第三話 桜の木の前に、たたずむ女性の鬼と、白猫のリッカさん。

 がんばって、石段を上がっていたあたしは、気配を感じて、ピタリととまる。 

 ゆっくりとふり向くと、真っ白な猫が、軽やかな足取りで、石段を上がってくるのが見えた。

 白猫が、淡い青と、満月色のオッドアイを持っていることに気づき、ハッとする。

 リッカと、彼が呼んでいた猫に、そっくりだ。


 淡い青と、満月色のオッドアイを持つ、白猫は、あの日から、何度か見かけた。

 あたしがリッカさんと呼ぶと、返事をしてくれるのだ。


 白猫は、あたしがいるのに気づいているだろうに、気にせず、こちらに向かってくる。

 あたしは白猫に向かって、「リッカさん?」と呼んでみた。


 白猫はピタッと、足をとめ、あたしを見上げて、「ニャー」と鳴く。

 そして、石段を上がって行った。


♢♢♢


 上まで行くと、また、石の鳥居があったので、あたしは立ちどまり、呼吸を整えて、一礼してから、鳥居をくぐる。


 そういえば、狛犬がいないな……。


 水の神さまの神社には、一対の狛蛇こまへびが置いてあったけど、ここにはなにも置いてない。


 小さなおやしろに、鈴と、賽銭箱さいせんばこ


 なにかに導かれるように、迷うことなく進んだあたしは、一本の大きな木を見つけた。


 桜だと、思った。

 花がないのに。


 その木の前にたたずむのは、黒地に赤い椿つばき柄の傘を差す、着物姿の女性――。

 なのだけど、人間ではなくて、金色の二本角を頭に生やした――おにだ。


 背が高い。

 あたしよりも年上だろうか?


 なぜだろう?

 あたしは彼女を見て、身体を震わせ、「姉さま!!」と、叫んでいた。


 叫び、泣いていた。


 あたしは一人っ子だ。

 姉などいない。


 それなのになぜか、赤い椿柄の傘を差し、まとめ髪に、銀色の蝶モチーフのかんざしをさして、黒地に赤い牡丹ぼたん柄の着物を身にまとう、女性の鬼に向かって、そう言ったのだ。


 ――違うっ! 姉さまじゃないっ!


 心の中で、だれかが叫ぶ。


 わかってる。あたしに姉さまなんて、いないのだし。

 姉さまなんて、幼いころのあたしの妄想……。


 ――違うっ! 違うのっ! 姉さまはいるのっ!


 心が、叫ぶ。

 胸が痛くて、苦しくて、あたしは赤い色の傘を落とした。


 そして。


 あたしはぎゅっと、両手で強く胸を押さえながら、買った物をリュックサックに入れておいてよかったとか、ノートパソコンを持ってなくてよかったとか、そんなことを思った。


 このリュックサックは防水、防臭、抗菌って書いてあったすごい物だから、雨にぬれるぐらい大丈夫なはずだ。


 ドクドク、ドクドク、心臓の音。


 ――痛いのっ! 苦しいのっ! 姉さま、助けてっ!!


 姉さまなんか、いないんだって!


 あたし、おかしい。

 苦しいよ……。


 右手で、胸を押さえたまま、次から次へとあふれ出し、落ちてゆく涙をふく。

 何回ふいても、とまらない。


 雨も降ってるから、どれが涙か、わからない。

 目を開けていることも、できていない。


 熱くて、苦しくて、痛い、身体。

 これが号泣か。そう思うぐらいに、泣きじゃくる自分がいる。

 もう、どうしたらいいのか、わからない。


 こんなこと、初めてだ。

 初めて? 初めてっけ?


 そんなあたしに近づく足音。


わたし貴女あなたの姉じゃないわ」


 やわらかな声が聞こえたと思ったら、冷たいなにかが頬に触れた。


 ん? 手? なんか、頬をなでられてるんだけど。


 そして、あごを触られてるんだけど、どうしたらいいのだろう?


 人に触られるのは嫌いなのに、彼女は嫌じゃない。


 鬼だからだろうか?


 鬼と会ったのは初めてなので、わからない。

 そういえば、昔……あたしは自分のことを鬼だと……。


 昔のことを思い出していたら、あごを上に向けて、クイっとされた。


 目が合う。顔が近い。ドキドキする。


 漆黒しっこくの髪、美しい眉、漆黒の双眸そうぼう、小さな鼻、撫子なでしこ色の唇。透き通るような白い肌。


 しばらくの間、見つめ合う。

 なんだろう? なつかしい感じがする。


 あっ、そうだ! 思い出したっ!


 力の強い鬼は、弱い者の目を見つめることで、記憶を読むことができるのだ。


 そうか。うん、まあいいや。


 この鬼に、あたしの記憶を読まれても、なにも困ることはない。

 嫌な感じは、全くしないし。


 女性の鬼は、あでやかに笑うと、あたしの頭をやさしくなでた。


「会えるといいわね。貴女の愛するお姉様に」

「えっ?」


 愛するお姉さまと言われて、なにか知っているのかと、聞きたかった。


 だけど。


 彼女はスタスタと、桜の木のそばに向かって、歩いて行く。


 桜の木の枝から、ぴょんと下りる白い猫。

 淡い青と、満月色のオッドアイを持つ白猫の近くに、椿柄の傘がある。


 女性の鬼は、椿柄の傘を拾うと、「行くわよ、リッカ」と、白猫に話しかけて、さっさと立ち去ってしまった。

 ニャーと、返事をした白猫と共に。


 知り合い?


 あたしはそのあと、赤い傘を拾ってから、神社にお参りをした。

 なにを言えばいいのか、わからなかったんだけど、なんとなく、お参りをしておこうと、思ったのだ。


♢♢♢


 雨がやんだので、傘をたたんで、石段を下りる。


 椿は、冬になっても葉を落とさないので、霊力を持つ樹木と言われていた。厄除けとしても使われていたはずだ。


 牡丹は、良い前兆のあらわれだったと思い出す。


 なぜ、こんなことを知ってるのだろうか?

 どこかで聞いたのか、それとも、本で読んだのか。考えても、わからなかった。

 椿の木は、実家の近くにある神社のそばに、あったけど、椿について、書かれている看板なんて、なかったはずだ。


 こいのあやかし――ルージュさんは、もういない。

 猫がいる。たくさんいる。


 ルージュさん、大丈夫かな?

 猫と一緒にいるのを見たことあるし、大丈夫かな?

 元気だといいけど。


 星月町ほしづきまちには猫が多い。

 なので、猫がいるのはいつものことなんだけど、なんだか不安になる。

 ふつうの猫に見えるのもいるんだけど、たまに、人間の言葉をしゃべったり、尻尾が二本ある猫も、いるんだよね……。

 二本足で立って、歩く猫も、いたりするんだ。


 あやかしだと思うんだけど、ふつうの猫に見える猫たちと、一緒にいたりするから、わかりにくい。


 地元にいた時は、猫のあやかしはいなかったと思うんだけど、実はいたのかな? 

 気づかなかっただけで。


 あたしが地元にいた時は、学校に行く時以外、ほとんど外に出なかった。

 どこかに行ったのは、学校帰りに、神社に寄ったぐらいだ。

 カラスはよく見た記憶があるけど、猫はあまり覚えてない。


 短大の図書館にあった妖怪の本には、猫又とか、化け猫とか書いてあったけど、それなのだろうか?

 妖怪とあやかしの違いがわからない。


 短大の図書館に、あやかしと書いてある本はなかった。図書館の人には聞いてないけど。

 鬼のことは調べた。昔から鬼が、気になるからだ。


 短大の図書館にある妖怪の本に書かれている鬼のことを読んだけど、違うと感じた。

 だから、妖怪とあやかしは違うと思う。


♢♢♢


 あたしは幼いころ、自分は鬼だと、思い込んでいた。

 他の人には見えない存在――あやかしを見るのも、自分が鬼だからだと思い、周りの人に、そう言っていた。


 でも、鬼という言葉は通じても、あやかしという言葉は、みんなに理解されなかった。

 あたしが見ているものは、保育園で読んだ絵本では、オバケだと書いてあった。

 保育園の先生や、保育園の子たちも、そう呼んでいた。


 あやかしだと言っても、わかってくれなかったから、傘のオバケがいるとか、火の玉みたいなオバケがいるとか、クマのぬいぐるみのオバケがいるとか、伝えたんだけど、子どもたちには、こわがられるだけだった。

 先生には、ウソばかり言うなと、叱られた。


 あたしはみんなをこわがらせたかったわけではなくて、ただ、見たものを伝えて、わかってほしかっただけだ。

 でも、両親や親戚の人たちに、あやかしのことを伝えても、反応は、似たようなものだった。


 保育園で、鬼が出てくる絵本を読んだけど、自分の知ってる鬼ではなかったため、読まなくなった。

 いろいろな妖怪が出てくる絵本を持ってきて、鬼は妖怪なんだよと、教えてくれる保育園の先生もいた。


 あやかしじゃないんだよと。


 あたしは保育園の子たちから、妖怪女と呼ばれるようになった。


 あたしは鬼で、本当は双子なんだと。自分は双子の妹で、姉さまがいるのだと。

 そう思って、いるはずのない姉をさがしていたこともある。


 気づけば周りから、こわがられていた。

 ウソつきとか、気持ち悪いとか、気味の悪い子だとか、他にも、いろいろ言われたし、無視されたりもした。

 だから、小学生になってから、自分が鬼だということは、自分からは話さなくなった。

 あやかしのことも、自分からは言わなくなった。

 聞かれたら、話していたように思うけど……。


 それなのに。


 あたしが、ふしぎなことを言う、おかしな子だということは、小学校でも言われていたし、中学校でも言われいた。そして、高校に入ってからも言われた。

 中学生とか、高校生になると、あたしの噂だけを知っている女子たちが、キャッキャと笑いながら集まって、妖怪のことを教えてって、話しかけてくれたりもした。


 あやかしなのに。


 あやかしのことを一生懸命、話しても、『ウケる!』とか、手を叩いて、喜ばれたりした。

 あたしには、意味がわからなくて、どうしたらいいのか、わからなかった。


 自分なりに、わかりやすく、伝えたつもりだったけど、理解してもらえたような気はしなかった。


 そういう人たちは、すぐに飽きて、離れていく。

 あたしのことなんて、どうでもよかったのだろう。


 ふうと、息を吐き、足をとめる。


 土と草の匂い。セミの声。

 空をあおげば、どんよりとした雲が見えた。


 風が吹く。しめった風が、あたしの肌にまとわりついた。


「……姉さま、か……」

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