第3話

「えい! えい!」

 男たちの声が聞こえる。

 凪が目を覚ますと、すっかり明るくなっていた。朝だ。起き上がると、和室の中。布団に寝ていたようだった。スマートフォンを見ると、午前七時。電波なし。

 昨日のことを思い出して、溜め息を吐く。一晩寝て忘れられるような都合のいい頭だったら良かった。バッテリーが切れたら困るので、スマートフォンの電源は落とすことにした。

 障子戸を開けると、朝日が差し込んだ。男たちの掛け声がダイレクトに聞こえてくる。そういえばここは新選組だった。朝の稽古をしているのだろうと思い、凪は部屋を出た。

「やあ、おはよう遠野さん。よく眠れたかな?」

 歩き回っていると近藤に出会った。凪は、肩を落とす。

「よく眠れたと思いますか? 私、気を失ったんですよ? 朝まで」

「はは……そうだったな。すまなかった。気分はどうだい」

「まあまあです」

「そうか。朝飯は食べられそうか?」

「あ、はい」

 いただきます、と言って近藤の後について行く。

「トシおはよう」

「ああ、おはよう近藤さん」

 昨日の広間に、土方が先に来て座っていた。そして、隣にいる凪を見て片眉を上げた。

「なんだ。おまえ起きたのか」

「なんですか、寝ててほしかったんですか?」

 凪が睨むと、土方は苦笑した。

「なんでそんなに朝から苛ついてるんだ。腹減ってるのか?」

「違います!」

 凪が叫んで否定する。土方はくつくつと笑った。土方も笑うのか、と思いながらも凪は頬を膨らませる。

「遠野、朝飯の前におまえに話しておくことがある」

 近藤が土方の隣に座ったので、その脇の方に凪も腰を下ろした。

「昨日おまえが会った安倍晴明は今『はるあき』という名で、ここで客人として過ごしている。おまえは遅れて来た晴明の弟子ってことで、同じ扱いをする。細かい事情は俺たちと総司、そして晴明の四人しか知らねえ。ぺらぺらと他の奴らに話すんじゃねえぞ」

「私そんなに口が軽く見えますか?」

 そう不満を一つ告げてから、改めて問いかける。

「四人しか知らないって、他にも隊長がいるでしょう? 一番隊が沖田さんで、二番隊とか、三番隊とか……隊長たちは知らないってことですか?」

「ああ。これは新選組の中でも、極秘任務として扱っている。俺たち新選組が幕府についているのは知ってるか?」

「はい」

「晴明は、『死影』の原因が幕府にあると言っている」

「幕府に? ……ああ、なるほど、幕府と敵対しようとしてるからってことですか」

 新選組は佐幕派の組織だ。幕府にいる何者かを倒そうというなら、幕府に弓を引くことになる。皆が知れば、組織そのものが揺らいでしまう。そういうことなのだろう。

「ということは、晴明さんは陰陽師としてここにいるわけじゃないんですか? 陰陽師は幕府の管轄でしょう?」

「ああ。陰陽師ということは伏せて、ただ会津藩から来た客人ってことになってる」

「会津藩?」

 確かに新選組は会津藩のお預かりだ。だが、今さっき細かい事情は四人しか知らないと言ったばかりだ。そう問いかけると、土方が答える。

「会津の殿様含め一部の人間は状況を知っている」

「そうなんですか……会津藩は幕府に弓引くことに抵抗がないんですか?」

 凪が問うと、近藤が首を振った。

「そんなはずなかろう。会津藩は佐幕派の最雄藩であると共に、松平様は京都守護職に就任されたお方だぞ」

「じゃあ、どうして……?」

 凪が首を傾げる。

「幕府の為を思ってこそだ。幕府がそのような事態になっているのならばどうにかしなければと責任感を持って、我々に話を持ちかけてくださったのだ」

「っつーのもあるが、守護剣の持ち主になったのが総司だったからってのもあるな」

 近藤の言葉に土方が続けた。守護剣というのは、昨日晴明が言っていた、沖田が持っていた剣のことだ。

「そういえば、どうして沖田さんがーー」

「ここまでだな」

 土方がそう言い、凪から目を離した。視線を追うと、沖田や見知らぬ男たちが広間に入って来たところだった。他の隊長たちだろうと凪は思った。

「おっ、なんだ。知らねえ娘さんがいるじゃねえか。どこの子だ?」

「晴明殿のお弟子さんだよ」

「ふーん。変わった服着てるんだな」

 そう言われて、自分の服を見る。ブラウスとスカートにレギンス。現代の服だ。着物ではない。近藤と土方、そして沖田が「しまった」という顔をしている。

「まあ、晴明殿も変わった服着てるしなあ」

 そういうもんなんだろうと納得した顔をして、皆はそれぞれ自分の膳を取りに厨へと向かった。

「おまえの服は後で用意させる」

「……お願いします」

 凪は素直に頷いた。

 晴明も広間にやってきて、皆で朝食をとることとなった。急に増えた凪の分も用意されており、晴明の隣で食事をとった。

「ところで君、剣は扱えるの?」

 食べ終わった膳を片付けながら沖田が凪に問いかけた。

「扱えるわけないじゃないですか。刀も剣も、誰も持ってませんよ」

「ふうん、そういう時代なんだ。他の武道は? 運動は?」

「武道はやってません。運動は、まあ、並程度には……」

 そう、と言って沖田は頷く。

「後で部屋に呼びに行くから」

 部屋にいろということかと思い、わかりましたと凪は頷いた。どのみち、この八木邸内もまだよくわからないのだ。大人しくしていようと思う。

 そしてあてがわれた部屋に戻ってしばらくして、沖田が部屋を訪ねて来た。

「中庭行くよ」

「何するんですか?」

 玄関を回って靴を手に持って中庭へと回る。沖田が途中で木刀を二本手に取った。

 そして中庭に辿り着くと、沖田は「はい」と言って木刀を一本凪に手渡した。

「近藤先生と土方さんからどのくらい話を聞いた?」

 ブンと木刀を振りながら沖田が問う。

「会津藩からの密命で幕府に弓引こうとしてるとか、沖田さんが守護剣の使い手になったから新選組が選ばれたとか……その辺までですかね」

「うん。それで、君の破敵剣なんだけど、僕の守護剣が僕しか扱えないのと同じで、あれは君しか扱えないんだよね」

「はあ」

「つまり――」

 びしっと木刀の切っ先が凪の目の前で止まる。

「君は今日から僕の稽古を受けること」

「……は?」

「最低限、いや、敵を倒せるくらい剣の扱いに慣れて貰わないと困るんだよね」

 さっと血の気が引く。確かに沖田は、あの体内から出てきた剣が凪自身にしか使えないと言った。自分が剣を扱ったことがないとも言った。だが――

「わ、私が剣の天才の沖田さんの稽古なんかに耐えられるはずないでしょう!?」

「あ、僕のこと天才って知ってた? やだなあ、後世に残る天才剣士って? 照れるなあ」

 ぱっと子供のように表情を変えて、沖田は微笑む。

「褒めてません! ほ、他にいないんですか、私に剣を教えられる人!」

「事情を知ってる人が少ないからね。僕の他だと近藤先生か土方さんになるけど」

 凪が閃いたという顔をする。

「近藤さん! 近藤さんにしましょう! 天然理心流の宗主だったんだから、教えるのも上手でしょう!?」

 そう言うと、沖田がにやりと笑う。

「別にいいけどー。近藤先生の稽古は僕より厳しいからなあ。知らないでしょ、先生が鬼みたいな顔するの」

「え」

 凪の動きが止まる。

「土方さんはあちこちの道場と他流試合してた頃の癖がついてて、教えるのあんまり上手くないし。適任は僕だと思うけど、まあ近藤先生に頼みたいんだったら頼んでみる? 先生も忙しいんだけどなあ」

 ぐさり、ぐさりと言葉が刺さる。逃げ道が消えていく。

 沖田を睨みつけると、沖田が笑みを深めた。

「……沖田さん、よろしくお願いします」

「総司でいいよ。よろしくね、凪ちゃん」


 ***


「じゃあ、今日はここまでにしようか」

 沖田の声に合わせて、凪はがっくりと膝を地面についた。昼食に一旦休憩をしたものの、日が暮れるまで稽古を続けることになった。

 木刀の持ち方に始まり、振り上げたらそこで止められ、足を直され、姿勢を直され、振り下ろすまでに随分と時間がかかった。そしてその後その動きを体が覚えるまで、何百と素振りをさせられた。

「総司さんの鬼! 鬼畜! 悪魔! 初心者相手なんだからもっと優しくしてください!」

「君、随分馴れ馴れしくなったよね」

 縁側に腰を下ろし、沖田は溜め息を吐く。

「でも、筋はいいね。よくついてきてると思うよ」

「本当にー?」

「本当本当」

 おいでと手招きされて、ふらつく体を起こして沖田の隣に座る。

「そういえば、晴明さんが私が持ってた剣と総司さんの持ってた剣は引き合うって言ってた気がしますけど」

「うん。それで君を見つけたんだよ」

 守護剣が光っていたのはそういうことだったのかと凪は思う。互いに引き合うから、沖田はああやって毎日夜の京都の街でもう片方の剣を探していたのだ。

「待ってください、総司さんはどうやって未来に来てたんですか?」

 そもそもの大前提がおかしい。自分の体から剣が出てきたこともそうだが、沖田が未来に転移することも十分おかしい。すっかりスルーしてしまっていた。

「私がいるのがあの時代の京都だってわかってたってことですか?」

「いや、僕の剣が君の剣と引き合うっていう力のおかげ。それがたまたまあの時代だっただけだよ」

「……ファンタジーだなあ」

「それ、昨日の夜も叫んでたけどどういう意味?」

「空想っぽいとか御伽噺みたいとか、そういう意味」

「なるほどね。僕もそう思うよー」

 沖田はそう言って立ち上がる。

「でも、現実なんだ。幕府が日本の民を苦しめるという結果を招いているのも――」

 沖田が夕陽を背負って振り返る。

「僕たちが出会ったのもね」

 凪は言葉を失う。

 自分がこの時代にいるのは現実なのだと、そう言われたようだった。ファンタジーなんかではない。確かに自分はこの幕末の時代に存在していて、沖田総司と剣の稽古をしている。日本を救おうとしている。

 まだよくわからないことは多いけれど、きっとこの事態をどうにかするまで、自分は元の時代には帰れないのだということも思い知った。

「……泣いてるの?」

「えっ」

 沖田に問われて頬に手をあてる。濡れていた。自然と涙が出ていたようだった。

「なんでもないです! 気のせい!」

 ごしごしと手の甲と袖で涙を拭っていると、沖田がその手を掴んだ。驚いて見上げると、沖田はその場に膝をついて、視線を凪に合わせた。

「危ないことに巻き込んでごめん。でも、君の力が必要なんだ」

 沖田はそう言って微笑む。

「絶対に君を強くするし、君一人では戦わせない。君を守るのは、守護剣を持つ僕の役目だから」

「……総司さん、新選組の仕事もあるんだから、ずっと私と一緒にいるわけじゃないじゃないですか」

「ま、そうだけどー」

 今の格好つけた台詞はどこへやら、いつもの緩い口調で言うと沖田は立ち上がった。それでも、手は離さない。

「でもね。必ず駆けつけるよ。――どこにいても、必ず君を見つける」

 どうして。その言葉が出てくることはなかった。

 ただ選ばれただけ。勝手に決められただけの関係。それなのに、彼はそう言って自分を励ましてくれる。

「……それ、約束できますか?」

 嬉しくないわけではなかったので、仏頂面でそう返す。

 沖田は笑った。

「約束する」

 どうしてそんな顔で言えるのだろう。それが裏表のない本心からの言葉なのだと理解できたので。だから理解ができなかった。自分たちは昨日出会った関係で、試衛館で共に腕を競い合ったような仲間たちとは比べられないほど希薄な仲なのに。

 ふっと沖田が口元に弧を描く。

「ちょっと格好いいと思ったでしょ」

「言わなきゃいいのにと思った」

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