第2話

「ただいまー」

 沖田と名乗った男について歩いて、ようやく民家に辿り着いた。ここに歩いて来るまで二人は無言だった。沖田は話さないし、凪もただ黙って沖田の後を歩いて来たのだ。

「おお、帰ったか総司。で、どうだった?」

 沖田よりも年上の男が迎えてくれた。そして、凪を見て目を輝かせた。

「まさか、少女を見つけたのか!」

「はい、見つけましたよ。褒めてくれます?」

「ああ、よくやった!」

 がしがしと頭を撫でられて、沖田は目を細めて嬉しそうに笑みを浮かべた。先程までの様子とは打って変わった態度に、凪は不審げな表情で沖田ともう一人の男を見ていた。

「なんだ、帰ったのか。いい加減成果はあったんだろうな?」

 別の男が奥から出てきた。沖田の頭を撫でていた男が人が良さそうと形容するならば、この男は悪そうだ。そして先の男と同じく凪に目を留める。

「おまえは……」

「そうだ。君の名を聞かせて貰えるかな」

 人の良さそうな男が笑みを浮かべて言った。凪がようやく口を開くチャンスが巡って来た。

「あのですね……」

 深く息を吐き、凪は眉を怒らせた。

「ここが過去なのはわかったことにします。沖田さんが、あの沖田総司であることも一旦認めます」

「あの、ってどの?」

 沖田が口を挟むが、凪は無視した。

「それはいいとして! どうして私がこんなところに来なきゃならないんですか!? なんで沖田総司が未来とこの時代を行き来してるんですか!? 意味がわかりませんし、私を早く元の時代に返してください!!」

 凪は早口でそう訴えた。

「そいつはできねえ相談だ」

 答えたのは人の悪そうな男だった。

「どうして……!?」

「なあ、総司。ここに来る間に事情は説明しなかったのか……?」

「帰ったら土方さんが説明してくれるかなと思って」

 沖田はあっけらかんとそう言う。

 沖田に土方。そうなればこの人の良さそうな男は近藤なのだと決めつけた。

 そう、ここは新選組の屯所だ。壬生だ。八木邸だ。京都に住んでいるのだから、その程度の知識くらい持っている。

「ま、まあ、立ち話もなんだし、とりあえず中に入ったらどうだ? ええと……」

 近藤が困った顔で凪を見た。

「……遠野です。遠野凪」

 仕方なしに凪は名乗った。

「そうか。では遠野さん、中へ入ってくれ。茶を出そう。トシ、案内してくれるか」

「近藤先生がお茶なんて淹れる必要ないですよ。僕が淹れてきますね」

 草履を脱ぎ捨てて、沖田は廊下を走って行った。

 仕方なく凪は靴を脱いで、八木邸の中へと入ることにした。近藤について広間へと通される。

「それで、総司からはどの程度話を聞いたのだろうか」

 近藤が優しく問いかけて来た。凪は不満そうな顔をする。

「ここは元治元年。自分は沖田総司。以上です」

「あの野郎……」

 土方が眉間を押さえた。

「そうか……それはさぞ困惑したことだろう。すまなかった。事情は俺の方から説明しよう」

 近藤が困り顔で言った。

「お茶淹れてきましたー」

 沖田がやってきて、湯飲みを二つ、近藤と凪の前に置いた。

「まず、君が総司から聞いた通り、ここは元治元年。今は五月だ。君が住んでいた時代からおよそ二百年は昔、ということになる。そして、俺たちは――」

「新選組ですよね。わかってます」

 凪が先に答えると、近藤と土方、そして沖田までもが目を丸くした。

「おまえ、俺たちのことを知っているのか?」

「え? まあ……知らない人の方が少ないんじゃないですか?」

「未来では、新選組は有名ってこと?」

「そうですけど」

 一体何に驚いているというのだろう。意味がわからない。

 近藤は目を潤ませて、顔を覆った。

「トシ……俺は――」

「ああ、そういうことだ。俺たちはちゃんと名が残せてる。二百年もな」

 優しい顔をして、土方が近藤の肩を叩いた。

 自分がおかしなことを言ったのだろうか。凪を見て、沖田が笑みを浮かべた。

「わけわかんなさそうな顔してるけどさ。僕たち新選組は、名を上げようとして江戸から京に来たわけだけど、まだ全然町の人たちには認められてないの」

「それってつまり……私、未来のことを話してしまったってことですか?」

 眉を寄せて凪が問うと、沖田が頷く。

「ああ。おまえ、今のは他の連中には言うんじゃねえぞ。未来から来たなんてのも無しだ」

 土方の言いようにむっとして、凪は睨む。

「人を勝手に過去に連れて来ておいてそれですか。私は帰りたいって言ってるんですけど」

「そいつはできねえと言ったはずだ」

「まだ理由を説明されてません。京の治安維持をしている人たちが、人攫いして恥ずかしくないんですか?」

「ま、まあまあ、ちょっと待ってくれ。ちゃんと説明するから」

 泣きそうだった目を拭って、近藤が言い合いを止める。そして、ごほん、と咳払いをした。

「遠野さん。君には、この京を――いや、日本を守るために力を貸して欲しいんだ」

 近藤がそんなことを言い出す。また意味がわからなくて、凪は眉を寄せる。

「日本を守る?」

「今、この日本は『死』の存在に脅かされているんだ。多くの民が犠牲になっている。俺たちはその存在を『死影』と呼んでいる」

 凪は思わずハッとして口元を押さえた。ここに来る途中に襲って来た、黒い人影の群れを思い出す。

「そう。君を襲ったあいつらだよ」

 沖田が頷いた。

「なに? もう襲われたのか? 大丈夫だったのか?」

「総司、てめえがついてて何で危険な目に遭わせてんだ」

「だってこの子が勝手にいなくなったんですよ。僕のせいじゃないです」

 近藤と土方の視線から逃れるように沖田は目を逸らした。沖田の言い分は間違ってはいないが、何一つ説明されずに連れて行くと言われてついて行くと本当に思われていたのだろうか。凪は納得がいかなかった。

「だが、出会っているなら話は早い。おまえには総司と一緒にあれと戦ってもらう」

「はあ!?」

 ついに凪が大声を上げた。

「冗談じゃない! なんで私が!? 私、ただの大学生ですよ!?」

「だいがくせい?」

 近藤が首を傾げた。

「この時代学校ってないの? ええと、寺子屋? 日本全国から学びたい人が集まって勉強するんです! 私は京都の学校に通うためにわざわざ東京……ええと、めんどくさいな、今の江戸から京まで来たんです!」

「なんと、そうだったのか! 俺たちと同じだな!」

「ちがーう!!」

 凪は頭を抱えて叫んだ。

「おい、話が逸れてんぞ」

 土方が溜め息を吐いた。

「黒船がこの国に来たのは知ってるか」

 土方に問われ、凪は首を傾げる。

「ペリーですか? 黒船来航したのは知ってますよ。開国したってやつでしょう?」

「そうだ。その時、黒船が持ち込んだ病気が流行ってな。それで死人が大勢出たんだが、死んだ人間たちが生きてる奴らを呪うために、『死影』が出るようになったと言われている」

 幕末日本でコレラがパンデミックになったことは授業で習って知っていた。黒船に乗っていた船員が持ち込み大流行したのだ。コレラは水や食べ物を介して感染する感染症で、直接の死因は嘔吐や下痢による脱水症状によるものである。先進国では稀な病気だが、幕末の衛生状況を考えれば仕方のないことだろうと思う。

「そんなことあり得るんですか?」

 胡散臭そうな顔をして凪が言う。

「まあ、あり得ないと考えるのが普通だがな。実際、日本全土に『死影』は現れている」

「私も見ましたけど……ていうか、どうやって対処してるんですか?」

「奴らは太陽に弱い。つまり昼間は出てこねえってことだ。あと斬って斬れねえ敵でもねえ」

「なるほど……」

 だから町中に出歩いている人の姿がなかったのかと思う。皆、『死影』を恐れているのだ。刀を持っているのは武士など限られている。対処できる人間も少ないに違いない。

 そんなの、授業で習ったことはないが。黒い影、『死影』を見たのは本当なので、信じるしかないのだろう。

「それで、あの『死影』はなにか悪い影響があるんですか? 一応襲われた身ではありますが」

 凪が問う。

「うん。死ぬんだよ」

 沖田が答えた。

「は?」

「あの影に取り込まれた人は死ぬんだ」

 思わず、影に掴まれた足をさすった。あの時、沖田が助けてくれなかったら、自分は死んでいた?

 急に寒気がした。こんなわけのわからないところに連れてこられて、わけのわからないものに襲われて、わけのわからない話を聞かされている。

「それで……どうして私は家に帰してもらえないんですか」

 声が震えた。泣きそうだった。今すぐ家に帰りたかった。

「言っただろ。おまえには、『死影』と戦ってもらう」

「だから、どうして私なんですか!」

 凪が叫んだ時だった。

「――それは私から説明しよう」

 奥から、狩衣を着た男が音もなく現れた。四人の視線がそちらへと向く。

「おお、晴明殿」

「せいめい?」

 近藤の言葉を繰り返す。

「晴明って……」

「私の名だよ。遠野凪君」

 男はそう言って笑みを浮かべた。

「私は安倍晴明。よろしく頼むよ」

「は?」

 凪はまた声をあげた。

「いや、安倍晴明が江戸時代にいるわけないじゃないですか」

「はっはっは。そうだろうね」

 凪が正論を言うと、晴明と呼ばれた男は声を上げて笑った。

「より正確に言うと、安倍晴明が遺した式神の一人とでも言おうか。彼はこの事態を予期していたということだ」

「はあ……なるほど、って言っておきます」

「うん。話が早くて助かるよ」

 投げやりに言うと、晴明が笑った。

「とはいえ、私にできることは少ない。私には刀を打つ時に呪いをかけるくらいしかできないからね。まあ、その為に存在するといえばそうなのだが」

「まじない?」

「総司君」

「はい」

 晴明に呼ばれ、沖田が脇に置いていた刀を抜いて見せた。先程、凪を助けた時、そして京都の街中で抜き身で持っていた刀だとわかった。

「これは守護剣を模した刀。平安の時代に再作成された天皇を守る霊剣だ。そして――」

 晴明はそう言って、凪の前に歩いて来ると目の前に膝をついた。

「失礼」

「え――」

 ずぶり。

 晴明が、凪の心臓を鷲掴んだ――そう感じた。胸元に迫った腕が、凪の胸に刺さっている。そして、そのまま何かを引き抜く。

 ずぶり、ずぶり、と音がして、凪の『中』から細長い何かが取り出された。

 脱力感がして、倒れそうになったところを、晴明がもう片手で支えた。

「これが、破敵剣を模した刀。天皇の代わりに敵を倒す使命を与えられた者が持つものだ」

 呼吸を整えながら、晴明の右手にある真新しい刀を見る。これは、自分の中から出てきた刀だ。そんなものがなぜ自分の体内にあったのかわからない。

「総司君の持つ守護剣と君の破敵剣は兄弟刀でね。互いに引き合うようになっている」

「なんで……」

「これが君の体内にあったか、はそのうち話すとしよう。誰か、この子を休ませてあげてくれるかな」

 沖田が刀を持って立ち上がり、廊下の方を走って行く。

 凪はだんだんと意識が遠のき、そしてぷつりと暗闇に沈んでしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る