10

 次の日、カナエに朝から連れ出された先は、とある高校の体育館前だった。そこに、タイミング良く部活の朝練で来た男子高校生が通りがかる。

 その様子を眺めながら、カナエは冷静な声で言った。


「彼は富谷龍登とみやりゅうと。期限は明日の夜」


「明日……!?」


 驚きすぎて思わず大声を上げてしまう。


「今まで三日前とか二日前だったのに、どうして急に……」


「……別に、理由はない。対象者とあまり近づきすぎない方が、ユメノも辛くならないで済むって気づいたから」


「でも、それじゃ……」


 彼の時間は、後二四時間もないかもしれないということだ。


「私のことは良いから、もっと前もって教えてほしいよ。だって、これだと本当に何も出来ない」


「それは無理。だって、これはユメノが――」


 何かを言いかけたのに、カナエはそのまま押し黙ってしまった。続きを促そうとしたら富谷君が急に走り出して意識はそっちに持っていかれる。

 私は何も考えずに後を追って走り出した。富谷君がここにいられる残りの時間に何かできることがあるなら、サポートしたい。

 佐藤さんが家族と会えたときの笑顔も、里花ちゃんが私達と過ごしている間にみせてくれた笑顔も、ただの私の自己満足に過ぎないかもしれない。だけど、知ったからには何かせずにはいられない。

 そういうところを、カナエは止めたかったのかもしれないけれど。


「カナエ、ごめん」


 隣に並ぶカナエは何について謝られたのか、それだけで分かったようで前を向いたまま言った。


「ユメノが辛くなることなら止めるけど、したいことなら止めない」


 心強い味方のような言葉に、ふと泣きそうになってしまう。

 カナエによって全く未知の領域にきてしまったというのに、こんなにも信頼できてしまうのは、きっとカナエから悪意を全く感じないからだ。それどころか、何故か私のためなら何でもしてしまいそうな空気がある。

 その理由もカナエの過去と関係があるのかもしれないと仄かに思い始めていた。


 他の人達には見えない、透明なまま富谷君の一日を追っていくと、すっかり辺りは暗くなっていた。運動部の練習時間はすさまじい。


「龍登」


 富谷君が親しげな様子の女の子に呼ばれると、周りにいた同じ部員の人達が冷やかしはじめる。その様子から二人は付き合っているのかと思ったのだけれど、どうやらまだそこまでではなさそうで、二人して否定しながらも並んで帰っていった。

 私達も後を追う。二人の間には、なんとなく甘酸っぱい雰囲気が漂っていて見ているこちらまで体温が上がってしまう。

 隣を歩くカナエは相変わらずの無表情だった。

 そのまま、二人は隣同士の家に帰っていき、私とカナエはしばらくその場に立ち尽くす。


「……何か、できることってないのかな」


「二人は、幼なじみみたい。女の子の方は東美咲。明日は東美咲あずまみさきの誕生日。そのプレゼントのために富谷龍登はアルバイトをしている。買うものは決まっているみたいで、今日終わった後そのまま買いに行く」


 カナエの説明は、まるで全て見てきたかのような口ぶりだった。


「もしかして、調べてくれたの?」


「……死神だったら、これぐらい知っていて当然」


「でも、今までそこまで言ってくれなかったよね……ありがとう」


 私が傷つかないように敢えて直前に伝えて、今も必要なことを教えてくれる。ずっと言ってくれない理由も、カナエが言おうと思うまで待っていても良いのかもしれない。

 程なくして、富谷君が玄関から出てきた。私とカナエはまるでストーカーのように後をついていく。

 ファミリーレストランに着くと、富谷君は気を引き締めるように一旦立ち止まってから中へ入っていった。飲食店で真面目に仕事をこなす富谷君を、私とカナエは誰にも見えないのを良いことに店の窓に張り付くようにして見る。

 遅くまでの部活もあったのに、全く苦にしていない様子を眺めながらカナエはぽつりと呟く。


「ああいう風に出来るのは、東美咲さんのため?」


「そう……だね。誰かのためだから余計に頑張れるっていうのも、あると思う」


 私は富谷君ではないから百パーセントそうだと保証はできないけど、そもそも東さんのために始めたことなわけだし、原動力がそうであることは間違いないと思う。

 カナエの求めていた答えだっただろうかと隣を窺えば、何故かカナエは拳を握りしめていた。


「私も……私は、これ以上何が出来るか、分からない」


 絞り出すようにそう言うと、悔しそうに俯く。

 話しかけられるような雰囲気ではなくて、富谷君が店から出てくるまで私達の間にはただひたすら沈黙が流れていた。

 富谷君がプレゼントを買い、家に帰るまで見届け、私達も帰路を歩く。


「このまま、何か私達で出来ることはないのかな」


「……これで良いんじゃない。きっと、あの二人のことはあの二人の間で完結するのだろうし」


「そう……だね」


 カナエの言葉は考えあぐねていた私の心にすんなりと入ってきて、深く頷き返した。佐藤さんの時も里花ちゃんの時も、伝わっていない伝わらないものもあったけれど、今富谷君にあるべきなのは東さんと過ごす当たり前の日常だ。

 次の日。私とカナエは富谷君達を見守りながら後を着いていった。

 食べ物屋さんでは同じ店で何かを頼み、ゲームセンターでは私達も同じように遊ぶ。道すがらでの何気ない会話、東さんの笑顔を嬉しそうに見つめる富谷君を見ていると、温かい気持ちになると同時に二人の時間がずっと続けば良いのにと願ってしまった。

 あっという間に空は紺色に染まりだし、富谷君達は隣同士の家前まで戻ってくる。昨日話していたとおり特に何のトラブルもなく、私達が出る幕なんてなかった。

 富谷君が想いを告白すると、東さんも同じ気持ちを伝え返す。

 富谷君が渡したプレゼントの箱を東さんは感激した様子で受け取り、大事そうに腕の中へ抱きしめる。それから、富谷君に何かを言うと、富谷君は東さんから受け取ったプレゼントの箱からネックレスを取り出した。どうやら、今付けてあげるようだ。

 富谷君に背を向けた東さんの瞳は心なしか潤んでいるように見えた。


「また明日」


 響いた言葉に、私は自然と涙が溢れてきてしまった。


「やっぱり、変えちゃダメなんだよね……?」


 私の問いにカナエはしばらくの間沈黙する。それから言葉を選ぶように辿々しく言った。


「ごめん、ユメノ」


「ううん……こっちこそ困らせてごめん」


 カナエは日付が変わる数分前に私を家に残すと、死神の役割を果たしに富谷君の元へ向かった。

 カナエを待っている間じっとしたままではいられず、ベランダに出て月を見上げていると、

 

「あーあ、やっと近づけた」


 突然すぐ後ろから声がして振り向く。声の主はあぐらをかいた姿勢のまま宙に浮いていた。見た目は中学生くらいの少年だけど、明らかに異質な存在感だった。


「どうも、ツムグでーす」


 軽薄そうな笑みを浮かべながら私を見る。何か嫌な予感がして一歩後退ると、疑問を口にした。


「やっと近づけたって、どういうこと?」


「なるほどね……そういうの全部説明してないんだ、カナエ」


 宙に浮いていることからなんとなく予想はついていたけれど、カナエを知っているということは彼も死神なのだろう。


「説明してないって――」


「でも、そりゃそうか。本当のこと知ったら、今のままじゃいられなくなっちゃうだろうし。あーあ、これ言ったら怒るだろうな~。でもまあいっか、いずれは分かることだろうし良いよね。それに、こうするのが一番正しい」


 ツムグは私の言葉を遮った後、独り言を言うようにつらつらと話し続ける。

 それから、私の目をまっすぐ捉えて言った。


「……君、本当だったらとっくに生きていないはずの存在なんだよね」


 今し方彼が口にした言葉を、すぐには理解できなかった。頭の中が真っ白になって『生きていないはずの存在』という言葉だけが反芻される。


「どういう、こと……?」


「それはほら、本人に聞いた方が良いかもよ~。ほら、もうすぐここに来るし」


 言われてツムグの視線の先を辿ると、カナエがとてつもない速さでこちらに向かってきていた。近くまで来ると私を守るように後ろへ引き寄せ、ツムグとの間に立つ。


「ユメノに何かしたら許さない」


「怖いなあ。俺はただ、忠告しに来ただけなんだけど」


 語気を強めるカナエに、ツムグはペースを崩すことなく表情も軽薄な笑みを浮かべたままだ。そんなツムグにカナエはより一層敵意をむき出しにする。

 私は混乱した頭のまま、カナエに問いかけた。


「ねえカナエ、私本当なら今、生きていないはずなの……?」


 少しの動揺もみせなかったカナエの肩がぴくりと動く。それを見たツムグは楽しそうに笑った。


「運命にごまかしは効かないよ。じゃ、そういうことで。俺怒られるの嫌いだから退散しまーす」


 言うが早いか、ツムグはあっという間に私達から離れて空に向かって去っていく。心許なくてカナエの服を掴んだけれど、それでも立っているのがやっとだった。


「カナエ、説明して」


 震える声で言うと、カナエはゆっくりと振り向いて、初めて泣きそうな表情を私に見せた。


「もう黙っていても仕方ない……のか」

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