一話 英雄への踏み出し方①
…以上の顛末が、
英雄譚に憧れただけの理由で、理不尽な神との戦争へと一歩を踏み出した。
僕こと-境目 紡(さかいめ つむぎ)-の愚かな人間の生涯の振り返りだ。
この一歩が主人公であるならば、
ここから快進撃が始まる所だろう、
いくつもの伝説を打ち立て、やがては最前線で神の喉元に喰らいつくに違いない。
けれど…
「おい、境目。次の注文で使うから直ぐにこれ洗っとけ」
「はい。ただいま!」
大柄でふくよかな体系の男性コックに命令された僕は返事を返し、現世では非効率的すぎる程の、木製で制作された調理器具や食器類等の数々を直ぐ洗浄する事に取り掛かる。
カウンターの奥へ目を向けると、
年季の入った木製の椅子やテーブルで談笑している冒険者グループへ、亭主の奥さんが注文を受け付けしている光景が見えた。
そう、僕は今、飲食店のお店のキッチンで皿洗いをしている。
僕の思い描いた…
まるでラノベのような夢物語は、
新しくやって来た非日常の現実に、心を打ち砕かれて、無慈悲にかき消されてしまったのだった。
この異世界へ、
ライトノベルのように神の力を持たされて、この異世界転生で目を覚ました時、
どこまでも続くかのような樹海の森の中に、恐怖で一人立ちすくんだまま、けれど遠くから聞こえる獣の遠吠えに、身体の震えが止まらないまま、なりふり構わず必死に音と反対の方向にひた走った。
心臓が悲鳴を上げて、腕が上がらなくなっても走り続け、
森を抜けられた幸運に足腰が立たなくなった後も、それでも異常者のように声をあげながら動き続けた。
当然だ、世界を気分で終わらせられる程の力を持った神との闘いだ。あの時のように、確かにあった筈の日常があっけなく無に帰せられてしまったあの時のように…
明日が来るとは限らない不確かさに身が竦み、けれど残酷に終わりへと過ぎて行く時間が怖くて怖くて仕方が無かった。
この今踏みしめている大地すらも、次の瞬間には崩れ落ちてしまうかもしれないのだから。
こんな僕を主人公とした小説やラノベの英雄譚があったなら、
それはさぞ駄作で夢の無い書物になっただろう…、精々薪に火をつける為の着火剤にしか使われない程、価値の無い書物となるに違い無い。
やがて、初めての村についた時は何をすればいいのかも解らず、初めは死人のように街をふらふらと彷徨った。しかし、
生活するには当たり前のように食料が必要だ。
幸い働き口は見つかり、飲食店の雑用を行う毎日を過ごす事になった。
そうして、この町や世界の常識を学べた。食べられるものを学べた。暮らして行くための方法を半年かけて見つけて行って…気が付いた。
この世界の外には、当たり前のように命を奪いに来る怪物がいて、酒場に通う怪物を狩る事等を生業とする冒険者組合-通称ギルド-の組員は命がけで、街の外に出て人知れず戦っているのだと、
自身が安全に村人として日々を過ごしている間に、食器を洗っている位置から見える窓の外には、大多数の同胞が何も知らず、何が食べられるのかも解らず、どう対処するのが正解なのかすら解らないまま、ただ我武者羅に駆け出していたのだと、気づいてしまった。
彼らこそがきっと、英雄譚に描かれるであろう物語の主人公達なのだろう、
どんな困難にも負けない胆力で行動を起こし、見事に危険をはねのける。
けれど、この窓の中から傍観している自分は?
僕の-ギフト-たとえ何でも切断する事が出来るとして、何倍も速く、あるいは自身の身の丈の何倍もある、自分の命を終わらせる化け物にたいして、武器一本で立ち迎えられる人がどのくらいいるというのだろうか。
そうして、他人との差を痛感するのだ。
こんな事なら、一歩など踏み出さずに、神の元に保護を受けた方がよかっ…
「おい!何をボケっとしてやがる」
店主に活を入れられて、ハッと自分が考え事に没頭していた事に気が付いた。
「まったく、慣れて来たから最近たるんできたんじゃないのかぁ?」
「いえ、すみません。」
やれやれとため息をつく店主に、バツの悪そうな顔をして紡は頭を下げた。
そんな姿勢に店主は苦笑いしながら、紡の腰をバンバン叩いて喝を入れる。
「ほれ、さっさと料理を運ぶ手伝いをしてくんな。今日は珍しく人が来ているんだから」
「はい」
店主なりの不器用な気遣いに感謝しつつ、
紡は頭を振り、カウンターに並べられた料理の数々と注文を受けたテーブルを把握して行く、
もう…何度も何度も他人が聞けば呆れるくらい、考えて来た無駄な悩み事だ。
今は、料理を待たせているお客さまがいる。
身体を動かして余計な事は考えないようにしないと…
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