8

 朝目覚めると、カナエは温かい珈琲をくれた。シンプルなデザインのマグカップで、カナエの持っているものと色違いだ。湯気がでていて、香りも良い。


「ありがとう」 


 言いながら視線を向けると、カナエは自分のマグカップの中へドバドバと砂糖を入れていた。そんなに入れるの?と心の中でツッコミながらも、せっかくだからと用意してくれた珈琲を一口飲む。私好みの苦みとまろやさ。これも偶然なのだろうか。

 表面にはミルクの白が弧をえがいている。そのまま、もう一口温かさを感じながら味わう。

 その間にカナエは窓の方へ移動していて、外を眺めながら少しずつ飲み始めた。


「もしかして、熱いの苦手?」


「分からない。けど、熱いと飲めない」


 それを苦手って言うんじゃないのかな……と思いながら苦笑する。

 カナエが人間だった頃も熱いものが飲めなかったんだろうな。想像すると何だか可愛らしくて今いるカナエを微笑ましく見てしまう。カナエ自身は何も言っていなかったけれど、ブランコに少ししか思い出がないのなら、きっと人間だったのは小さい頃の少しの期間だったのではないか。それこそ、里花ちゃんぐらいの。

 だから、想像したのは子供の姿のカナエだ。

 それから、里花ちゃんのことも思い浮かべる。今日も一人でいたなら、私達で精一杯楽しませたい。この先里花ちゃんにどんなことが待っているのか分からないのだから。


「カナエはさ……やっぱり、里花ちゃんがどんな過程で……って知ってるんだよね」


「ええ」


 肝心な部分はあまり口にしたくなくて、省いて言ったのだけれどカナエには伝わったようだ。だったら教えてほしいと言おうとしたら、その前にカナエからきっぱりと言い切られてしまった。


「教えない。ユメノには教えないから」


 あまりにも頑なに言われてしまい、二の句が継げない。黙ったままの私に、カナエは少しだけ声のトーンを落として続けた。


「教えたら、ユメノがもっと辛くなる」


 カナエは矛盾している。強引に死神見習いにしたというのに、どこまでも私に嫌な思いをさせないよう気遣って行動する。今まで何度も不思議に思ってきたけれど、もしかしたらカナエが元々人間だったことに関わりがあるのではないかと思い始めた。

 そんな推測をしていると、カナエは静かに立ち上がり私に手を差し出す。コーヒーはいつの間にか飲みきっていたみたいだ。


「行こう、あの子の所へ」


 私は慌てて残りのコーヒーを飲み干し、その手をとる。


 公園に着くと、まだ午前だというのに里花ちゃんは昨日と同じ砂場に一人でいた。


「里花ちゃん!」


 私が声をかけると里花ちゃんは、それまでの寂しげな表情が嘘のように花が咲いたように笑顔を見せてくれる。手を振る里花ちゃんに、私が振り返すとカナエもぎこちない動作で同じようにした。

 昨日のように三人で目一杯遊び尽くし、お昼時になったらカナエはピザを用意してくれた。里花ちゃんには宅配で頼んだ体で通すことにして、芝生にシートを敷く。

 一つのピザを囲んで食べていると、まるでピクニックにでも来たみたいだ。里花ちゃんはトマトソースを口の端につけたまま美味しそうに頬張っている。カナエも同じように口元にソースをつけていて……そんな二人の様子を微笑ましく思いながら食べていると、今まで食べたピザよりも何倍も美味しく感じた。


「ピザ食べたことなかったけど、こんなに美味しかったのね」


 カナエは心なしか感慨深そうにしながら二切れ目のピザを口に運ぶ。それに続けて里花ちゃんも同意する。


「私も初めてだけど美味しい!」


「じゃあ、二人ともたくさん食べないとだね」


「うん!」


「ええ」


 声をそろえる二人に、自然と笑顔になってしまう。私も何度か食べたことがあるけれど、二人と食べている今が一番美味しいと感じられた。

 里花ちゃんの口元を拭ってあげたり、隙なく食べ続けるカナエに飲み物を勧めたり、勝手にお母さんにでもなった気分でいると、あっという間にピザはなくなってしまった。


「……ユメノ、まだ食べても良い?」


 満足そうな里花ちゃんに対して、カナエはもう一枚追加しようか本気で悩んでいるようだ。私は苦笑しながら首を振る。


「また二人の時に食べれば良いし、今は三人でゆっくりしよう」


「それもそうね」


 カナエはあっさり同意してくれて、三人でシートの上に横たわった。ざわざわと公園の周りに植えられた木が爽やかな音を響かせる。こうしていると時間の流れはゆっくりに感じるのに、里花ちゃんのことを思うともっと時間が延びればいいのにと思ってしまう。


「カナエ」


 すやすやと眠ってしまった里花ちゃんに聞こえないよう小声でカナエの方を向く。


「何」


「もっと里花ちゃんのこと楽しませるためにはどうすれば良いかな」


「……今のまま続けていくだけで十分だと思うけど」


「でも……」


「ユメノ」


「ん?」


「あまり深入りしないで。後で辛くなるのはユメノなんだから」


「でも、里花ちゃんのところに連れてきて、最初に一緒に遊ぼうとしたのはカナエでしょ?」


「それは……そうだけど。それとこれとは話が違う」


 そう言うと、カナエは私に寝転んだまま背を向けた。私も諦めて、空を見つめながら自然に身を委ねる。爽やかな風は包み込んでくれているようで、いつまでも浸っていたくなる。

 でも、そうしている間にも刻々と時間過ぎているのだと思うと同時に胸が苦しくなった。



 里花ちゃんも目を覚まして再び楽しい時間を過ごしていると、和やかな空気に突然鋭い声が飛んでくる。


「里花」


 化粧を濃いめに施した、派手な格好の女性だった。ずんずんと音がしそうな程の勢いでこちらに向かって歩いてくる。


「せっかくトウゴさんがあんたも連れてってくれるって言ってんだから、早く来なさい」


 言いながら里花ちゃんの手首を掴むと強引に引っ張った。私は我慢できずにその背へ向かって叫ぶ。


「待ってください!」


「何よ、こっちは急いでるんだけど」


 あまりの剣幕に一瞬ひるんでしまったけれど、それでも伝えたくて地に足を踏みしめた。


「ちゃんと里花ちゃんのことを見てください。里花ちゃんは今、痛がってるんです」


 お母さんの態度や掴む手が乱暴だったからか、里花ちゃんはずっと辛そうな表情をしている。ただ連れて行くことだけに夢中で、お母さんはそんな里花ちゃんの様子を気にもしていなかった。


「それが何よ。トウゴさんが待ってくれてるんだから急ぐのは当然でしょ」


 言い終わらないうちに、里花ちゃんのお母さんはまたすぐに歩き出す。あくまでもトウゴさんという人のことしか考えていない様子だ。私が追いかけようとすると、里花ちゃんのお母さんの前へカナエが行く手を遮るように立った。


「何なの?里花の母親は私なんだから、どうしたって私の自由でしょ?」


 苛立ちを隠さない里花ちゃんのお母さんに、カナエは黙ったまま行く手を阻み続ける。その間に、私はもう一度里花ちゃんのお母さんに訴えかけた。


「里花ちゃんはものじゃないんです。里花ちゃんを蔑ろにするぐらいなら……里花ちゃんのことを考えていないなら、トウゴさんという人のところへはお母さんだけで行ってください」


 他人に、こんな風に強く主張するのは初めてだ。出過ぎた真似だっただろうか。

 でも……どうしても、里花ちゃんにこれ以上嫌な思いはしてほしくなかった。お母さんの様子を見ていると、このまま一緒に行ったとしても里花ちゃんはきっと辛い思いをすることになる。そう考えたら、里花ちゃんを行かせるわけにはいかないと思ってしまった。

 立ち塞がるカナエと自身の後ろに立つ私を交互に見た後、里花ちゃんのお母さんは吐き捨てるように言った。


「勝手にすれば」


 乱暴に里花ちゃんの手を解くと、カナエを両手で押しのけ、里花ちゃんを置いたまま何の未練もなく歩いて行く。その後ろ姿を見届けてから、里花ちゃんは心細そうに私を見た。

 そんな里花ちゃんに目線を合わせるようにしゃがむと、安心させるように頭をなでる。


「里花ちゃん……ごめんね、私達がお母さん怒らせちゃって」


「ううん……里花も、お姉ちゃん達と一緒にいたかったから良いんだけど……。お母さん、今日は帰ってこないかも」


 顔を見合わせる私とカナエに、里花ちゃんはか細い声で言った。


「トウゴさんって人と一緒だと、お母さんいつも帰ってこないの」

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