第32話 誰のために、何のために
「ぐっっ……!?」
銃弾を撃ち込まれ、ゼオは反射的に身構えた。
だが、痛みはない。
代わりに襲ってきたのは、凄まじい不安感。
視界が歪む。吐き気が昇ってくる。地面が揺れ、自分の立っている場所が崩れていくような感覚に陥り、倒れる寸前でゼオは膝を付いた。
「っ、はあっ、はあっ、っっ……!」
息を落ち着けようとするが浅い呼吸が繰り返されるばかりだった。空気が肺まで届かず、逆に焦りが募っていく。
そうしてる間にも、腹の底で不安感が生きもののように
何もできないまま、自分の身体がずぶずぶと沼に沈み、抜け出せないような感覚にゼオは包まれた。
(なん、だ……これはっ……!?)
痛みや物理的に何かされたわけではない。ただ、底知れぬ不安が襲って来るだけ。
恐らくサクラシアの
「その程度なの?」
焦りに考えを支配された中で、僅かな思考の余白にサクラシアの声が響いた。早鐘を打つ心臓や自分の浅い呼吸音の中で、妙にクリアに響く声だった。
「自分が何故戦うのか、それを思い出しなさい」
戦う理由。
それを意識した瞬間、ゼオは右手に握っていた剣の存在を思い出した。崩れ落ちた際とっさに支えに使ったそれはしっかりゼオの身体を支え続けてくれていた。
全身が震えて動かないのに、剣の柄を握る右手だけは感覚があった。
剣を握り、力を込める度に少しずつ力が蘇っていく気がした。
この剣のことは信じている。決闘の時も、この剣はゼオの意志に魔法という形で応えてくれた。
そして、それ以上に信じているものが一つ。
未だ姿を見せず、実在するかも定かではない、自らの主。
それこそが、ゼオの戦う理由だった。
どんな姿なのか知りたい。
彼女の役に立ちたい。
傍に居たい。
……そして、信じたい。
「っ、姫様……っっ!」
顔も名前も知らない彼女のことを思い、自らを鼓舞する。
泥のような不安感に腰まで浸かった自らの身体を奮い立たせ、抜け出そうと必死にもがいた。
未だ足には完全には力が入らない。剣を支えに、ゼオは腰を震わせ……何度も
彼は気づかない。自らの剣が淡い光を放っていることに。
これこそ
決闘の時のような眩い輝きではないが──上出来だ。
(初心者相手には一発撃ちこんで少しずつ慣らしていくところだけど……)
(記憶を失う前……最後に会った時も、貴方は六発全て撃ち込んでも耐えて見せた。あの時から衰えていないみたいね)
ゼオは不安に打ち勝った。それを認め、サクラシアは不安の魔法を解除した。
「っ、と……わっ!?」
身体が解放され、バランスを崩し倒れそうになったゼオをサクラシアは優しく抱き寄せた。
寒げ立ち力の入らない身体を支えてやり、安心させるように優しくぽんぽんと叩く。
「……よく頑張ったわね」
それは小さな子供を褒めてあげるようなやり方だったが、彼女はゼオを褒める時はこうすると決めていた。
数年前、初めて会って魔法を教え……子供とは思えない意志の強さと、誇り高さを知った時から。
(こんな子が自分のために命を賭けて戦うなんて……リリオンが記憶を封じてまで遠ざけたのも、分かるかもしれない)
少し置いて、すっと彼女が離れると、ゼオは顔を真っ赤に、目を丸くしていた。
今までの彼ならせいぜい照れ臭そうにしているくらいだったが、流石に記憶を失った今の状態では刺激が強すぎたらしい。
(……ダメね)
ゼオの様子に釣られて自分の顔も赤くなりつつあることに彼女は気づいた。
ぎゅっと密着したわけでもないのに真っ赤になるなんて、ゼオも初心なものだ。
「……上出来よ。昨日の決闘で感覚は掴んでいたとはいえ、やるじゃない。その感覚を思い出せば、魔力も応えてくれるはずよ」
「また何かあれば、すぐに言いなさい。いつでも相手してあげるから」
赤くなった顔を隠すように顔を背けながらそう言うと、彼女はそのままくるっと背を向けた。
放心していたゼオがはっと我に返り、ありがとうございました、と叫ぶのを背中越しに聞きながら彼女は通信魔法を開いた。
『サクラさん。珍しいですね、会議に遅れるとは』
『いつも遅刻すると怒るのに、自分が遅刻するなんて』
通信相手の不満げな声が聞こえるが、今はそんなこと気にはならない。
『ゼオの相手をしてたのよ。魔法を使いたいって言うから、教えてあげてたの』
『あらあらあら……リリオンさんに止められていたんじゃ?』
『……ずるい』
ぶーぶーと不満げな声を挙げる仲間を尻目に、一人抜け駆けしたサクラシアは嬉しそうに微笑んでいた。
一方、一人残されたゼオはしばらく顔を真っ赤にしたまま動けなかった。
サクラシアの試練に打ち勝ち、意志の強さを証明した直後、彼女に抱きしめられた。
彼女はそういうことをするタイプには見えなかったし、驚いたというのもある。
だがそれ以上に頭に残るのは、抱きしめられた時の温もりや……。
「……っ、ああああああ~~~~~~~っっっ!!!」
うちに抱えていた諸々を爆発させるようにゼオは叫んだ。頭をかきむしり、これ以上は考えないほうがいいと必死に言い聞かせる。
ふと気づくと、リュックからヒューグが頭を出してこっちを覗いていた。しかもニヤニヤしている。
「ムッツリだな、お前」
「っ、ひゅ、ヒューグさんっっっ!!!」
ムキになって大声が出てしまった。その声でゼオは少しずつ落ち着きを取り戻していく。
(まあ、お前くらいの年頃は色々大変だよな……わかるわかる)
そんなことを考えながら暖かい目でゼオを見つめるヒューグだが、ゼオはまたからかわれていると思い無視した。
ただただその目線が気持ち悪かったというのもある。
そしてサクラシアから教わったことを振り返ってるうちに……あることを考えていた。
「……すごいですね。記憶を失う前の僕って」
「あん?」
言葉の意味が分からず、ヒューグは聞き返した。
「だって、ランシア様やセナリス様、シャルティナ様たち三人の王女に部下になってほしいって言われて……」
「サクラシアさんも、きっと記憶を失う前の僕のことを知ってたから魔法を教えてくれたと思うんです」
「今の僕は何もしていないのに……記憶を失う前の僕は、きっとすごかったんだなあって」
そんなゼオの言葉に、ヒューグは呆れながら呟く。
「バカか、お前は。お前はお前だろ」
「え?」
ゼオは意外そうにするが、ヒューグからすれば当然のことだ。
「記憶を失う前も今も、お前はお前だろ。お前が頑張ったから皆良くしてくれるんだよ」
呆れたようにそう話すヒューグだが、ゼオは納得しきれていない。
「でも……」
「……でも、僕は何もしていないのに」
「決闘で勝ったじゃねえか」
「それは……ぁ……」
自分でも忘れていたのか、ゼオは口を抑え唖然としていた。助力はあったものの、ゼオは自分の力で決闘に勝利した。
それは間違いない。
「もっと自分に自信を持てよ。でないと、お前の姫様にも迷惑かかるぜ?」
「……まあ、確かに」
ゼオは自分の存在を異常なくらい軽んじている。
それが捨て子という出自のせいなのか、幼い頃から魔物に囲まれ育った環境によるものなのかは定かではない。
だが少なくとも、ゼオが自分を軽んじ、傷を負うことを恐れない限り……リリオンは悲しみ続けるだろう。
(……気持ちは分かるけど、さ)
ヒューグも、主であるランメアのためなら命を賭ける覚悟があった。
だが自らの命を惜しまない戦い方は、周りを不幸にすることだと過去の経験から学んでいた。
ゼオにも、いつか気づいて欲しい。そうすれば、リリオンも安心して記憶の封印を解除してくれるかもしれない。
そうすれば、彼は再び最愛の主の傍に居ることが出来る。
もちろん、それは簡単なことではない。
(……難しいことさせるぜ、まったく)
「ヒューグさん。一つ、どうしても気になるんですけど……」
一人ため息を吐いたヒューグに構わず、ゼオが声をかけてきた。
気になること、とは何だろうか。難しい質問でなければいいが……。
「その、記憶を失う前の僕ってどんな奴だったんですか?」
難問に身構えていたヒューグだったが、呆気ないくらい簡単な質問で拍子抜けしてしまった。
一人悩んでいたことを馬鹿らしく思いながら、ゼオの質問に答える。
「今と変わんねえさ」
「真っすぐで、純粋で、誰かのために戦える、いい奴だよ」
「ヒューグさん……」
「その、ありがとうございます」
ゼオは照れ臭そうに笑いながら、礼を言った。
彼はヒューグの言葉も冗談かお世辞と受け取っただろう。もちろん、ヒューグは真剣そのものだ。
ゼオという青年を知る全ての人間の中で、彼自身が最も
呆れたものだが、そんなところも含めてヒューグはゼオが好きだった。
最後まで主の傍にいることが出来なかった、かつての自らの姿を重ねながら。
(幸せになれよ、ゼオ……オレの代わりに)
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