第2話 春雷と共に2

 あの衝撃の1日から数日が過ぎた。今までいつの日にかと思い、取り組んでいた花嫁修業も気分が乗らない。そう正直に言って断ると教育係からは、恋煩いですね、なんて言われる始末だ。その言葉に言い返す気にもなれず、普段なら絶対に聞き入れてくれない私の申し出をも承諾してくれる。




 憂さ晴らしに朔の鍛錬でも覗きに行こうかしら、やるべきことをせずに出歩けば、怒られるかもしれないと思いつつも、今の私は何をやっても大丈夫だと妙な自信が背中を押す。それに、常に近くに控えている夏桃は、内心、嬉しいんじゃないか、普段見れない恋人の姿を拝めるだなんて、私にもし恋人がいるなら嬉しいと感じるだろう。双方の合意の上ではないが、好都合ではある。そうと決まれば早速、桃に行き先を告げる。




 「はぁ……今日は療養じゃなかったんですか、恋煩いって聞きましたけど。」




 茶化すようにわざと恋だなんて言葉を使う桃に恨めしい気持ちになる。




 「恋じゃないわ。皆してそう言うけど、会ったことのない相手に恋なんて馬鹿らしい。どうにか相手を見つければ、婚約も阻止できるはずよ。もしかしたら、そう、今日見つかるかもしれないわ。文だって、今日も届くはずよ。私の婚約の話は、まだ公じゃないのだから。」




 声高らかに宣言する私に、桃は水を差す。




 「どうでしょう。皆様、噂好きですし、広まるのも時間の問題だと思います。」




 「じゃあ、尚更、急いで行きましょ。」




 そう言い出かけたのが、昼前だった。外出用の衣を身にまとい、馬車に乗り込み、城下郊外にある鍛錬場を目指す。城下にある屋敷からは、馬車に乗り、桃と取り留めのない話をしているうちに到着した。初めて行く鍛錬場は、かなりの広さがあった。鍛錬場の門をくぐると、屋外と屋内に分かれており、屋外はいくつもの場面を想定した鍛錬場にさらに分かれている。事前にどの鍛錬場にいるのか聞いていればよかったと少し後悔する。




 「あのぉ、どこの鍛錬場か聞いてらっしゃいますか?」




 「いいえ、急に決まったから、そんなもの聞いてるわけないじゃない。」




 「はぁ、自信満々に言われましても。私も外ってだけで、聞いていませんよ。」




 「それだけ知っていれば、どうにかなるでしょ。」




 我ながら楽観的な思考をしていると思う。




 鍛錬場には、志願兵の利用も想定しているため、誰でも基本的には自由に出入りができたので、それなりの人がいた。甲冑を身に纏った男たちが武器を手に持ち素振りをしたり、駆けたりしていた。




 「やっぱりここは、覇気があるわね。」




 そう言いながら、桃と共に馬車から降り、歩いて鍛錬場の横を歩くのは目立ったのだろう。こちらも人探しをしているだけあって、視線が何度もかち合う。あからさまに睨みつけてくる者もいれば、会釈をする者もいた。そうしていると、正午を知らせる鐘が城内に鳴り響く。それを合図に鍛錬していた者たちが区切りが良いところで鍛錬を終えていく。




 「丁度、休憩ね。私たちを見かけたら声かけてくれるでしょう。」




 「朔様、怒らないですかね。」




 「今更ねぇ。お兄様は怒るわけないじゃない。」




 私の兄の朔は、楽天的な性格で滅多なことでは怒らない。幼い頃から私の方が怒りっぽいくらいなのだ。兄の性格は、母親似であるように感じる。かといって、私が父親寄りであるかと言われればそうではないのだが。




 「何してんの?姜家の我がまま姫様とその苦労係の桃ちゃん。」




 背後から声を掛けられる。この声は、あいつだ。振り向くとたれ目で気だるそうな表情をした覇は爛らんがそこにいた。




 「お兄様を探しているの。……見なかった?」




 「あぁ、朔君ね。どこかで見た気がするけど。なぁ、誰か見なかった。」




 そう彼が後ろに控えている者たちに声を掛ける。何人かで口々に話す。「朔君って。」、「姜家の息子だよ。」、「彼か。今日は、一番奥の鍛錬場じゃなかったか。」「あぁ、岩があるところ。」必要な情報を提供されたところで、行き先は決まった。おそらく兄は、岩のある一番奥の鍛錬場にいるようだった。




 「ありがと、覇家のぐうたら末息子。」




 「言ってくれるね。じゃ、僕も付いて行こうっと。今日頑張ったし、いいよね。」




 爛がそう後ろの者に伝えると、幾人か顔を合わせ、「はい。」と答える。表情は、どこか硬く見えた。




 「ねぇ、そんなんだからぐうたらって言われるのよ。」




 「言ってるのは、苑だけだから。他の女の子たちは、僕のことをそう呼ばない。桃ちゃんだってそう思うでしょ。」




 「えっと、苑様も照れ隠しなので。気になさらないでください。」




 「ちょっと桃、何言ってんの。爛が調子乗るからやめてよね。」




 「ふぅん。」




 桃を睨みつける私を見て、爛はニヤニヤと笑う。




 その横を馬に乗った騎士たちがぞろぞろと通り過ぎる。騎士達は深く青い色をした甲冑を身に纏っていた。




 「すごい大所帯ね。」




 「そうですね。どこの家でしょう。」




 「今のは、王家。一人息子で優秀だから、手厚くされてんだよ。中央の鍛錬場ではだいたい午後から演習するんだけど、今日は彼らっぽいね。」




 「王家……」




 彼の言葉で数日前の出来事を思い出す。父親に見たことの相手との婚約を告げられ、悶々としていたところに、爛に知らされた王家の存在。本来の目的は、兄上の姿を見ることだったとしても、せっかくの機会だ、王家の息子を一目見る他ない。




 「苑様、どうしましょう。」




 不安そうな顔をする桃は、きっと私が考えていることの予想はついているはずだ。




 「……とりあえず、お兄様のところに行きましょう。それから、後のことは考えるわ。ねぇ、爛、案内できるわよね。」




 「僕にそんなこと言うの苑くらいだよ。まぁ、暇だしいいけど。じゃ、憂榮ゆうえい行くぞ。」




 憂榮と呼ばれた男は、爛の付き人のようだった。がっちりとした体形は、すらりとした爛とは対照的で、年も幾つか上に思えた。




 「他の奴は、午後も続けて、各自解散な。じゃ、よろしく。」




 「いいの、あなたは参加しなくて。」




 「えぇ、苑が案内しろって言ったんだろ。」




 「長々と時間取らせるわけないじゃない。」




 他の連れにわざとらしく私が誘ったからであるというように主張する爛は、相変わらず暴君らしかった。




 「まぁまぁ。爛様、いつでも皆様の所へ戻ってくださって大丈夫ですので。」




 桃が申し訳なさそうに頭を下げる。




 「桃ちゃん優しいねぇ、苑とは大違いだよ。」




 爛が言うのを無視して歩き出すと、爛に手を掴まれる。「あっち。」そう指で方角を示される。心底、爛は憎々しい。

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