13
カナエが、私の存在を希望にしてくれているのだと聞いたとき、嬉しかった。私がしようとしていることは、そのカナエの希望をなくすことになるのかもしれない。
でも、私が存在することで生きていられるはずだった人の運命が変わってしまうのなら、私は自分の運命に向き合わないといけない。命に代わりなんてないのだから。
「カナエ、連れて行ってほしいところがあるんだけど良い?」
最後に少しだけ、カナエと死神の役割のことを何も考えずに過ごす時間が欲しかった。
「もちろん良いけど……」
カナエは私の真意を探るように見つめてくる。その視線に耐えられなくて、すぐに逸らしてしまった。私のことをよく見てきたカナエなら、少しの変化で気づいてしまいそうだ……私の覚悟を。
「気分、変えたくて」
「そう。なら今すぐにでも行きましょう」
カナエに抱えられながら、名残惜しむように町並みを眺める。カナエに頼んで、なるべく地上に近い位置をゆっくり飛んでもらった。心なしかカラスやそのほかの鳥達に注目されているような気がする。
そんな思わぬ所からの視線を浴びながらも、私は目に映る全てを宝箱に収めていくように眺めた。
青い空。行き交う人々。みんなそれぞれの事情を持って同じ道を歩いている。
全ての景色が最後になると思うと、どれだけでも視界に入れてしまいたくなった。
みよりさんのマンションの前にさしかかると、みよりさんとお子さんが家から出てくるのが見えた。二人にとって今日もまた、変わらない日常が始まるのだ。
里花ちゃんの家の近くを通り過ぎると、男性の隣を歩きながらもどこか暗い表情をした里花ちゃんのお母さんがいた。何も気にしていない様子なのではないかと危惧していたけれど、思い過ごしだったようで少し安心する。
富谷君の家の前では、登校前の東さんが佇んでいた。家が隣なのだから一緒に帰ってもいたことだし、登校時もそうだったのだろう……きっと、あの時見たように仲睦まじく。
その手には、富谷君からもらったネックレスが握られていた。
私も残りの時間、カナエと見送った三人のことを想おう。姿はなくても、この世界にみんながいたことはなくならない。三人だけじゃない、誰もがみんなそうで……私もそんな存在であるかは分からないけれど、少なくとも今すぐ側にそれを証明してくれそうな子がいる。
ふと視界の端に、カナエと出会った場所が映る。
あの時私は、この世界からいなくなっても良いと思っていた。
今も、他の誰かの人生を変えてしまうぐらいならいなくなってしまいたいと思っている。
でも……カナエの目の前からいなくなることに恐怖を感じてもいた。出来ることならもっと一緒にいて、あの頃一緒に遊べなかった分カナエといろんな所へ行きたい。
小さかった頃のカナエが、最後に思い浮かべたのが私の笑顔だったなら……それをもっとカナエに見せたかった。もっと笑い合いたかった。
今更もっと生きたいと願うなんて、遅い。けれどカナエに出会わなければ、私はただ流されるままに、いつ死んでも良いと人形のように生きるままだっただろう。
目的地に着くと、カナエは不思議そうに言う。
「展望台なんて……飛んでればいくらでも景色見られるのに」
「良いじゃん、飛んでたらカナエもゆっくりできないだろうし。二人で見ようよ」
手を引くと、カナエは素直に着いてくる。こうすることも、もうできないんだ。
口では納得いかなさそうだったのに、ほんのり嬉しそうな表情のカナエを横目で見たら胸が苦しくなった。
謝りたいけど、それをしたらカナエには一瞬で分かってしまうだろう。私が何をしようとしているのか。
「カナエは、小さい頃に行きたかった所とかないの?」
「分からない。けど、ユメノとだったらどこへでも行きたい」
あまりにもまっすぐな言葉が返ってきて、言葉に詰まる。
「……いつか、動物園とか遊園地とか行ってみたいね」
「うん」
「プラネタリウムとか、科学館とかも良いかも」
叶うことはないのに、カナエとの未来はいくらでも想像できた。
「うん」
二人で景色を眺めていると、候補がたくさん浮かんでくる。でもその未来がくることは、ない。
「美術館とか、博物館も……きっと、二人で行ったら楽しいよね」
「ユメノ……なんで泣いているの」
自分の声が震えてしまっていることに、カナエに言われて初めて気づいた。慌てて頬の滴を拭うと笑って誤魔化そうとする。
「ほら、あそこに城も見えるし……まだまだたくさん候補があるよ」
景色の中に忽然と佇む有名な城を指し示すと、カナエはさっきまでよりも間を開けて頷いた。
「……うん」
陰りが差すカナエの表情を見て、私はその手を再びとった。しっかり繋ぐと、低温だけどぬくもりを感じる。カナエが繋げてくれた時間を手放してごめんね。でも、カナエのおかげで私は生きていることを感じられたし、初めてもっと生きたいと思えた。だから――。
「ありがとう、カナエ」
「……私がしたかっただけ」
カナエは少し拗ねたように言った。私はその頭を思いっきりなでる。くすぐったそうに受け止めた後、カナエは私の身体を思いっきり抱きしめた。痛いぐらいに。
私も、思いっきりカナエを抱きしめた。好きだという気持ちと感謝の気持ちが届くように。
カナエは、小さい頃一人で過ごすことが多かったと言っていた。聞いた話からすると、もしかしたらこんな風にお母さんと抱きしめ合うこともなかったのかもしれない。私も、物心つく頃にはもう家族はいなかった。
抱きしめるって……腕の中の相手のことを大切だと思えば思うほど、力が入ってしまうものなのかもしれない。
「カナエ……私、カナエと会うまで自分はいつ死んでも良いと思ってた。見える世界はいつも灰色で、まるで誰かに操られているみたいに自分の意志がなかった。でも、カナエと過ごしているうちに初めて生きているって思えたんだ」
そこから後は、もうカナエの顔を見ることは出来なくて、ただただ強く抱きしめた。
帰り道、カナエはとても心許ない表情をして私の後を着いてくる。初めて出会った時の幼い姿のカナエと重なって見えて、苦しい。
後ろ髪引かれる思いを振り切るように小走りをして、少しカナエから離れると、どこにいるかも分からないまま大声で呼んだ。
「ツムグ」
まるで待ち構えていたかのように、すぐ姿を現したツムグは私が何を言いたいのか悟っているようだった。
「カナエ、ユメノさんのことを思っているんだったら、彼女の思うとおりにしてあげるのが一番なんじゃないかな」
「嫌だ、聞きたくない」
瞳に滴を貯めて私に近づこうとするカナエを見ないようにしながら、ツムグに向かって言う。
「カナエを、よろしくね」
「……お安いご用で」
カナエの動きを止めるツムグを確認してから、私はひたすら走った。どこに向かうのかなんて決めていない。ただ、私を生きさせようとするカナエから離れないと……そうしないと、私はまだここにいたいと思ってしまうからダメなんだ。
普通なら走って苦しくなるはずの息も、全く変わらない。私は本当に、どっちつかずの存在だったみたいだ。
ふと、最初にカナエと出会った場所に差し掛かって思わず立ち止まる。
ここから、全てが始まった。抜け殻のようだった私は、いつ死んでも構わないなんて思っていた。でも、カナエが変えてくれなかったら……本当だったらあの時、私はもう――。
そう考えていると、不意に子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。その声は、お母さんの制止を聞くことなく、どんどん進んでいく。そっちはダメ、車が通っているから止まって。
身体が勝手に動く。気づかずに走る男の子を歩道に向かって押した。良かった、これでもう大丈夫――そう思う間もなく、身体に例えようのない衝撃が走った。
大きな音と、身体が宙に浮いた感覚。それ以外はもう、何も分からない。
途切れ途切れの意識。
やがて、いつの間にかカナエの声がして、また子供のようにむせび泣いていた。泣き止んでほしくて頭をなでようとしても身体が全く動かない。それどころか、燃えているように全身が熱い。
私はカナエに、出ない声を振り絞った。カナエに聞こえていたかどうかは、分からない。
「また、会おう」
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