ph116 毒の湖
休憩時間を兼ねた作戦会議が終わり、黒いマナを持つ精霊の元へと向かう。私たちの帰りが遅いと後続のチームが来る手筈となっている為、印をつけながら樹海の中を進む事約1時間。自然界では絶対にありえないような色をした毒々しい沼……水深が深そうだし湖か?どちらか分からないが、毒の様な水が広がる場所に辿り着いた。
水底からボコボコと気泡が上がり、紫色の煙が吹き出している。まるで童話に出てくる悪役の魔女が、呪詛の言葉を吐きながらかき混ぜている鍋の中の様な湖は、視覚からも聴覚からも人体に有害であると主張しているようだった。
シロガネくんは無言で右手を出して私たちを静止させ、キョロキョロと辺りを見渡したかと思うと、毒水に侵食されていない木の根っこ付近に4枚のカードを隠すように設置した。
「君たちも、これを持っていてくれ」
シロガネくんは、私たちに木の根っこに設置していたカードと似たようなカードを差し出す。
「これは?」
「簡易的に転移できる魔法カードさ。マナを込めればここに戻れる」
一回限りだけどねと続けて言われ、繁々とカードを見ながら受け取った。
通常のマッチで使うカードとは違い、この魔法カードには簡易転移魔法とうい名前のみが記載され、テキストも属性の表記もなかった。どうやらゲームで使用できるカードではなさそうだ。
「精霊の情報を得たら直ぐに転移してくれ。情報の取得ができなくとも、何らかの不測事態があった時も転移して逃げるように」
「こんな便利な物があるなら、最初から歪みの近くに設置しておいた方が良かったんじゃないですか?」
「簡易的な物だと言っただろう。あまり離れすぎると使えないんだ」
この毒の湖に件の精霊がいるなら、これくらいの距離が限界なんだと言われ、なるほどと頷きながらサイドデッキの中にしまった。
「影薄、場所に変わりはないか?」
「うん。感知してからずっと動いてないみたい。もしかしたらここが巣なんじゃないかな」
何度確かめても、同じ場所に居続ける黒いマナの気配。休んでいるのか、こちらの気配に気づいて待ち伏せているのかは分からないが、いる事は間違いないだろう。
「湖の奥にさ、毒の水が流れ込んでいる場所があるでしょ?気配はあそこからするよ」
「ニーズヘグ」
「分かっている」
ニーズヘグは翼を広げ、毒の湖の奥まで飛ぶと、すぐにこちらまで戻ってきた。
「奥に階段があった。何らかの建造物が作られているようだぞ」
「探索は可能か?」
「何なら住んでみるか?」
「俺がそんな悪趣味に見えるか?」
ニーズヘグの言葉を軽くいなしながら、ヒョウガくんはシロガネくんに視線を送った。
「毒の影響はないようだ」
「オーケー。僕とタイヨウくんが先行する。君たち2人は後から付いて来てくれ」
「分かった」
私がヒョウガくんの手を借りながらニーズヘグに乗っていると、シロガネくんは何らかのカードを発動させたのか、白い光を放つ鳥が空高く飛んで行った。
「今のは?」
「ちょっとね、念には念をってやつさ……タイヨウくん、移動はお願いしてもいいかい?」
「お?おお!いいぜ!任せてくれ!アグリッド!」
私たちの会話についていけなかったのか、タイヨウくんは唸りながら小首を傾げていた。しかし、シロガネくんが声をかけると、やっと自分にも理解できる内容が来たと言わんばかりに、笑顔で返事する。そのまま、アグリッドを実体化させ、マッチの時と同じような成竜の姿にさせた。
シロガネくんとタイヨウくんがアグリッドの背に乗ったのを確認すると同時に、飛び立つ2匹の竜。
「確認も兼ねてもう一度説明するけど、ここからは隠密行動だ。極力精霊に気づかれない様に行動してくれ。もしも目的の精霊に見つかった場合は、僕とタイヨウくんで気を引くから、その間にヒョウガくんは情報収集を、サチコさんは離れた場所で僕たちを援護してくれ。情報を取得したらさっき渡したカードで速やかに脱出する事。2体目が現れたり、精霊が2体いる状態で気付かれても脱出だ。いいね?」
シロガネくんの言葉に、私たちは無言で頷く。
「黒いマナの広がる空間では
通信を妨害するマナでも発しているのか、黒いマナの中では通信手段が使えない。そもそも、次元を超えているせいか、精霊界と人間界で通信出来ないのも痛いんだよなぁ。もっと、人間界で待機している人達と密に連絡できたら、この任務も幾分か楽になるのに……唯一連絡できそうだったこの指輪も、黒いマナの中では完全に機能停止しているようだし、どうしたものか。
先輩が持ち場を離れたら困るから連絡するつもりはなかったが、使えないなら使えないで不安になる。
……ダメだ。どこかで先輩を頼ろうとする自分がいる。私のこういう態度が先輩の過保護に拍車をかけてしまうのだ。ちゃんと自分1人でも対処出来るように考えないと。
「もしも単独で逸れたらどうする?」
ヒョウガくんは、私を確認するようにチラリとこちらを見る。
あぁ、これは私を心配しての事だろうな。影法師が使えない私が1人になってしまった時の事を考えて、聞いてくれているのだろう。
「その場合も速やかに転移魔法を使って退避だ。後続のチームが来るまであの場所で待機してくれ」
「了解した」
2匹の竜が毒の湖の奥に降り立つ。
毒の湖の奥にあったのは、ニーズヘグの言う通り石でできた長い階段だった。毒の水は脇に作られている水路から中へと入り込み、暗闇の中へと消えていく。
私は冥界の松明を実体化させ、シロガネくんも、カードから光の玉の様な物を実体化させて浮かせていた。これで照明の確保はできた。
「さぁ、行こうか」
警戒しながら奥へと進む。階段の先にあったのは、石で出来た古代遺跡の様な神殿だった。ボロボロに朽ちた箇所はあるが、人間界にあったら歴史的文化遺産にでもされそうな立派な物だった。水路も神殿中に張り巡らされており、流れる水が毒でなければ生活用水として利用できそうだなと、昔に住んでいたであろう人……この場合は精霊か、精霊の暮らしが垣間見える。
「どんどん気配が濃くなっています。目標までかなり近いです」
「……みたいだね。僕でも感じるよ」
私たちの会話に、タイヨウくんが気合を入れるように拳を握った。
「じゃあ俺の出番だな!任せろ!精霊は俺が倒す!!」
「タイヨウ、戦闘は最終手段だ」
「そ、そうなのか!?なら俺は何をするんだ?」
「……お前、話を聞いていなかったのか?」
「え?精霊を倒して解決だろ?」
「…………分かった。お前は何もするな。俺が情報を取っている間は五金シロガネの後ろで大人しくしていろ」
「へ?」
キョトンとしている君も素敵だねと、タイヨウくん全肯定野郎を無視して頭を抱えるヒョウガくんに同情する。
あの3人の中で、まとも枠といえるヒョウガくんは苦労が絶えないようだ。今度、話ぐらいは聞いてあげよう。
そう思いながら黒いマナの気配の方に集中していると、その気配が揺れ、薄まった。
「みんな、止まって!」
私の言葉に全員の足が止まる。どうしたんだという視線が集まる中、しっと人差し指を立てて唇に当てた。
何だ?急に気配が消えた?もしかして、黒いマナが動いたのか?一体どこに行って……違う……これは……気配は小さいけど、位置が……黒いマナの気配が此方に近づいてきている!?
「どこでもいい!みんな!隠れて!!」
いや、間に合いそうにない。人間じゃありえないスピードで近づいてくる黒いマナの存在に、私は直ぐに武器を実体化させて身構えた。
「何をそんなに慌ててーー」
「もう直ぐそこまで迫ってる!構えて!!」
緊張が走る空間。各自が臨戦態勢を取る。しかし、何も現れない。沈黙が支配し、水路に流れる水の音だけが鳴り響く。
「何も、来ないじゃないか」
シロガネくんが言う。確かに何も来ない。でも、確実に気配はある。
「そんな筈は……」
「影薄、お前……無理しすぎなんじゃないか?少し休むか?」
「そういやそうだよな……ずっと歩きっぱなしだったし、気づかなくてごめんな」
「いや、それは全然大丈夫なんだけど……」
「そーそーオンナノコにここはきついっしょ!無理すんなって!」
突然聞こえた第三者の声。私達は直ぐに飛び退き、その声の人物に武器を向けた。
「誰だ!」
「ええー、随分な歓迎っしょ。俺だよ俺!」
「貴様なんぞ知らん!!」
「本当に知らないっしょ?」
突然現れた
「だぁから俺だって、俺」
「……もしかして、後続チームの隊員か?」
「そーそー!ソレそれ!コウゾクチーム!」
「えっ?ってことは仲間?」
タイヨウくんが警戒を解いたのか、武器を下げる。ヒョウガくん達も同様に構えを解こうとしたのを私は止めた。
「みんな!ソイツから離れて!!」
「どうしたんだよサチコ?」
「いいから!早く!!」
3人が怪訝そうな顔をするが、関係ない。だってソイツは、ソレはーー。
「ソイツ!
私たちが追っていた黒いマナの正体だったのだから!!
「何だ、バレるのはやっ……」
人の形をしたナニカは、ニィッと嫌な笑みを浮かべる。私たちに向かって、黒いマナを放出した。
「ヒョウガくん!サチコさん!後ろに下がって!タイヨウくんは僕と一緒に迎撃だ!」
「任せろ!!」
タイヨウくんとシロガネくんがソレに向かって走る。ヒョウガくんはカードを構え、私は影鰐を実体化させた。
「あー……渇く……渇く渇く渇く渇く渇く渇く渇く渇くなぁ!!」
ソレの右腕が黒いマナを纏った黒い蔦になる。その蔦からさらに何本ものの蔦が生え、私たちを襲う。
「ヒョウガくん!情報は取れそう!?」
「くっ、これは……少し、時間がかかりそうだ……」
「りょうか……ヒョウガくん!!後ろ!!」
情報を取るのに集中しているヒョウガくんに襲いかかる新たな人影。私は影鰐の影喰らいを発動させる。影鰐は影の中に潜り、その人影から飛び出して攻撃を行う。
人影が後退したのを確認して、ヒョウガくんの側まで走る。どんな姿をしているか確認も兼ねて松明を向けると、その場所にいたのは赤と茶のグラデーションの髪色をもった少女だった。でも、私には分かる。大人しそうな姿をしているが、コイツも人じゃない!!
「シロガネくん!2体目です!撤退しましょう!!」
「やむを得ないか……みんな!今すぐカードを!!」
「させないよ……」
少女の姿をしたナニカが、こちらに向かって手を伸ばす。その手から魔法陣が現れ、赤黒い鎖が飛び出した。その赤黒い鎖は、私達のデッキケースを雁字搦めする様に巻き付く。
「デッキが……!?」
最悪だ。どういう原理か分からないが、ドローできない。封印でもされたみたいだ。これじゃあケースの中に入っているカードの力を使えない。
「ヒョウガ!サチコ!そっから離れろ!!」
タイヨウくんが叫ぶ。少女から溢れ出る黒いマナが床を溶かした。そのマナの侵食が進み、亀裂が生じる。
ピシピシと嫌な音を立てる床。少女がその場から離れ、空中に浮かんだ。指で魔法陣を描き、止めと言わんばかりに植物系のモンスターを生み出した。
「さようなら」
植物系のモンスターが地面に落とされ、脆くなった床に穴が開く。道連れにする為か、植物系のモンスターが私たちに向かって蔓を伸ばした。
「影鰐!ヒョウガくんを!!」
「な、お前!?」
影鰐がヒョウガくんをパクンと食べ、蔓から逃れさせる。彼が無事にタイヨウくんの所にいける事を祈りながら、私はモンスターと共に穴へと落ちた。
あの場には大元の精霊が2体もいる。戦えない私があの場に残るよりも、ヒョウガくんが残った方が良いだろう。……それに、別に私はコイツと心中するつもりはない。あの精霊によって召喚されただけのモンスターであるならば、私一人でも対処出来ると判断したから、こうして落ちているのだ。その為にはこの封印をどうにかしないと……循環したら解除できないか?
困った時のマナの循環だと言わんばかりに、デッキとマナを循環させる。
……あ、何とかなりそう。
少しだけ緩む鎖。これならいけると集中するが、あと一歩が足りなかった。手順は合っている筈なのに、私には封印を解くために必要なマナの量が足りなかったのだ。目の前に差し迫る地面に、冷や汗が流れる。
なんで?これでサタンの封印も解けたのに、何でこれは解けなーー!?
上手く解除できないデッキの封印。一体何故と疑問を抱くがすぐに原因が判明した。
そうか……あの時はサタンと循環してたから!!
マナは誰かと循環させると膨大に増える。今まで私が封印を突破できたのは、自分とは別の何かと循環していたからだった。でもデッキではマナは増えない。私自身のマナ保有量でどうにかしないといけないのだ。コントロールしか取り柄のない私には、絶望すぎる状況だった。
どうしよう……ここでデッキの封印を解除して、カードの力で脱出する予定だったのに!!
さらに焦る思考。でも時間は待ってはくれない。このままでは潰れたトマトになる。それは嫌だとかつて無いほど知恵を絞り出す。
……そうだ、大気のマナを使えば!!
先輩には使うなと言われているが、今は緊急事態だ。背に腹は変えられない。あの時みたいに、限界を超えないようにやれば問題ないだろうと集中した。
周囲のマナをかき集め、デッキに注ぐ。鎖にヒビが入る。ガタガタと揺れ動き、弾け飛んだ。
「影鬼!!」
私はすぐに影鬼を実体化させ、絡まっている蔓を切る。植物系のモンスターの体を蹴り飛ばし、無理やり離れると影鬼に横抱きにされながら地面に降りた。
よ、よかった……ギリギリ間に合った!!
影鬼に下ろしてもらい、植物系のモンスターと対峙する。
今なら簡易転移魔法のカードは使える。けれど、タイヨウくんたちの気配も、黒いマナの気配も上から感じる。彼らはまだ脱出できていない。私だけ逃げる訳にはいかないのだ。このモンスターを撒くだけに使い、タイヨウくん達と合流する事は可能だが、そうなると彼らと一緒に逃げる事ができなくなる。このモンスターを撒いて上に行くのも、私の身体能力では難しそうだ。
「だったら、やる事は一つだよね」
私は
マッチでコイツを倒した後にみんなと合流する。そんで、3人のデッキの封印を解けばコチラの勝ちだ!!
「コーリング!かげお……ごふっ!」
くっそ!こんな時に……!!
口から溢れる血。口元を手で押さえながら、ふらつく体を根性で耐える。
大気のマナを使った代償か!上手くやれたと思ったのに……サタンの時よりもマシだが、この状態でまともなマッチができるだろうか?
そう不安に思うが、目の前のモンスターは待ってはくれない。隙を見てマッチを挑もうにも、モンスターの猛攻に手も足も出ない。
……あぁ、先輩の言った通りだ。
先輩の、私に精霊界は危険すぎるという言葉が脳裏を過ぎる。私は心のどこかで調子に乗っていたのだろう。サタンを封印したという事に、マナコントロールが飛び抜けて上手い事に、自分は特別な人間だと勘違いしていたんだ。だから、調子に乗って精霊界に来る事を安請け合いした。先輩の善意も、根拠のない自信で断った……そんな訳ないのに。自分が凡庸な人間である事は分かっていたのに、主人公チームの一員になったつもりになって、慢心していたんだ。
最初から断って、エンラくんに任せていた方が良かったかもしれない。その方が、タイヨウくん達ももっと安全にこの場を切り抜けたかもしれないのに……。
後悔しても、もう遅い。私がこの場に来たのだ。この場に来る事を選択してしまったのだ。だったら、難しくても、無理難題でもやるしかない!
「あああああああああ!コーリング!かげお……がはっ!」
モンスターの蔓が鞭のようにしなり、私の体を弾き飛ばした。
瓦礫に激しくぶつかり、頭から血が流れる。意識が飛びそうだった。
「ううっ」
影法師は実体化できない。この場を切り抜ける手段が思い付かない。さっさとコイツを倒してタイヨウくん達に合流しないといけないのに、体が動かない。
悔しい……悔しい悔しい!悔しい!!
アイギスとして任務を行うようになり、自分なりに体を鍛えていたつもりだった。面倒事は嫌いだし、関わりたくない気持ちは今でもある。でも、それ以上に、面倒事が嫌だと思う気持ち以上に彼らが大切になってしまったんだ。だから、自分からは関わらないけど、私の力が必要ならなるべく協力したいと思う様になった。こんな凡人でも力になれるならって……そう思って自分なりに努力してたんだけどな……。
やっぱり、私はどこまでいっても凡人だったらしい。本当の主人公チームの一員なら、ここでパワーアップでもして逆転勝ちに持って行けそうなのに、そんな兆しはない。
じわじわと獲物を追い詰めるように、ゆっくりと近づくモンスター。それでも私の体は指一本動かせない。
体が動くなら何とかなったかもしれないが、全く力が入らないのだ。抵抗しようにも、カードに触れる事すらできない。諦めるように、モンスターが蔓を振り上げるのを無感情に眺める。
……ここまでか。
「おい、デカブツ。ソイツを殺んのは俺だ」
「え」
誰かの声が聞こえたかと思うと同時に、激しい突風が吹く。その聞き覚えのある声に、私は驚きで目を見開いた。
「他人の獲物を横取りするたァ感心しねェなァ?」
「な、んで……?」
目の前に、黒いフードを被った人物が現れる。フードを目深く被り、顔は分からないが私はその人が誰かを確信していた。
「よォ、随分とまァ……ダッセェ格好じゃねェか」
更に風が強まり、フードが外れる。現れた銀髪にやっぱりかという思いと、どうしてという疑問で思考が支配される。
「約束通り、果たしに来たぜェ?リベンジ」
「渡守、くん……」
渡守セン。かつて敵だった彼が、何故か私の前に立っていたのだ。
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