第87話 夜明けを呼ぶもの②




 街が燃え、戦火に包まれる中。




 この混乱を引き起こした首謀者であるラーバ・ボーガロウはゼオとハルラの前にその姿を現した。皺だらけの顔には不機嫌以外の表情は伺えず、後ろめたさや罪悪感のようなものは微塵も感じられない。

 その落ち窪んだ眼がハルラと、ゼオを捉えた。


「っ……」


 身を強張らせるハルラを庇うようにゼオは前に立ち、剣の切っ先をボーガロウへと向けた。敵であることは間違いない。この街を戦火に巻き込んだことに対する怒りもある。

 そんな敵意を込め睨みつけたゼオの視線を、ボーガロウはフン、と一笑に付した。


「その小娘がそんなに大事か。

 自分で考える頭も持たない、馬鹿な騎士同士で馴れ合うのがそんなに楽しいか?」


「何を……!」


 侮辱の言葉に先に声を発したのはハルラだった。自分を馬鹿にするのはいい。だが、ゼオまで巻き込んだことは許せない。


「あなたの野望も、もう終わりです!クーデターは失敗し、間もなく鎮圧される!

 もう、今更何をしようと遅すぎる!」


 かつては意見することさえ許されず、暴力で従わされていた男へ向けハルラは叫ぶ。もはやボーガロウに怯えることなどない。

 だが、そんな彼女がおかしいと言わんばかりにボーガロウは笑う。


「遅い……?遅いだと?

 何が遅い?むしろ、ここからが始まりなのだ」

「こんなちっぽけな国など、私の野望の始まりに過ぎん。待遇に不満を抱いている騎士、主の寝首をかこうとしている騎士など、どこにでもいる」

「世界が!時代が!私に味方しているっ!」


 大仰に両腕を上げ天を上げながら、しわがれた声で男は叫ぶ。三大国家の一角さえ始まりに過ぎないと語るその巨大な野望は狂気じみたものとなっていた。


 しかし。


 今日、こうして起きてしまったクーデターとそれに加担した傭兵たちのことを踏まえると耄碌もうろくした老人の妄言で済ませられるものではない。火種を抱えているのはこの国だけではない。

 自分も手を貸してしまった一人であるという事実に唇を噛みながら、ハルラは怒りの限りボーガロウを睨みつけた。

 だがそんな彼女の態度は男を喜ばせることにしかならなかった。


「理想の騎士、だったか?あの小娘シャルティナの考えなど、時代遅れの幻想なのだよ。

 お前たちはそれに踊らされただけだ」

「もっとも、主に尻尾を振ることしか考えていない、馬鹿な犬どもには分からんだろうがなあァ!?」


 耳障りな笑い声がハルラの耳に響く。

 今まで信じて来たその全てを侮辱され、悔しくて悔しくてたまらないのに、言い返すことが出来ない。


 せっかく抜け出すことが出来たのに、無力な自分への失望と怒りがまた彼女の心を深く沈めていく。

 せめて涙だけは流さないよう誓ったのに、俯く視界は滲んでいく。




「……それで?わざわざ、負け惜しみを言いに来たのか?」




 煽るようなゼオの言葉に、ボーガロウはピタッと笑い声を止めた。


「負け惜しみだと……?

 理解していないのか、私の野望は……!」


「くだらない野望が何だ。この国のクーデターは失敗した。それは事実だろう。

 ハルラさんの望んだ通りだ」


 そう話すゼオの口調は落ち着いていた。

 だが、ハルラはその声に、静かな怒りが込められていると感じた。


(ゼオさん……)


 彼が怒ったところなど見たことがない。


 周囲からどんなに馬鹿にされ、迷惑をかけられようと気にせず、ただただ優しく在る、そんな彼が。




 自分と、この国に起きたことに怒ってくれている。




「……ハッ!良いように利用されているだけの小僧が。

 小娘がしたことを、分かって言っているのか?だとすれば、とんだ駄犬だな!」


 ゼオの挑発に乗るまいと、ボーガロウは怒りを抑えつつ返す。

 だが、その身体は小刻みに震え、杖の先端を激しく打ちつけている。今にも決壊寸前なのは目に見えており、落ち着いているとは到底言えなかった。




「分かってないのはお前の方だ。

 ハルラさんは、お前の野望を止める為に戦ったんだ。

 彼女だけじゃない。大勢の騎士がこの国を守るために戦っている。

 そのおかげでクーデターももうすぐ終わる」


「この戦いに勝ったのは彼女と騎士達だ。お前じゃない!」




 直後。




 激しく渦巻く炎が、ゼオに向け放たれた。だが、ゼオはそれを難なく剣で制す。


「ゼオさん!」


 身を案じてハルラが叫ぶ。ゼオは僅かに振り返り大丈夫と応え、炎を放ったボーガロウを睨みつけた。

 禿げ上がった額に血管を浮かべたボーガロウはその手に、分厚い刃を備えた大剣を握っていた。刀身は微かに赤熱化し、魔力の残滓が見て取れる。


「口の利き方には気を付けろよ小僧……ッ!

 何故私が今ここに来たのか、その意味を考えろ……!」


 そう言い放ち、ボーガロウは大剣の先端をゼオへと向ける。




「っ……!」




 言うことを聞かない身体に鞭打ち、ハルラは何とか立ち上がろうとした。だが、緊張から解放されたばかりの身体は糸の切れた人形のように力が入らない。


 ボーガロウは騎士の象徴となるゼオを目障りに思っている。だからハルラにその排除を命じた。

 そして、クーデターが失敗したにもかかわらず、わざわざ自ら出向いてここに来た理由とは即ち──。




「今すぐこの国を後にしてもいいのだが……

 ここでお前が死ねば、小娘の策も、くだらん騎士の象徴も終わりだ。小僧!」




 ゼオの状況は万全とは言い難い。

 ハルラとの激闘を終え、肉体的には限界と言っていい。今は気力で立っているような状況だ。


 だが、それでも彼は一歩も退かない。




「お前なんかに負けるものか……!」


 


 


 ボーガロウが大剣を構え、ゼオに向けて踏み出そうとした瞬間────。






「オイオイオイ……言っただろうがよ。そいつはオレの獲物だって」






 辺り一帯を包む宵闇から────幻魔候ギルファーメトルが、その姿を現した。


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