ph110 天眼家

 タイヨウくんが加護持ちとなり、一安心した翌日。いつも通りの通学路を歩いてると、神妙な顔をした先輩が道を塞ぐように立っていた。


 いつもならサチコ!奇遇だな!と絶対に仕組まれている故意によって作られた奇遇により一緒に登校していたのだが、何やら先輩の様子がおかしい。


「先輩?どうしたんですか?」

「サチコ……お前を待ってたんだ」


 いつもだろとツッコまないのは私の優しさである。


「何かあったんですか?」

「いや、その……」


 視線をあちこちに逸らし、言葉を濁す先輩に、これは絶対に何かあったなと確信する。


「大気のマナの事は……」

「先輩に言われた通り、誰にも言っていません」

「そうか……なら、いいんだ」


 また黙り込んだ先輩をじっと見つめる。


 このタイミングで大気のマナを口に出すと言うことは、それに関する事だろうか?確か、病院で目覚めてすぐに言われたんだっけ?サタン封印時に、自分だけじゃなく大気のマナを使った事は誰にも言うなって。いつもと雰囲気の違う先輩に、これは本当に言ったら不味い事になりそうだと思って隠してたけど、まさかバレてしまったのだろうか?


「大気のマナで何かあったんですか?」

「そうじゃねぇ。それとは別件だ……嫌なら断っていい……その、精霊狩りワイルドハントにいたピンク電波チビ、覚えてるか?」


 精霊狩りワイルドハント?ピンク電波チビ?……もしかして、エンちゃんの事だろうか?ますます要件が分からなくなり、先輩の言葉を待った。


「そいつがお前に会いたいっつってるらしいが……どうする?」

「エンちゃんが?私に?」


 何故私に会いたいのだろうか?その理由が分からず首を傾げる。

 

「……さぁな、理由なんざ知らねぇ……けど、俺は会って欲しくねぇ……」


 会って欲しくないのに先輩がワザワザ伝えに来たという事は、先輩でも断れない相手からの頼みである可能性が高い。だったら、思い当たる人物は一人だ。


「それは、五金総帥の命令ですか?」

「違ぇ、厚化粧女からの頼みだ」

「天眼家の御当主が?何故?」


 ここで天眼家が出てくるのは予想外だった。エンちゃんはアイギスの預かりになっていると思っていたし、てっきり事情聴取の一環として呼ばれたのだと思ったのだが違うのだろうか?


「あのチビの名前……天眼ユカリっつぅんだよ」

「えっ!?」


 天眼!?天眼ユカリだって!?火川エンは本名じゃなかったのか!?……いや、そんな事より!エンちゃんは天眼家の人間だったのか……もしかして、アボウくん達がSSSCに出場してたのはエンちゃんが関係していたのだろうか?


「だから、その……完全に厚化粧女の私情によるもんだ。お前が付き合う必要はーー」

「分かりました」

「なっ!?」


 先輩は目を見開きながら、私の両肩に手を置いた。


「おまっ、会うつもりなのか!?」

「はい」

「やめとけ!お前を傷つけた奴だぞ!?俺が間に入れりゃあどうとでも断れる!!考え直せ!!」

「でも、わざわざお伝えしに来たという事は、それなりの事情があるのでしょう?」

「そりゃ……でも!お前には関係ねぇ事だ!」

「いいえ、会います。別にそれぐらい何ともないです」

「サチコ……」


 事情は知らないが、天眼家が関わっているなら無下にはできない。歪みの件で協力してくれてるみたいだし、恩を売っておくに越したことはないだろう。


「それに、先輩も来てくれるんでしょう?」

「当たり前だ!お前一人行かせるわけねぇだろ!」

「だったら大丈夫です」


 先輩の強さは知っているし、何があっても先輩ならなんとかしてくれるだろう。そんな人が一緒にいてくれるなら心強い。


「先輩が側にいてくれるのなら、何も心配ありません」


 だから大丈夫だと顔を上げると、先輩は首ブリッチをしていた。


 いや、なんで?


「……先輩、何してるんですか?」

「いや、あの……ちょっと頭板状筋を鍛えたくて」

「唐突」


 話してる途中に道端でそんなマニアックな部位鍛えたくなる奴とかいんの?頭板状筋ってどこだよ。名前だけ聞いても頭らへんって事しか分かんねぇよ。先輩の行動が謎すぎる。これも五金家の教育による賜物なのか?


 頭から血を垂れ流しながら、腕を使わずに起き上がる先輩をドン引きしながら見守る。


「任せてくれ。何があっても俺がお前を守る」

「その前にご自分の頭をどうにかして下さい。とんでもない事になってますよ」

「何があっても絶対ぇ離れねぇからな!!」

「いや、今は離れて下さい。血かかるんで」


 テンションが上がっているせいなのか、頭から勢いよく血が飛び出ている。一歩引いて物理的に離れるが、すぐに距離を詰められた。


 私は色々と諦めるように大きなため息をつき、先輩の奇行は今に始まった事ではないとポケットからハンカチを取り出して、自身の服が汚れないように血を拭ってあげた。


「……頼りにしてますよ、先輩」


 そう顔の血を拭きながら笑いかけると、先輩はまた首ブリッチをした。


 だから何でだよ。

 

「……何してるんですか、先輩」

「いや、その……ちょっと脊柱起立筋を鍛えたくて」

「どこだよ」


 せめて分かる部位にしてくれ。

















 あの後、血だらけの先輩と登校してタイヨウくん達に何があったんだと心配されたが、先輩がいきなり首ブリッチして自ら怪我したと伝えたら本当に何があったんだ!?と更に心配された。


 いや、知らねぇよ。先輩に聞いてくれ。こっちが知りたいぐらいだ。


 そんなこんなで放課後になり、待ち合わせ場所である学校の裏門に行くと、先輩は既に待っていた。すみません、お待たせしましたか?いいや俺も今来たところだ。なんてテンプレの会話をしてから天眼家へと向かった。




 先輩と一緒にブラッグドッグの背に乗ること数十分。辿り着いた天眼家は何というか……前世的に言うならば大正ロマン風のお屋敷といえばいいだろうか?見事な和洋折衷建築に気後れする。


 あらかじめ話は通っていたのか、ご丁寧に応接室のような場所に案内された。紅茶とお菓子が出され、遠慮なくチョコチップクッキーを手に取る。口に含むとサクサクとした食感とバター風味の生地に、たっぷりと入ったチョコチップが口の中で溶けていく。あまりの美味しさにほっぺが落ちそうだった。さすが財閥の出すお茶菓子だと、出来る事ならタッパに詰めてお持ち帰りしたいと思った。


 でも実際にそんな事はできない。ならば少しでも多く私の胃の中に入れてしまおうとクッキーを手にした時、天眼家の御当主様が現れたので慌てて姿勢を正した。


「影薄サチコちゃん、だったわよね」

「あ、はい。そうです」

「そのお菓子、気に入ったようね。よかったら手土産としてお渡しいたしましょうか?」

「いいんですか!……あ、いやその……お構いなく」

「ふふふ」


 は、恥ずかしい!あまりの美味しさに年甲斐もなく食いついてしまった。だってしょうがないじゃん!天眼家御用達のお茶菓子だぞ!?この機会を逃したら一生食べれないかもしれないんだから誰だって食いつくだろ!!それに今の私は小学生だし、少しぐらい無作法でも許される!そう!小学生だからね!!


「おい、厚化粧女。さっさと本題に入れ」

「誰が厚化粧よ!!」

「先輩!!」


 先輩はムスッとしながら足を組み、頬杖をついている。


「俺等はてめぇと無駄話しに来たんじゃねぇんだよ」

「分かってるわよ!」


 天眼家の御当主様は先輩をひと睨みしてから口を開いた。


「サチコちゃん、本当にありがとう。ワタクシの娘と会ってくれる事にとても感謝しているわ」


 私はご当主様の言葉に驚く。


 娘だって!?という事は、エンちゃんってご当主様の実子だったのか!?天眼ユカリという名前で本家の人間である事は予想していたけど、直系とは思わなかった。


「あの、何故私なんですか?」


 先輩に聞いてからずっと抱いていた疑問を口にすると、ご当主様は悲しそうに眉を下げた。

 

「ユカリがね……ずっと貴女の名前を呼ぶのよ……サチコちゃん、サチコちゃんって……」

「私の?」

「ええ。……あの子は今、黒いマナによって精神が蝕まれているの……このままだとあの子は……」

「…………」

「白いマナに戻すには、貴女の力が必要なの……あの子にとって大切な存在である貴女の声なら届くかもしれない……黒いマナを浄化できるかもしれないの」


 大切って……私とエンちゃんの間に、そんな大層な思いを抱かれる程の関わりなんてないのに。それに、白いマナに戻すって……意味が分からない。マナって黒くとか白くとか変えられる物なのか?確かに、先輩のマナとか精霊狩りワイルドハントのメンバーのマナは悪意の塊のようだったが、その人の特質だったり、精霊の属性による物じゃないのだろうか?何より、大切な存在ならば私よりも適任者がいるだろう。


「母親である貴方の方がいいのでは?」

「ワタクシではダメなのよ……母親失格のワタクシの声は……あの子に届かなかったの」


 母親失格?それは、どういう意味だろうか。


「……マナを後天的に黒く染めるにはね……怒り、苦しみ、恨み……そういった負の感情が必要なの。そして、その感情を抱かせる為、あの子は想像も絶するような苦痛を味わった筈よ」

「……黒く、染める……」

「あの子が苦しんでいる時、ワタクシは何もしなかった。業務を優先し、あの子を助けに行かなかった……ワタクシはあの子にとって憎しみの対象なのよ……側にいてもあの子を苦しめるだけ……心を開いてもらえなきゃ浄化はできないの……」


 は?なんだそれ……負の感情を抱かせるって……苦痛を味わうって……そんなん……そんな、設定があるなんて聞いてないぞ。


「ワタクシに出来る事なら何でもするわ!だから、だからお願い!……どうかあの子を救って……」


 ご当主様に手を握られた。その温もりから彼女の必死さが伝わってくる。


 私はエンちゃんと会う事に対し、それほど重く考えてなかった。ちょっと話して終わる気軽なものと思っていたんだ。でも、そんな簡単な話ではなさそうだ。


「……分かりました」


 正直、いきなりこんな事言われて混乱しているし、私に何が出来るかなんて分からない。そもそも白いマナに戻す方法なんてさっぱりだ。でも、話を聞いてしまった以上知らないフリは出来ない。ここで彼女達を見捨てたら罪悪感で死んでしまう。


「ご期待に添えるかは分かりませんが、やれる事はやってみます」

「あ、ありがとう!本当にありがとう!」


 きっと、彼女も相当苦しんだに違いない。三代財閥の御当主という立場が、その肩書が私情を優先させる事を許さなかったのだろう。彼女が自身の子供を優先すれば、大勢の人が不幸になる。私には計り知れない苦悩が彼女にはあるのだろう。でも、それを子供に理解しろというのが酷であるのも分かっている。そのすれ違いが、彼女達の関係に摩擦を生じさせているのだろう。


 私が合間に入っても、完全に関係を修復できるとは思えない。逆に悪化させてしまうかもしれない。でも、この人なら……エンちゃんが白いマナに戻り、きとんと彼女を見ることが出来れば……我が子を思い、涙を流すこの人の思いが伝わればきっと大丈夫だと、そう信じたいと思った。


「では、案内してもらってもいいですか?エンちゃんの……ユカリちゃんの元まで」














 厳重な鍵のかかった部屋。全てを解錠し、扉を開けると真っ白な空間が広がっていた。無駄な物はいっさいなく、清潔なベットのみが置かれていた。そのベッドの上には目的の人物である火川エンちゃんこと天眼ユカリちゃんが膝を抱えるように座っていた。


「サチコ」


 先輩に腕を掴まれ、後ろを振り向く。


「少しでも危険を感じたら俺を呼べ。何があろうと助けに行く」


 先輩の瞳が揺れていた。付いて行きたいという意思をヒシヒシと感じる。けれど、ご当主様に先輩の黒いマナは不確定要素が多すぎるから危険だと言われ、部屋の前で待つように説得したのだ。


「ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」

 

 先輩の手がゆっくりと離れる。一歩踏み出し、部屋の中に入ると同時に閉まる扉。私は真っ直ぐと前を向きながら、エンちゃんが座っているベッドの近くに立った。


 エンちゃんはブツブツと何かを呟いていた。声をかけようにもどちらの名前で呼べばいいか迷ったが、呼び慣れた方の名前を呼ぶ事にした。


「エンちゃん……」

「なんでどうしてさちこちゃんいたいつらいこわいたすけていやだよきらいさちこちゃんみんなきらいきらいきらいきらいこわいつらいいたい」

「エンちゃん」

「どうしてなんでぼくがこわいつらいたすけてさちこちゃんどうしていたいのいやだよぼくこわいよたすけーー」

「ユカリちゃん!!」

「!……サチコ、ちゃん?」


 良かった。ようやくこっちを見てくれた。彼女に何があったのかは知らないが、私の吐き出す言葉ぎぜんで彼女が助かるならと、何が起きても対処できるように覚悟を決める。


「どうし……なんで、サチコちゃんが……」

「遅くなってごめんね」

「あう、あ……」

「君を、助けに来たよ」


 彼女が私に執着する理由は分からない。けど、彼女が私を求めているのならば、やるだけの事はやってみよう。


「ユカリちゃーー」

「遅い!遅すぎるよ!」

「……」

「何で?何で今更来たの?迎えに来て来れなかった癖に!あの時、あの場所で僕を救ってくれなかった癖に!!なのに、なのに何で今更!!」


 ユカリちゃんの体から黒いマナが溢れる。そのマナはユカリちゃんの制御下にないのか、意味もなく部屋の中を漂っていた。


「嫌い……嫌い、嫌いだよサチコちゃんなんか大っ嫌い!!」

「うん」

「こっちに来ないでよ!近寄らないで!!サチコちゃんなんて…サチコちゃんなんて!!」

「ごめん、ごめんね。ユカリちゃん」


 私はユカリちゃんをそっと抱きしめた。彼女の拒絶の言葉が本当だとは思えなかったから。助けを求めているようにしか聞こえなかったから。抱きしめる力を強くし、必死に語りかけた。すると、彼女は私に縋り付くようにしがみつき、涙を流す。


「僕、痛かったんだ……辛かったんだ……怖くて、すごく苦しくて……でも、君がいてくれたから……サチコちゃんが笑ってくれたから、サチコちゃんが僕を必要としてくれたから僕は、僕は僕は僕は僕は!!」

「うん」


 正直、彼女の言っている事は何ひとつ分からないし、身に覚えがなかった。けど、彼女にとってそれが真実ならば受け入れるだけだ。私は彼女を落ち着けるために、彼女の言葉を肯定し続けた。


「もう嫌だよ。痛いのも辛いのも嫌なんだ……僕は、僕は、もう……」

「……うん」

「サチコちゃん……サチコちゃんサチコちゃんサチコちゃんサチコちゃん!!さちっ、こ……ちゃっ……うううっ」

「……」


 嗚咽が聞こえる。心を押し殺しているような小さな声だった。私は彼女の声を聞き漏らさないように耳を澄ませる。


「さち、こちゃっ……」

「……なぁに?」

「ぼくを……ぼくをたすけて……」

「うん」


「その為に来た」


 ユカリちゃんの体から黒いマナが解き放たれた。先ほどとは違い、意思を持って私を襲う。けれど、不安はなかった。だって、このマナよりも怖い物を私は知っている。もっと恐ろしい物を相手にしてきたんだ。サタンのマナに比べたらこんなの全然平気だった。


「サチコ!!」


 何かが壊れる音と共に聞こえた先輩の声。きっと、先輩がこの黒いマナに気づいて扉を壊したのだろう。


「大丈夫か!?」

「えぇ、問題ありません」


 ユカリちゃんのマナを受け入れ、伝わる彼女の感情。恐怖の中に混ざる助けて欲しいという切実な感情。私は自身の感情を込めたマナを送り返し、彼女の心を宥める。すると、感じる確かな手応えに、いけるという確信を得た。


「先輩」


 私はニッと笑いながら先輩を見る。


「すぐ終わるんで、ちょっとだけ待っていて下さい」



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