ph102 精霊界にて

 先輩と別れ、1人降り立つ氷の世界。私以外の人間は勿論いない。


 ……精霊界、想像の10倍ぐらい気味の悪い所だな。もっと明るいイメージだったんだけど、こんなthe地獄!みたいな感じなの?それともココが特別そんな感じなだけなのだろうか?初めて来たから分からない。どうか後者であって欲しいものである。

 

 周囲には禍々しいマナを放つ精霊が私を取り囲んでいる。しかし、近づいてくる様子はない。いや、近づく事ができないのだろうか?


 足元には不気味な魔法陣。贄の祭壇にあった物と似ている。多分、これがサタンを封印していた魔法陣なのだろう。そして、周囲の精霊はこの魔法陣の力によって近寄れないようだった。


 いや、正確には魔法陣の力ではなさそうだ。この魔法陣に残っているサタンのマナを恐れ、近づいて来ないだけのようだ。その証拠に、サタンのマナが充満している場所は避けるような動きが垣間見えた。


 このマナがいつまで持つか分からない、このマナが消えた時、私の命も消えるのだろうか?


「うぐっ……ま゛ずだー……」

「影法師っ!?どうしたの!?」

「ぐるじい……」


 突然、苦しみ出した影法師の背中を支える。名前を呼んでも呻き声を上げるだけで返事はない。


「ま゛ずだー……ごめん、おれ……ゲボっ!ゴボっ!」

「影法師!?……っ!?これは……」


 影法師の口から黒いマナが溢れる。どうやら影法師はサタンのマナに侵されているようだ。原因は分からないが、このまま実体化させておくのは危なさそうだ。


「影法師、カードに戻って」

「いやだ!!」

「今は我儘を言ってる場合じゃーー」

「ま゛ズダーを!びどりにじだぐない!!」

「!?」

「おれ、さいごまで……ま゛ず、だーといっしょに…い、た…」

「……ありがとう。影法師」

「ま゛ずだー…だ、め……やだ、よ、ますーー」


 私は影法師の抗議の声を無視し、強制的にカードに戻した。


 こんな場所まで付いて来てくれた相棒に無理させたくない。どうか今はゆっくりと休んでいて欲しい。


「ーーーー始まった?」


 足元の魔法陣が何かに反応するように輝き出した。今頃人間界では世界の存亡をかけたマッチが行われているのだろうか?


 私の命はタイヨウくん達に託されたも同然だな……いや、私の命だけじゃないな。全人類の命が今、タイヨウくん達に託されているんだ。


 それは、どれほどのプレッシャーなのだろうか?彼等の重圧を考えるだけでもゾッとする。


 だから、こんなの……彼等の心の重みに比べれば全然平気だ。そう、平気なんだ。私が選んだ選択だ。私から言い出した事なんだ。


 状況から考えても私が適任だった。私以上の人材はあの場にいなかった。だから、大丈夫。大丈夫だ。タイヨウくん達はこの世界の主人公的存在だ。絶対にサタンに勝てる。絶対に勝つ。何も心配する事はない。あと数分もすれば決着もついてサタンが倒される。そして私はこの魔法陣を起動させてサタンを封印する。何も難しくない。私はここで待つだけでいい簡単なお仕事だ。難しい事なんて何にもーー。


 本当に?


 ダメだ馬鹿。考えるな私。何も不安な事なんてない。


 本当にタイヨウくん達は勝てるの?


 勝てる!絶対に勝てる!だって彼はこの世界の主人公だ!バットエンドなキッズアニメなんて私は聞いた事ない!


 そもそも、本当にここはアニメの世界なの?


 そうだ!そうに決まってる!そうじゃなきゃこんなカードバトル至上主義の世界なんてあり得ないだろうが!!


 でも、私が関わったせいで物語が変わっていたら?本当は勝てるマッチに勝てないかもしれない。そうなれば、サタンは倒されない。世界が滅んで人間界にも帰れない。影法師はサタンのマナに侵されて死ぬかもしれない。私は1人残される。この世界に、ただ1人でーーーー。


 違う!そんな事ない!私はひとりじゃーー


 ひとりだよ。たった独り。恐ろしい精霊ばけものが蔓延る世界に独りぼっち。頼れる人はいない。誰も助けてくれない。


 わ た し は ひ と り だ


「ちがっ……っ!!」


 私は強く唇を噛み、痛みで恐怖を誤魔化す。


 あぁ。そうだ。認める。認めるよ。本当は怖い。物凄く怖い。タイヨウくん達がサタンに勝てるかなんて分からないし、こんな世界にひとり取り残されるのは物凄く怖い。本当は行きたくなかった。精霊界なんて行かず、人間界に止まって天眼家に泣きつきたかった。でも……。


「そんなこと……できるわけない」


 世界の命運がかかってるんだよ?下手したら全人類が死ぬ。そんな状況で我儘なんて言える訳ない。


 本当は、クロガネ先輩が代わってくれるって言ってくれて嬉しかった。一緒に行くって言ってくれて嬉しかったんだ。


 でも、頷けなかった。だって、私と一緒に来るって事は、全てを捨てる事になるんだから。戻れる保証のない、この世界に……サタンを封印しても……違うな、サタンを封印したら戻れる確率がいっそうなくなるんだ。だって、今はサタンが人間界と精霊界の境界が曖昧になっているのだ。サタンを封印してしまったら境界も正常に戻るだろう。そうしたら人間界に戻る道も閉ざされてしまう可能性が高い。


 ……せっかく家族に認められて、先輩の居場所ができたのに……一人が怖いから一緒に来て欲しいなんて言える訳ないでしょう。まだ大人に守られるべき子供を巻き込める筈がないんだ。それに、みんな頑張ってる。自分にできる事を探して、世界を守ろうと必死に戦っているんだ。私だけ怖いから逃げるなんてそんな事……あぁ、本当になんで……なんで!!


「なんで、私なんだよ……」


 私なんかよりも強い人なんていくらでもいるだろ。心が強く、正義感に溢れ、恐怖にも立ち向かって行けるような……そんな、物語の主人公のような人が転生すればよかったのに……なんで私がこんな目に……あぁ、やっぱダメだ。本当に私ってーー。


「最低だなぁ……」


 もっと皆みたいに強くあれたら良かった。私は本当に自分本意だ。自分が大事。世界なんてどうでもいいんだ。自分が一番。自分が生き残れたらそれでいいんだ。タイヨウくん達とは違う。皆のように特別になんてなれない。なる事ができない。私はただの、どこまでいっても凡庸な一般人でしかないんだ。


「私が影薄サチコだったら……本物の彼女だったらこんな事にならなかったのかな……」


 転生なんかせず、この世界の彼女のままだったならーー。


 あぁもう!気をしっかり持て!マイナス思考に陥るな!もう決まった事だ!戻れないんだ!だったら現実を受け入れろ!生き残りたいなら最善を探せ!いい年した大人だろ?だったら考えろ!後悔なんてしてる暇があるなら思考を止めるな!


 サタンのマナがいつまで残っているか分からないんだ。このマナが消えても、少しでも生き残れるように時間を稼ぐんだ。もうマッチは始まった。私も精霊界に来た。後の事はタイヨウくん達に賭けるしかないんだ。私にできる事は少しでも長く生き残ること。私がいなけりゃサタンを封印出来ずにゲームオーバーだ。自分の役割を果たせ。時間稼ぎは得意だろ?


「がぅ、がぅ……があぁあああ!!」

「!?」


 突然、飛び出してきた獣型の精霊に目を見開く。


 な、んで!?まだサタンのマナは消えていないのに!?いや、文句を言っていても仕方がない!自分にできる事をやるんだ!!


「魂狩り!!」


 私は実体化させた大鎌を振るい、襲いかかって来た精霊のマナを奪って行動不能にさせる。


 幸い、精霊界に来てからなんだか調子がいい。刻印が消えたおかげなのだろうか?この調子ならなんとか対処できそうだ。


 そう安心していると、先程の精霊が引き金となったのか、周囲にいた精霊が一斉に襲いかかってきた。


 ちょっ!?流石にこれは無理!!


「守護の護符!!」


 私はカードを取り出し、結界を張る。精霊は私の結界を壊そうと容赦なく攻撃を仕掛けてくる。


「くっ……」


 くっそ!!私にもタイヨウくんぐらいマナがあったら良かったのに!これじゃ数分も持たない!!


 結界を張る手が震える。死が間近に迫り、恐怖で思考が止まりそうになる。


 諦めるな!最後まで抗え!こんなとこで死んでたまるか!意地でも結界を継続させーー!!


 世界が揺れた。原因は分からない。でも、その揺れで途切れる集中。


 ガシャンと結界の破れる音が、私の鼓膜を刺激した。そして、無情にも迫りくる精霊の鋭利な爪。


 あ、私……死ぬんだ、ここで……。


 直感的に悟る。私にこの攻撃を防ぐ手段はない。この爪に切り裂かれ、無惨に死んでしまうのだと悟った。


 いやだ。しにたくない。死にたくない、死にたくない、死にたくない死にたくない死にたくない!!


「だれか……」


 た、すけーーーーーー。




















「サチコ」


 熱い、熱い黒炎が目の前の精霊を燃やした。黒い炎は私を守るように囲い、その炎から放たれる禍々しいマナを恐れた精霊達は離れていく。


 そして、私の瞳に映るのは見慣れた人の姿。


「大丈夫か?」

「な、んで……」


 クロガネ先輩だ。先輩が私の目の前に立っている。


 でも、それはおかしい。だって先輩はあの場所に残ったはずだ。確かに置いていったのに、なんで精霊界に?


「言ったじゃねぇか」


 先輩が私に笑いかける。いつものように、人間界でマッチしようぜと誘う時と同じ笑顔で笑い掛けてくる。


「お前は俺が守るって」










「馬っっ鹿じゃないですか!?」


 気づいたら叫んでいた。先輩の存在に、先輩のあり得ない行動に。


「何でここに来たんですか!?何であの場に残らなかったんですか!!何を考えてんですか貴方は!!」


 呑気に笑う先輩に、事の重大性を理解しているのか分からない彼の笑顔に向かって叫ぶ。


「死ぬかもしれないんですよ!?下手したら二度と戻れないんですよ!?なのに、何でこんなとこに来たんですか!?何でこんなとこにいるんですか!!」


 先輩は何も言わない。ただ黙って私を見つめている。それが、その沈黙が私の怒りを助長させる。


「せっかく認められたのに!総帥に……財閥の、アイギスの人達にだって認められて……先輩の望んでた居場所じゃないですか!!なのに、なのに何で!!」

「お前がいねぇ」

「!?」


 先輩の真剣な瞳に、感情のままに叫んでいた言葉が止まる。何も言えない。言葉が出てこない。


「お前がいねぇなら、んなモンに価値はねぇ。サチコがいなきゃ、何も意味ねぇんだよ」


 すっと近くにいたから分かる。彼の言葉に嘘はない。本心で言っている。心の底からそう思っているのだと伝わってくる。


「アイギスはどうするんですか……総帥は今、動けないんですよ」

「メガネがいる。あいつがいんなら何とか何だろ」

「財閥の方だって……トップが、当主が不在になるのはーー」

「田中とシロガネがいる。問題ねぇ」


 ああ、もう……本当に重い。君の友情は重すぎる!!


「……全部捨てる事になるかもしれないんですよ?そんなの馬鹿げてます」


 だから、軌道修正しなきゃ。大人として、その行動は間違ってると教えなきゃ。


「とりあえず、先輩を人間界に送れるか試してみます。原因は分かりませんが、人間界と精霊界の境界の綻びが酷くなってるみたいですし、これなら問題なく転移できそうです」


 君には私なんかよりも大切にしないといけないモノがある。それに、財閥の息子としての社会的責任があるんだ。こんな軽率な行動を取らせてはいけない。


「一時の感情で全てを捨てるなんて絶対に後悔ーー」

「しねぇよ」


 そう思ってるのに、そう、分かっているのに……。


「絶対に後悔なんかしねぇ」


 あぁ、私は……なんて最低なんだろうか。本当に、物凄く最低だ。


「だからっ!!」


 あんな酷い言葉を吐いた癖に、先輩を傷つけた癖に。


「一時の感情なんかじゃねぇ」


 本当に先輩を思うのならば返さないといけないのに。大人として、彼の友人として突き放さなきゃいけないのに。


「これまでも、これからも俺の居場所はお前の隣がいい。サチコの側にいてぇんだ……例え、お前に嫌われていたとしても諦めらんねぇ……ごめんな」

「っ!!」


 彼の言葉に心底安心した。

 独りじゃない事に酷く安心したんだ。


「……私、先輩が思ってるほど善人じゃないです」

「そうか」


 いつも面倒だと思ってた先輩の激重感情が……。


「自分が一番可愛いし、他人の為に命を捨てるなんて真っ平です。今だって、何でこんな事引き受けたんだろうって、こんな所にいたくない。全部全部放り投げて何も考えず家で暖かい布団にくるまって寝たいと思ってます」

「そうか」


 先輩から向けられるのが嫌だった重すぎる友愛が……。


「先輩のマナだって怖いし、激重感情にドン引きして先輩との付き合い方を何度も考え直したこともあります。ぶっちゃけ先輩からフェードアウトする気満々でした。精霊界にいく前に言った言葉も、本当にちょっとくらい思ってたんです」

「そうか」


 こんなにも……こんなにも……。


「そんな……こんな、私なんかと一緒にいても」

「なんかじゃねぇ」


「サチコだからいいんだ」


 嬉しく感じるなんて!!


「……先輩は馬鹿ですよ……本当に馬鹿です」

「そうか」


 本当に馬鹿だよ。こんな自分勝手な最低野郎なんかに懐いて。


 目から暖かいモノが流れる。それは、私の涙だった。涙がどんどん溢れ、止まらない。止める気にもなれない。


 先輩はそんな私を慰めるように抱き締めた。私は黙ってそれを受け入れる。


 あぁ、もう本当にこの子は……。いや、もう何を言っても無駄だな。先輩の激重感情舐めてたよ。だから、今はただ素直にーー。


「……先輩」

「なんだ?」

「……ごめん、なさい……」


 酷い事言ってごめんなさい。君を傷つけるような事を言ってごめんなさい。


 謝って許される事じゃないかもしれないけど、本当に、本当にごめんなさい。そして、それから……。


「ありが、とう……」


 付いて来てくれてありがとう。守ってくれてありがとう。こんな私と一緒にいてくれてありがとう。


「……あぁ」


 先輩の腕の力が強くなる。私も答えるように強く抱き締め返した。


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