけど……あんまり変わってない気もする時もあるんだ……」
うつむく桃葉ちゃんを見て、あたしは悲しい気持ちになる。
どうしたらいいのだろう?
そう思っていると、「桃葉ちゃん」って、やわらかな声がした。
空斗君の声だ。
おだやかな表情の彼が、桃葉ちゃんのふわふわな桃色髪をやさしくポンポンする。
ゆっくりと顔を上げた桃葉ちゃんは、迷子の子どものような表情だった。
空斗君は、そんな彼女に微笑みかけると、口を開く。
「大丈夫だよ。桃葉ちゃんの気持ちは、僕が伊織に話してるし。それに伊織は、桃葉ちゃんのこと、幼い子どものように思ってるところがあるし、罪悪感があるから、桃葉ちゃんのことを悪く言ったりしないよ」
「…………」
ポロポロと、大粒の涙を流す桃葉ちゃん。
静かに泣く彼女のために、空斗君はティッシュと取って、桃葉ちゃんに渡した。
しばらくして。
泣きやんだ桃葉ちゃんが、話の続きを教えてくれた。
桜さんは、伊織さんを桃葉ちゃんに会わせたら、桃葉ちゃんが怒るだろうって思ったのだそうだ。
それがわかっていたから、会わせるのがこわかったらしい。
でも運命なのか、昨日、会ってしまった。
これも神さまのお導きかもしれないけれど、祖母としては複雑なの。
そう、桃葉ちゃんは桜さんに、言われたのだそうだ。
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