3
カナエに引っ張られている道中、私の身には不思議な出来事が起こった。歩きながら視界が真っ暗闇になったのだ。瞬きもしていないのに視界が暗くなったから、何が起こったのか分からず混乱した。
気のせいと思えなくはない。ただ……とてつもない恐怖を感じた。
「ユメノ……?どうかしたの」
ぼんやりする私を振り返ってカナエが尋ねてくる。私の表情すら見ていなかったはずなのに、少しの変化に気づいたカナエ。これも、カナエが死神だからなのだろうか。
「ううん……それより、カナエの目的地ってここ?」
私が目の前の病院を見ながら言うと、カナエは「そう」と一言だけつぶやき、再びずかずかと歩き出した。自動ドアを抜けて、誰かのお見舞いだろうかと思っていたら受付すらも通り抜けていく。
そのまま私達は黙々と五階まで階段で上がった。いつもなら運動不足で息が上がるはずなのに、呼吸は平常のままだ。不思議に思っていると、カナエはとある扉の前に立ち、まるでロボットのように機械的な動作で開ける。扉横には佐藤の文字があった。
ガラガラッと音がして、カナエはそのまま奥へと足を進める。私も躊躇いながらその後についていく。中は個室で、比較的日当たりが良く、優しい色のカーテンが外からの風ではためいていた。
ベッドに横たわった男性……佐藤さんは、寂しそうな表情で窓の外を眺めている。
その脇には、幸せそうな家族写真があった。佐藤さんがお子さんを抱き上げ、奥さんと共に笑顔で映っている。
「カナエの知ってる人……?」
「いいえ」
「じゃあ――」
誰なのか。私が言う前に、それを遮ってカナエは淡々と言った。
「対象者……死神の役目を果たす」
カナエの言葉をすぐには受け入れ難くて、もう一度佐藤さんの方へ目を向けてからカナエを見る。
「えっと……それってどういう……」
「二日後、この人はこの世界にいられなくなる。死神は、それを導く」
感情のこもっていない声で言うカナエに私は愕然とした。
幼い頃の記憶に残る両親に思いをはせることはあっても、物心ついてから今まで、誰かの死に直面したことなんてなかった。それが……こんな形で向き合わざるをえない状況になるなんて思いもしなかった。
それを、こんな風に何でもないことのように言うカナエが信じられなかったけれど、考えてみたら当たり前なのかもしれない。
カナエが本当に死神なのだとしたら、これまでに幾度も同じような場面に立ち会ってきたということだ。つまり、カナエにとってこの状況は、よくあることなのだ。
「そんな……冗談、だよね?」
「冗談じゃない。本当のこと」
嘘を言っているようには見えない。そうは思っても納得できなくて、思わずベッドの上の佐藤さんに話しかける。
「あの、すみません」
声は届いているはずなのに、男性は窓の向こうを見たままだ。もう一度呼びかけても反応がない。試しに男性の視界へ入ってみても、私を通り越した先に視線は向けられていた。
「そんなことしても無駄。今彼には私達の姿は見えてない」
なすすべもなく立ち尽くす私を、カナエは何を考えているか分からない表情で見つめる。
「見えるようにも出来るけど、私達が今することは何もない。帰ろう」
「えっ……でも」
「用があるのは二日後。今日はユメノに事前に見せておこうと思っただけ」
私達が言葉を交わしている間に、佐藤さんは、まるで自らの運命を受け入れているかのように目を閉じていた。
カナエの言う通り、本当に今することは何もないのだろうか。佐藤さんの命の灯火が消えてしまうのを、ただ黙ってみていることしか。
カナエの言うことが腑に落ちないまま、促されて仕方なく病室から出る。
それから、これは夢なのではないかと心の片隅で考えながら歩いていると……ふと、看護師さんの会話から『佐藤さん』と聞こえてきて立ち止まる。
「佐藤さん、誰もお見舞いに来ないなんて寂しいわね」
「そうですね……連絡取れるのが離婚した元奥さんとお子さんだけらしいけど、佐藤さん御自身が拒否されたんですって」
瞬間、閃いたことがあった。佐藤さんの余命は二日後。さっき見た家族写真、寂しそうな表情に看護師さんの話。なら……できることがあるかもしれない。
立ち止まった私をカナエが不思議そうに振り返る。
「ユメノ……?」
「カナエ、死神の力で佐藤さんの御家族の居場所って分かる?」
「分かるけど……まさか会いに行くの?お見舞いに来いって?」
カナエは信じられないといった表情で私を見た。私は名案だと思ったのに、カナエからしたらそんな反応をするようなことなのだろうか。
「ダメ、かな……?」
「ダメじゃない、けど……死神にはそんなマニュアルはないから、想定外だった。ただ時間と場所を確認して、導くのみ。そう教わってるから」
マニュアルなんてあるの?素朴な疑問が頭を過ったけれど、そんなことは今どうでも良い。ダメじゃないなら、今すぐにでも佐藤さんの別れた奥さんとお子さんに来てもらえるよう動きたい。
会えるのなら、会ってほしい。今例えどんな関係性だとしても、家族として過ごした時期があったのなら……どんな形になっていたとしても、家族は家族なのだから。
佐藤さんの家族写真を頭に思い浮かべていると、自分の記憶も呼び覚まされる。
お母さんとお父さんと過ごした、幼い頃のおぼろげな記憶。太陽に照らされた明るい景色が日の光のように差しているけれど……もう掴もうとしてもつかめない、遠くて儚い記憶だ。
記憶は、何物にも代えられない宝物。
どんな事情で離ればなれになってしまったのかは分からないし、これは私の勝手な思い込みなのかもしれない。でも、写真立てとあの表情を見れば、少なくとも佐藤さんは二人に会いたいと思っている。
何かを考え突っ立っているカナエの両肩をつかむと、私は必死に訴えた。
「会える人には会えるうちにあっておいてもらいたいの、お願いカナエ」
私の言葉に、一瞬カナエは目を見開く。それから、小さく頷いた。
「分かった。行こう……ここからは分かりやすく力を使わせてもらうから、あまり驚かないで」
私が頷くより先に、カナエは私を横抱きにすると近くにあった窓から飛び出す。
「ちょっと待っ……」
落ちる、そう思ったのに身体は不思議な浮遊感に包まれていた。恐る恐る閉じていた瞼を開くと、私達はこの辺りで一番高いビルの頂上と同じ高さを飛んでいた。戸惑う私をよそに、心地良い風が肩を吹き抜ける。
私は少し震える声音でカナエに尋ねた。
「これも……死神の力なの?」
「これぐらい普通。そもそもずっと地上を歩いているわけない」
平凡な、ただの人間である私にカナエは当たり前だというような表情で言う。そう言われればそうだけど、何しろ今まで半信半疑だったのだ。だから、急にこんな信じざるを得ない状況に置かれると、再びこれは夢なのではないかと思えてくる。
「それより、ちゃんと掴まってて」
言われて、カナエの首元にしっかりしがみついた。辺りはもう、私が訪れたことのない景色になっている。
高層マンション、駅ビル、名物のタワー。時々窓の外を眺めている人達に遭遇するけれど、私達の姿は見えていないようだ。もし見えていたなら、指でも差されたり大騒ぎになったりしそうなものだけれど、その気配は全くない。
「今も、他の人達に私達の姿は見えていないんだよね?」
「ええ。こんなところ見られても騒ぎになるだけだし。必要なときには姿を現すことは出来るけれど、ほとんど見えないようにしてる。それに……死神は見えていないに越したことないでしょう」
「そう、だよね」
だとしたら、何故あなたは私の目の前に現れたの。尋ねたかったけれど、口にしても答えてはくれなさそうで、ぐっと呑み込んだ。
カナエに聞きたいことはたくさんある。だけど、それを教えてもらった時、あらがいようのない運命が襲いかかるような、そんな大きなことが起こりそうな予感がする。私にはまだ、それに直面する勇気はない。
「着いた」
言いながらカナエは地上に降り立つ。ずっと続いていた浮遊感から解放され、ほっと息を吐いていると、カナエが少し心配そうに聞いてくる。
「少し休む?」
「えっと……大丈夫」
少しくらくらするけれど、そんなに大したものではない。そう思い曖昧に答えると、カナエはぐっと顔を近づけてきた。少しでも嘘が含まれていたら見逃してもらえなさそうなほど。
今はまだカナエに抱え上げられている状態だから、その視線から逃れることも出来ない。
「本当に?」
「う、うん」
私が戸惑いながら頷くと、カナエは納得したのか慎重に下ろしてくれた。
カナエは、どこか矛盾している。
いきなり洞窟に閉じ込めたかと思えば、その間は私が楽しめるようにいろんな話をしてくれたり、食料も私がリクエストしたものを何でも用意してくれたり、不自由ない生活をさせてくれた。今も、無理矢理死神見習いにしたのに私の体調を気遣ってくれている。
カナエがどういう理由のもと動いているのか分からないけれど、他にする人がいないなら今やるべきことをやるだけだ。
「その……連れてきてくれて、ありがとう」
「別に、全くエネルギー使ってないからお礼なんていい」
淡々と言った後、カナエは徐に目の前のマンションを指さす。
「ここの、三〇二がそう。今も中にいるから、多分インターホン押したら出る」
中にいるかどうかも分かるのか、なんて感心しつつ三階を見上げた。セキュリティが厳重なマンションでなくて良かった。そしたらきっと、中にすら入れてもらえなかっただろう。
もしかしたらカナエの力で入っていくことも出来たかもしれないけれど、とにかく佐藤さんのご家族に会って知らせなければいけないのだから、余計に不審がられては意味がない。
病院の時のように二人で階段を上っていく。やっぱり全く息が上がらないし疲れもしない。元々体力はなかった上に、洞窟の中で一歩も歩かずに過ごしたのだ。以前にも増して体力は衰えているはずなのに、どう考えてもおかしい。
違和感を覚えながらも、三〇二号室の前で立ち止まる。
どう話すべきか、自分の身の上はどうすべきか考える。知り合いだと言っても、私は今高校の制服だから変な誤解を与えてしまいかねない。
取り敢えず、奥さんとお子さんに来てもらえればいいわけだから、同じ病室に入院している子の友達ということにしよう。それで、看護師さんの話を聞いていてもたってもいられなくなった。ここは本当のことを話せば良い。
ない頭で考えを巡らせ、意を決してインターホンを押す。
しばらくして「はい」という声が聞こえた後、扉を少しだけ開き、少し疲れた様子の女性が怪訝な表情で私を見た。
「どちら様?」
「えっと……余計なお世話なのかもしれないのですが、佐藤さんのお見舞いに行ってあげてください。実は私の友達が入院していて……同じ部屋に佐藤さんがいらして、偶然看護師さんがもうあまり長くないようなことを言っているのを聞いてしまったんです。だから会いに行ってください、なるべく早く」
生来のコミュニケーション能力のなさが仇となり、上手く説明できなかったかもしれない。面食らったように私を見る佐藤さんの元奥さん……今は旧姓
「あの人にそう言ってくれって頼まれた?」
ため息を吐きながらそう返される。
「いえ、違います。これは私の、ただのお節介で……」
「お帰りください」
間髪入れず、みよりさんは厳しい口調で言った。怒らせてしまったのだろうか、私の言動のせいで。
「でも、あの――」
「別れた後、彼がどうしてようがどうなろうが私には関係ありませんから」
焦燥感に駆られて言葉を続けようとしたけれど、目の前でぴしゃりと扉が閉められる。仕方のないことだけど、無理矢理連れて行くわけにもいかない……だからもう、私に出来ることは何もない。
諦めそうになったけれど、佐藤さんの病室に飾られた家族写真が再び頭に浮かぶ。どうにかしたいのに何も出来ないもどかしさで拳を握ったその時。
「様子を見てみれば。あの言葉が本心かどうか、分からないのだから」
「でも、本心から言ってたとしたら……」
「落ち着いて。他人の心なんて、会ったばかりのユメノが動かせるようなものじゃない。待ってどうにもならなかったら、強硬手段に出れば良い」
ここに来る前は私のお節介に対して消極的だったはずなのに、カナエから強硬手段なんて言葉が飛び出したのは意外だった。
「あまり乗り気じゃなさそうだったのに、どうして……?」
私の問いに、カナエは虚を突かれたような顔をする。それから、躊躇いがちにつぶやいた。
「それは――ユメノが必死だから」
意外な答えに、今度は私が驚く番だった。
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