ph71 3つめの刻印

「影薄!大丈夫か!?」


 ヒョウガくんは此方に駆け寄ると、私の肩を支えるように抱きながら心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「話せるか!?何処が痛む!?」

「……っ、背中」


 私がそう答えると、ヒョウガくんは刻印が刻まれている背中へと視線を向けながらまさかと呟く。


「うん、おそらくは……まだ、断定はできないけどね……」

「……ならばあれは……忘却の刻印!!」


 ヒョウガくんは何故か確信を持って刻印の名称を言い切ると、不自然に固まり、全く動かなくなった。そして、小声で何かをぶつぶつと呟き始めたヒョウガくんの様子が心配になり、声をかけるが反応が返ってこない。


「ヒョウガくん?どうし……」

「きっっっさまぁぁぁあぁぁ!!」


 突然、ヒョウガくんが怒号を飛ばしながらコキュートスを実体化させた。そして、まるで親の仇でも見るような目でアスカちゃんを睨んでいる。


 そんなヒョウガくんの行動に不安を覚えた私は、彼を落ち着かせようと服の袖を引っ張り物理的に止めようと試みるが、残念ながら効果はなかった。


「よくも……よくも影薄に!!」

「きゃああああ!」

「アスカお嬢様!!」


 コキュートスがアスカちゃんに向かって氷の刃を飛ばす。精霊からの攻撃に怯えたアスカちゃんは、咄嗟にしゃがみ込んだ。そして、その場から動けない様子のアスカちゃんを守ろうと、セバスと呼ばれていた執事が精霊を実体化させるが間に合いそうにない。


「ヒョウガく……」

「ドライグ!!」


 私がヒョウガくんの名前を呼ぶより先に、タイヨウくんがドライグの名を呼んだ。ドライグは分かっておる!と返事をしながら氷の刃を破壊し、続けて落ち着かんか!小童!とヒョウガくんに向かって怒鳴った。


「精霊で攻撃なんて……お前、何考えてんだよ!」

「レーテーがいた!冥界川シリーズの精霊だ!」


 タイヨウくんの剣幕を物ともぜず、ヒョウガくんは言葉を発する。精霊狩りワイルドハントに関連する精霊がいたと主張し、アスカちゃんを守るのは間違っていると責め立てる。


「レーテーの属性は水、闇、冥界だ!そして弁財天の属性は水、音、神!同じ水属性を持っている奴が一番疑わしい!」


 一応、ヒョウガくんなりの根拠はあるようだが、言い分としては説得力に欠ける内容だった。タイヨウくんもそう思っているのか、怪訝な顔をしながらアスカちゃんを背中で隠し、コキュートスの攻撃から守るように身構えた。執事の人はアスカちゃんの側に控え、船を軽自動車ぐらいの大きさで実体化させたまま、ヒョウガくんを睨んでいる。


「同じ属性があるって……そんだけで!?全然理由になってねぇよ!」

「影薄に刻印が刻まれた!」

「え!?刻印!?」


 タイヨウくんが心配そうに私を見る。


「3つだ!3つも刻印が刻まれた!!早くしなければ影薄は……影薄はっ!!」


 ヒョウガくんが刻印に対して尋常じゃないぐらい気にしていた事は知っていたが、ここまで怒り狂うなんて……。彼らしくないなと違和感を覚えたが、ヒョウガくんの余裕のない表情が、言葉が、彼の過去に何かあったのではないかと彷彿とさせ、口を挟めない。


「母さんや……姉さんのように……」


 焦点があっていない目で、俺はまた……姉さん母さん。と小声で繰り返すヒョウガくんの姿に、あぁそうか。と彼が取り乱している理由を何となくではあるが察する事が出来た。


 きっと、刻印に対してここまで神経質になっているのは、彼の母親と姉に何かあったのだろうと。そして、私が刻印を刻まれた事に対して、必要以上に罪悪感を抱いていた原因もその事が関係しているのだろうと納得した。


「俺はっ……俺はもう!失うわけにはいかない!!」

「ヒョウガ?」

「姉さんだけは……姉さんだけでも俺が!!」

「何言って……」

「退けぇ!タイヨウ!」

「なっ!?」

「邪魔するならばお前でも容赦しない!!」

「っ、どかねぇ!!」


 タイヨウくんは覚悟を決めたようにヒョウガくんと対峙する。


「ヒョウガ!お前、変だぞ!!いつもの冷静なお前はどうしたんだよ!!」

「うるさい!うるさいうるさいうるさい!」


 ヒョウガくんはコキュートスと自身の精霊の名を叫ぶと、コキュートスとマナを循環させ始めた。ヒョウガくんがレベルアップをしようとしている事に気づいた私はこれは本格的に不味いと、右手に力を込め、心の中でヒョウガくんごめんと謝りながら大きく振りかぶった。


「コキュートス!!レベルあ……」


 パァンっと乾いた音が響く。タイヨウくんがアスカちゃんを横抱きにしてジャンプしている姿を確認しながら、私は呆けているヒョウガくん頬を両手で挟むように持った。


「しっかりしろ!!」


 私は背中の痛みに耐えながらヒョウガくんの顔を固定し、強制的に視線を合わせる。


「ヒョウガくん。私が分かる?声は聞こえてる?」

「……あ……」

「聞こえてるなら深呼吸して……そう、大きく息を吸って……うん、上手。そのまま深く吐いて。私を見ながら、ゆっくりでいいから深呼吸して」


 虚な目をしながらも、ゆっくりと深呼吸をする彼の様子にもう大丈夫かなと両頬に当てていた手の力を抜く。 


「落ち着いた?私の名前は言える?」

「かげ、う……す」

「そうです。影薄です」


「君のお母さんでも、お姉さんでもない。影薄サチコです」


 ヒョウガくんはハッと正気を取り戻し、その瞳に私を映した。


「影薄」

「正気に戻った?」

「俺は……」


 ヒョウガくんの表情が曇っていく。多分、先ほどまでの自身の行いを責めているのだろう。


「すまない。俺は……」


 あ、これはウジウジモードに入って余計面倒な事になるなと察知した私は、させねぇよと、ヒョウガくんの思考を渡るように彼の頬を潰した。


「はい。ネガティブはお終い」

「影薄っ……!」

「誰も怪我してない。私も大丈夫。今はそれでいいでしょ。悩んだりするのは後にしよ」

「だが!……いや、そうだな……取り乱してすまなかった」


 完全に痛みが引いたわけでは無いが、攻撃を受けた直後よりはマシだ。そんな事より、精霊狩りワイルドハントが何処に潜んでいるかわからない状況で、ヒョウガくんに暴れ回られた方がよろしくない。私が痛みを堪えながら平静を装っていると、ヒョウガくんは何か言いたそうであったが、頭を横に振り、切り替えるようにアスカちゃんの方を見た。

 

「お前がそう言うなら何も言うまい……が、攻撃されたのは事実だ。奴等が疑わしい事には変わりない」

「心配すんな!」


 タイヨウくんはアスカちゃんを抱えたまま、器用にドンと胸を叩いた。


「アスカはそんな事しねぇよ!」

「何を根拠に……」

「マッチをしたから分かる!」


 タイヨウくんは自身満々に宣言する。疑うことを知らない純粋な瞳で、心の底からそう信じていると分かる笑顔で言ってのける。


「コイツのマッチ、すっげぇ真っ直ぐなんだよ。俺と真剣に向き合って、正面からぶつかってくんだ。そんな奴がサチコを攻撃するわけねぇよ!そうだろ?」


 タイヨウくんがアスカちゃんに向かってニッカリと笑いかけると、彼女の顔は一瞬にして真っ赤になり、ジタバタと暴れ出した。


「っ!いつまで抱えてるんですの!?おろしてくださいまし!!」

「うわっ!?」


 無理やりタイヨウくんの腕から脱出したアスカちゃんは、執事の人に服装を整えられながら、取り繕うようにコホンと咳払いをした。


「わたくし、闇討ちなどという品のない行為は致しませんわ!」


 信じてもらえるか分かりませんがと付け加え、貴族的な動作で悠然と構えるアスカちゃんに対し、ヒョウガくんは訝しむように眉を顰める。


「……ならば、マナが扱えるのは何故だ?」

「まな?」


 アスカちゃんは扇子を開きながら、首をコテンと傾げさせた。


「まなとは何ですの?」

「とぼけるな。貴様がマナを使って罠を張っていた事は知っている」

「罠?まなを使う?先ほどから何の話かさっぱり分かりませんわ」


 アスカちゃんは本当に心当たりがないのだろう。気分を悪くしたようにしかめ面をしながら扇子を閉じ、その先端をこちらに向けた。


「罠を張って待ち構えていたのは貴方方の方ではなくて?わたくしは、ここで頻繁にマッチが行われていたようなので赴いただけですわ」

「何だと?」

MDマッチデバイスのアプリは確認してまして?マッチを行えば、アイコンが表示されて位置が分かりますのよ」


 アスカちゃんはご丁寧にMDマッチデバイスのマップアプリを開き、VSアイコンを私達に見せるように画面を拡大させた。

 

「始めにおマヌケさん達と言いましたでしょう?同じ場所で堂々とマッチをなさり、周囲に居場所を知られている御自覚がなさそうであったのでそう呼ばせていただきましたのよ」


 何だって?ならば、あの罠はアスカちゃん達が仕掛けていたわけではなかったのか?……そうなると、やはり犯人は精霊狩りワイルドハントか。それも、レーテーという冥界川シリーズの精霊を操るサモナーの仕業とみて間違いないだろう。


 狙いは……私に刻印を刻む為と考えるのが妥当だろうな。


 ヒョウガくん曰く、サタンの実体化には冥界川シリーズの精霊に認められたサモナー以外に、刻印を刻まれてもマナを操ることが出来るサモナーが必要だと言っていた。精霊狩りワイルドハントがアイギス本部を襲撃した要因に、私の誘拐という目的も含まれていたし、認めたくはないが、それ程のリスクを冒してでも欲しい人材なのだろう。


 しかし、それは失敗した。ならば、次に精霊狩りかれらがとる行動は?精霊狩りかれらは私がSSSCに出場する事は把握している筈だ。そして、SSSCが開催される場所は精霊狩りかれらの本拠地だ。これを利用しない手はない。ダビデル島で罠を張り、待ち構えていたとしてもおかしくはないだろう。いや、違う。待ち構えていて当然なんだ。ならば、罠は一つだけではないと考えた方がいい。ダビデル島の至る場所で罠を張り、私に刻印を刻むチャンスを虎視眈々と狙っているのだろう。


 私に全ての刻印を刻み、サタン実体化の為の贄として利用したいのだ。大会で罠を仕掛け、刻印を増やし、弱らす事が出来れば刻印も刻めて誘拐もしやすくなる。まさに一石二鳥という訳だ。


 ヒョウガくんのもっと狙われている自覚を持てと言う言葉が、今さらになって重くのし掛かる。


 私、自分で思ってるよりヤバい状況なのでは?と冷や汗が流れた。


「疑いは晴れまして?」

「ふん。そんなものどうとでも言え……」

「おう!悪かったな!」

「タイヨウ!!」


 タイヨウくんがあっけらかんと答えていると、ヒョウガくんが咎めるように声を荒げる。


「そんなに怒んなよ。アスカは信じられる!俺が保証する!それに、もし何かあってら俺が責任取るからさ!ここは俺を信じてくれよ!な?」


 正直、彼のマッチ理論はよく分からんが、私もタイヨウくんの言う通り、アスカちゃんは犯人ではないと思っている。そもそも、彼女が精霊狩りワイルドハントであるならば、わざわざ私達の前に正体を晒してマッチをする理由が分からない。隠れて妨害なり刻印を刻むなりした方が効率がいいだろうし。まぁ、私に分からないような考えを持ってやっていると言われればそれまでだが。


 アスカちゃんはじっとタイヨウくんを見ている。そして、そっと視線を逸らしたかと思うと、扇子で口元を隠しながら双子の女の子と男の子の名前を呼んだ。


「ナナ!ノノ!」

「はいなのです!」

「のです!」


 ナナと呼ばれた女の子が元気よく声を上げ、ノノと呼ばれた男の子がナナちゃんに続くように言葉を繰り返す。


「……サチコさんの傷を治療なさい」


 ナナちゃんとノノくんはアスカちゃんの命令に驚き、狼狽える。執事の人もお嬢様を攻撃してきた方の仲間ですよ!と言い不満そうだ。


「サバイバルである以上、攻撃を受けたのは自己責任ですわ。ですが!放っておくのはわたくしの気分がよろしくありませんの」


 双子は少し葛藤したようだが、ナナちゃんがお嬢様が言うのならばと私に駆け寄り、ノノくんものです!と言いながら私に近づいて来た。


「バンシー!癒しの涙なのです!」


 ナナちゃんが自身の精霊であるバンシーを実体化させ、体力回復効果のあるスキルを使用する。バンシーの涙が私に降り注ぎ、先ほどまで痛かった背中の痛みが少しづつ引いていった。温かい物に包まれているような感覚に、痛みで無意識に緊張していた体がほぐれる。


 ヒョウガくんは2人に厳しい視線を向けていたが、攻撃の意志がないことを悟ったのか、少しだけ雰囲気を和らげた。


「こ、コボルト!バンシーを手伝うのです!」


 ノノくんはヒョウガくんにビクビクしながらも精霊を実体化させる。


 コボルトはスキル効果を増幅させるスキルを持っているのか、コボルトがバンシーを手伝うと、どんどん痛みが引いていく。私が2人にお礼を言うと、双子はこれぐらい朝飯前なのです!と満足気に鼻を膨らませた……かわいいなこの子等。執事の人は相変わらずアスカちゃんの側を離れず、ヒョウガくんの一挙一動も見逃さないと言わんばかりに睨んでいた。


「お前って優しいんだな!ありがとな!」

「べ、別に!敗北の理由にされたらわたくしのプライドが許せないだけですわ」


 タイヨウくんがそれでもありがとうと伝えると、アスカちゃんは動揺したように視線をあちこちに逸らす。


「な、何ですの!?そんなにお礼をおっしゃってもマッチの手は抜きませんわよ!」

「もちろんだ!」




「せっかく盛り上がってきたのに、ここで手なんか抜かれちゃがっかりすんだろ!」

「……強がりがとてもお上手ですのね。戦況は貴方が不利ですのよ?」

「強がりなんかじゃねえよ!」


 タイヨウくんは笑う。彼の名前と同じ太陽のような笑みで笑う。


「俺、今すっげぇ楽しいんだ!早くお前とマッチがしてぇって!全力でぶつかって、そんで絶対勝ってやるってワクワクしてんだよ!」


 さすが主人公と言うべきか、彼の笑顔を見ていると絶対に勝てるという根拠のない信頼が込み上げてきた。


「続けようぜ!俺達のマッチを!」

「……えぇ」


 彼がドロー!と言いながらカード引く姿を見守りつつも、念のためと影法師を実体化させて周囲を見てくるようにお願いした。




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