第2章 強化訓練編

ph130 特別訓練教官


 朝日の温もりが、私の瞼を撫でる。ゆっくりと覚醒する意識。今日から強化訓練が始まる。早く起きなきゃと体を起こそうとすると、隣に温かな重みを感じた。私はまた影法師がベッドに入って来たのかと思い、睡気眼のまま頭を撫でる。しかし、影法師には無いはずの柔らかい毛並みを感じ、ん?と疑問を抱きながら目を開けた。すると、目の前には影法師ではなく、クロガネ先輩の顔があった。最初は夢でも見ているのかと思った。けれど、だんだんとはっきりしていく意識が、これが現実である事を知らせる。


「サチコ、おはーー」

「ぎゃああああああ!!」

「ヘぶらっ!!」


 無意識に出た右ストレートが、先輩の顔面に直撃した。先輩が震えながら両手で自身の顔を覆い隠すのを見ながら、しまったと体を起こした。


 やばいっ!?突然だったから思いっきり殴ってしまった!!先輩の行動は非常識だけど、だからと言って全力で殴るのはまずいだろう!!しかも顔面なんて……下手したら大怪我だ!


「先輩すみません!思いっきり殴ってしまいました……どこか痛いところはーー」

「サチコぉ!?」

「!?」


 先輩は私の名前を叫びながら、私の右手をぎゅっと握った。


「い、今のが全力なのか?本当に、本気で殴ったのか?」

「い、一応?」


 先輩の冗談だろ?という顔に、え?それどういう意味なの?と不安になる。


「手が赤くなってんじゃねぇか!?もう顔を殴んのはやめとけ、歯が当たったりしたらサチコの手が傷つくだろ?どうしても殴りてぇなら鳩尾を狙った方がいい。その方が拳のダメージが少ねぇからな。つぅかサチコなら素手よりも武器使ったがいいな。後で護身用の警棒を送るから、次からはそれを使えよ?」

「え?あ、はぁ……」


 いやおかしいだろ!?何で殴られた方が心配してんだ!?というか武器を進めるな!!確かに右手は痛いけど、普通は殴られた方が怪我をって……何で先輩はそんなにピンピンしてんの!?え?無傷!?嘘でしょ!?私そんなに弱いの?いや違う!私は普通だ!先輩が頑丈すぎるだけだ!!


「訓練前に怪我しちゃ大変だからな。手当すっからそこ座ってろ」


 それどっちかというと、私のセリフ!!そして何でお前はこの部屋の救急箱の場所を知ってんだよ!やめろ!自室のようにテキパキと動くな!!ツッコミ所が多すぎてどっから処理すればいいんだ!もう怖い!先輩の全てが怖いよ!!でも、とりあえず一番聞かなきゃいけない事は分かっている。


「どうして!先輩がここにいるんですか!!」


 そう。私が先輩を殴ってしまった理由。私に無断でベッドに潜り込んでいた事だ。影法師やユカリちゃんとかだったら許したが、先輩はない。普通に怒るぞ。


「サチコが……俺と会えなくて寂しかったって言ってたからよ……目が覚めた時に俺がいたら喜ぶかなって……」


 言ってない。私はそんな事、断じて言っていない。おい、何ちょっと照れてんだよ。腹立つなコイツ、もう一回殴ってやろうかな……ダメだ、私の手が痛む未来しか見えない。何でこんなに丈夫なんだよ。


「あと、俺の訓練到達目標の一つに、黒いマナの完全制御つぅのがあったからな。サチコの側にいる必要があんだよ」

「黒いマナの制御、ですか?」


 黒いマナの制御がマストなのは当然として、それに私の側にいるのと何の関係がある?


「影法師だ」

「影法師?」

「影法師はサタンのマナにも、七大魔王ヴェンディダードのマナにも耐えらんねぇ。けど、俺のマナは耐えられる。おかしいと思わねぇか?」

「あっ!」


 先輩に言われて初めて気づいた事実。確かに、先輩の言う通り、先輩のマナが七大魔王ヴェンディダードと縁のある物ならば、影法師が平気なのはおかしい。


「くそ親父は、俺が黒いマナを制御する鍵は、サチコにあると言っていた。だから……迷惑かもしんねぇけど、俺が黒いマナを完全に物にするまで、極力お前の近くにいさせてくれ」

「先輩……」


 そうか、先輩は黒いマナの制御の為に……なのに、私は事情も聞かずに一方的に拒絶してしまった。


「そういう、事なら……」


 あまり先輩に引っ付かれたら、渡守くんと大気のマナの訓練をするのに支障が出るだろう。でも、黒いマナが身体に及ぼす影響の事を考えるならば、この提案は無視できない。七大魔王ヴェンディダードという危険な物であるなら尚更だ。


「分かりました。私がお役に立てるのならお手伝いいたします」

「本当か!?」


 先輩の表情が明るくなり、私に思い切り抱きつく。


「サチコ!ありがとな!おはようからおはようまで、ずっと一緒にいような!」

「ちょっと待て」


 おはようからおはようまでってなんだ。もしや、24時間ずっと張り付く気かコイツ?普通おやすみまでだろう。違う。そうじゃない。ツッコミを間違えた。


「……流石に、プライベートの時間は欲しいです」

「あぁ!分かってる!お前の邪魔はしねぇ!大人しくしてる!」

「すみません、言い方を変えます。一人の時間が欲しいです」

「そうだよな。流石に風呂までは一緒に入れねぇもんな」

「当たり前ですよ!何言ってんですかアンタ!!」


 何なんだよコイツ!どういう思考回路してんだ!そういう意味で言ってんじゃないんだよこっちは!!


 このままでは四六時中引っ付かれてしまう。何とか説得しなければと、一旦時間の確認をかねて時計を見ると、訓練の時間が差し迫っていた。


 くっ!先輩と話し合おうにも時間がない!訓練初日から遅刻は不味い!この話は一旦置いといて、トレーニングルームに向かわなければ!


 私は先輩を引っ付けたまま朝の支度を終え、トレーニングルームまでダッシュした。













 息も絶え絶えになりながらトレーニングルームの中に入ると、既に私と先輩以外のメンバー全員が待っていた。もしかして遅刻してしまったのかと慌てて頭を下げる。


「すみません!遅れました」

「ひひっ、安心しな、遅れちゃいないよ」

「……ん?」


 私が頭を下げていると、聞き覚えのない声が聞こえた。その声の方に顔を向けると、赤い髪を高い位置で一つ結びをしている……なんと言うか、すごく……ファンキーなお婆さんがいた。


「ケイ!これで全員かい!?」


 ケイ先生は、そのお婆さんに礼儀正しくお辞儀をしながら「はい」と答える。

 

 ケイ先生のあの対応。あのお婆さん、もしかしなくとも偉い人か?


「じゃあ少し早いけど始めるよ!」


 お婆さんは、大袈裟な身振りで私たちの方を向き、ニヤリと不気味な笑みを浮かべた。


「アタシの名前は五金アカガネ!これからアンタ等を扱く特別訓練教官さ!」


 「アタシの訓練はきついよ!覚悟しな!」と笑い声を上げるお婆さん。そのお婆さんが名乗った名前に、一瞬だけ頭がフリーズする。


 え?今、あのお婆さん、五金アカガネって言ったか?つまりあのお婆さんは……。


「くそババア!!何でてめぇが!?」

「誰がババアだい!アタシゃまだ65だよ!!」

「てめぇ75だろ!サバ読んでんじゃねぇ!つぅかどっちにしてもババっへぶらっっ!!」

「先輩いいいいい!?」


 お婆さんの蹴りによって吹っ飛ばされた先輩。あの先輩が抵抗も出来ず蹴り飛ばされるなんて……というか、先輩今の反応……やっぱりあのお婆さんは、先輩の祖母という事だろうか?


「全く、この馬鹿孫は口が悪いったらありゃしない……一体誰に似たんだか……」


 貴方では?と思ったが、口が裂けても言えない状況だった。


「訓練メニューは全員確認してるんだろうね?」


 私たちは緊張しながら頷く。このお婆さんには逆らえないような迫力があった。


「このメニューは、対七大魔王ヴェンディダード戦に向けて、アンタ等が足りない能力を補える様に作られてる……つまり、これからアンタ等は自分の弱点を徹底的に叩き直す事になるんだよ!!」


 お婆さんの厳しい目が一人一人を見渡す。私たちはその目に射すくめられ、息を呑んだ。


「マナコントロールができない者は、このカードと自身のマナをアタシがいいって言うまで循環するんだよ!少しでも手を抜いたら容赦しないよ!!」


 コントロールが苦手なタイヨウくんや、アボウくん、アスカちゃんにカードが渡される。3人はお婆さんの合図と共にマナを循環させ始めた。


「マナのパワーが足りない奴らはひたすらマッチだよ!」


 マナのパワーを指摘されたのは、シロガネくん、エンラくん、ヒョウガくん、センくん、セバスティアナさん、ラセツくんの6人だった。トレーニングルームの奥の方にある「B」という文字が書かれた扉の方を指で差す。


「アタシがいいって言うまでローテンションでマナを使ったマッチをしてな!疲れたからって休むんじゃないよ!!」


 お婆さんに指示された6人は、一斉にBルームの方に向かって歩き出した。


「そして、精霊と同調できない奴ら!」


 お婆さんは、ユカリちゃん、クロガネ先輩の方を向きながら、一枚のカードを取り出してマナを込めた。


「アンタ等は、情報収集用のカードでコイツの情報を延々と読み取るんだよ!!」


 そう言ってお婆さんが呼び出した精霊は毛むくじゃらの猿の精霊ーー狒々くんだった。


「ほら!猿公!しっかりスキルを発動させて情報が盗られない様にしな!一回盗られる度に説教部屋1時間だよ!!」

「ヒイぃぃぃ!説教部屋は!説教部屋だげはご勘弁ばあああ!!」

「それが嫌なら死ぬ気で守りな」

「鬼ババだぁああ!」

「失礼だね!誰が鬼ババだい!!アンタが望んだめんこい子だよ!!」

「こだなの詐欺だぁあ!!」


 ……狒々くん、あのお婆さんの精霊になったのか……うん、何も言うまい。狒々くんの情報を取るのはヒョウガくん達も苦労した様だし、いい練習相手になるだろう。


「そして、アンタ!アンタは特別メニューだよ!」


 うっ、今の流れからして私だけだとは予想していたけど、このメニュー私だけなの!?


「アンタに足りないのは身体能力!純粋な体力と筋力さね!!アタシの特別メニューで徹底的に鍛え直してやるよ!!まずはランニングからだ。あの部屋でアタシがいいって言うまで走ってな!!」


 お婆さんが指差したのは、トレーニングルームの奥にある「A」という文字が書かれた方の扉だった。


 走ってなって……せめて距離か時間の指定をしてくれよ!終わりが見えないランニングほど絶望はないんだが!?しかし、文句は言えない。私の課題が体力面である事は身にしみて分かっていたからだ。


 私はお婆さんの指示に従い、Aルームの方へと足を進める。


「待ちな!」


 しかし、お婆さんに呼び止められて足を止める。一体何だと後ろを振り返ると、何故か先輩も付いて来ようとしていた。いや、なんで?


「アンタは精霊と同調だと言っただろ!戻んな!」

「あ?ざけんな。んなもんより、黒いマナの制御が先だろぉが」


 先輩は、お婆さんをギロリと睨みながら反論するが、お婆さんは「黙んな!」と一歩も引かずに睨み返した。


「黒いマナを制御する為にも、そこのお嬢ちゃんと離れなって言ってんだよ」

「はぁ!?意味分かんねぇよ!サチコといなきゃ俺は黒いマナを制御できねぇんだぞ!!」

「だからだよ!!」


 お婆さんは呆れたようにため息をつきながら、ビシリと人差し指で先輩を差す。


「お嬢ちゃんの前では黒いマナを操れるんだろ?だったら、お嬢ちゃんがいない状態でも扱えるように、訓練期間中はお嬢ちゃんに近づくのは禁止だよ」

「はあああああああ!?」


 先輩はお婆さんと距離を詰め、両手で胸ぐらを掴んだ。


「てめっ、サチコに近づくなって……訓練期間中ずっとか!?ふざけんなよくそババア!!んな我慢できるか!!こっちは1秒たりとも離れたかねぇんだよ!!」

「安心しな、アタシもそこまで鬼じゃない」


 お婆さんは、指を一本だけ立ててニヤリと口角を上げる。


「一日1時間……1時間だけならお嬢ちゃんと会ってもいい」

「1時間……だと……?」


 おい、何なんだよこの茶番。


「たったの1時間!?そんなんで足りるか!!」

「因みに、この1時間にはアンタがお嬢ちゃんの写真を見たり、電話で話したりする時間も含まれてるからね」

「ざけんなババア!!」


 私、この光景をどんな気持ちで見たらいいんだ?誰か教えてくれ、頼むから。


「サチコと会えないうえに写真も見るなだと!?俺に死ねって言ってんのか!?」

「あぁ、アンタの部屋にあったお嬢ちゃんの写真とボイスレコーダーも没収しといたよ。ついでに、動画も全部消去しといたから隠れてコソコソ見るのは許さないよ。アンタが見ていいのはこの一枚だけさね」

「何してくれてんだくそババアああああ!!」

「うるさいよっ!というか、いつまでレディの胸元を掴んでるんだい!離しな!!」

「ぶべらっ!!」


 いや、お前が何してくれてんだ。ボイスレコーダーとか動画って何の話だ。そんなの初耳だぞ。先輩は激昂して叫んでいるが、お婆さんグッジョブ。マジでグッジョブ。その一枚も与えないでくれたら、尚更に良いのだが。


「くそっ!!俺の……俺のサチコが……っ!!」


 お婆さんに投げ飛ばされた先輩は、四つ這いになって絶望している。真剣に落ち込んでいる所に悪いが、それ、盗撮じゃないだろうな?盗撮だったらマジで先輩との付き合いを考え直さなければいけないから、ちょっと確認させて……いや、やっぱ怖いからいいや。パンドラの箱だったら笑えない。


「返して欲しけりゃアタシの言うことを聞きな!ほら!精霊と同調するんだよ!!」


 いや、返すなよ。頼むから破棄してくれ。そうツッコミたいが、あんな怖いお婆さんに、物申す勇気は私にはなかった。


「わかったよ……やりゃいんだろ!やりゃあよぉ!!」と渋々言う先輩を白い目で見ていると、「アンタもさっさとAルームに行きな!」とお婆さんの声に急かされ、私は急ぎ足でAルームに向かった。




 Aルームはジムのような施設だ。広々とした空間の中に、最新機器のトレッドミルや筋力トレーニング用のマシーンがずらりと並んでいる。私はその一台に乗り、スイッチを入れた。すると、大きな電子画面が空中に浮かび、お婆さんの顔が映し出された。


『まずはウォームアップだ。軽く走り出して、体を慣らしてから本番に入るんだよ!』

 

 私は指示に従い、軽くジョギングを始めた。足がリズムよく動き始め、心拍数が徐々に上がっていくのを感じる。そうしてウォームアップが終わると、いよいよ本番のランニングに移った。


『全力で走り続けるんだよ!アタシがストップをかけるまで一切休むんじゃないよ!』


 私は一瞬息を呑んだが、すぐに気を取り直し、全力で走り出した。トレッドミルの速度を上げ、足の力を振り絞って走り続ける。呼吸が荒くなり、汗が額から流れ落ちた。


 時間が経つにつれて、足が重くなり、体力が限界に近づいてくる。電子画面の方から、『坊や!マナが途切れてるよ!もっと集中しな!』とか、『何倒れてんだい!敵は待ってくれないよ!MDマッチデバイスを構えな!』といった、別の人を叱咤する声が聞こえてくる。


 みんなも頑張ってるんだ……私ももっと頑張らないと……。


 しかし、体力は急には上がらない。私の意思とは裏腹にどんどん遅くなる足。


『ほらほらチンタラ走ってんじゃないよ!!もっと速く!七大魔王ヴェンディダードが待ってくれるとでも思ってるのかい!?根性だしな!!』

 

 お婆さんの声が再び響き渡り、ちょうど足が止まりそうになった私に喝を入れる。心の中で「まだ走れる」と自分に言い聞かせ、再びペースを上げた。


 私はAルームで走り続ける中、何度も足を止めたくなったが、その度にお婆さんの厳しい言葉が飛んできて、兎に角必死に走った。


 そうして全力で走り続ける事約1時間。ようやくお婆さんの『よし!休憩だ!』という許しが出た。


 私はトレッドミルを止め、汗だくのまま座り込む。


『何へばってるんだい!訓練はまだ始まったばかりだよ!午前中は今のメニューを続け、午後からは実戦形式でマナのカードの力を使った戦闘を行うから気合い入れな!』


 休憩は15分だと言い残して通信を切るお婆さん。私はガクガクと震える足を動かしウォータージャグが設置されている場所まで向かう。


 備え付けてある紙コップに、ジャグの中に入っていたスポーツ飲料を注ぎ、ゆっくりと喉を潤すように飲んだ。


 運動に慣れていない体は疲労で悲鳴を上げているが、お婆さんの言う通りまだ訓練は始まったばかりだ。たった1時間走った程度で根を上げる訳にはいかない。


「……強くなるって、決めたんだ」


 私はもう一杯スポーツ飲料を飲み干し、少しでも体力を回復させることに努めた。15分の休憩が終わる頃には、体の震えも少しずつ収まり、再び動ける準備が整った。


 また電子スクリーンが現れ、お婆さんの厳しい声が響き渡る。私はすぐにトレッドミルのスイッチを押して全力で走る。自分の弱点を克服する為に、ひたすらに走り続けた。






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