深夜のラーメンにしか癒せない傷がある Vol.2
昼過ぎから深夜帯まで働いて、今日も日給1万円を得た。工場から支給された靴とヘルメットを被っていたせいか、タバコと埃が入り混ざったような嫌な臭いが全身から漂っている。駅までの送迎バスに乗り込むと、疲れ切った顔をした労働者たちが既に何人か乗っていた。僕はそそくさと窓際の席に座り、イヤホンを付けてBUMP OF CHICKENの曲を流した。日雇い労働で疲れた後はバンプの曲しか聴けない。
何人かの労働者が見ているスマホの光が煩わしく、目を閉じた。今日も疲れた。朝10時頃に目を覚まして、朝食か昼食か分からない飯を食べて、スマホでなんとなくソシャゲをプレイして、家を出て工場へ向かい、頭を空っぽにしてただひたすら手を動かした。そして今、僕は疲れ切った体をバスの固い座席に預けている。誰にでも出来る単純労働を連日行うことは、肉体的にももちろんキツいが、何よりも精神的にすり減る。自分の時間を切り売りして金銭を得ているという感覚が、僕のちっぽけな自尊心をどんどんそぎ落としていく。
元々、プライドも能力もそこそこ高いほうだったと思う。努力せずとも大抵のことは人並み以上に出来た。それなのに大学受験に失敗し、仕方なく進学した滑り止めの私立大学で留年を繰り返すようになり、呆れ果てた親に仕送りを止められ、そのまま退学した。そこからは就職する気も起きず、かといって別な大学を受ける気も起きず、もう1年もフリーターをやっている。普通のアルバイトは続かなかった。定期的なシフトに縛られるのが嫌だったし、人間関係も煩わしかった。
僕の人生の歯車が狂いだしたのは、大学受験に失敗したときか。あるいはもっと前からだったような気もする。「どうにかしないと」という漠然とした焦りはあるものの、その「どうにか」を考えられるほどの余裕はなかった。ただ毎日必死で働いて、飯を食べて、ソシャゲをして、生きている。
バスが発進した。暑すぎる暖房とすし詰めになった人々のせいか、やや酸素が薄い。隣の金髪の若い男から漂う甘い香水のような匂いが鬱陶しかった。僕はこの送迎バスから見える夜の景色が大嫌いだ。工場の光と煙突から出る煙、遠くに見えるあぜ道、真っ黒な空。そんな人も歩いていないような工場地帯の景色を抜ければ、大きな国道に出る。電気屋や家具屋、チェーンのファーストフード店がひしめく田舎の景色。そういった景色を見ていると、酷く虚しくなる。
悲しいんじゃなくて疲れただけ 休みをください 誰に言うつもりだろう
耳元でバンプの声が聞こえる。休みたい。休み方が分からない。体だけ休んだところで問題は山積しているから、僕の心が休まることはない。バスはもう駅に着こうとしている。今日もこのまま駅から電車に乗って自宅に帰るだけだ。そしてまた、明日も同じような一日を送る。
僕が降りる停留所では他に5人くらいの人が降りた。隣の金髪の若い男も。ここに車を停めている人もいれば、電車で帰る人もいる。隣の金髪の若い男はそのどちらでもないようで、駅とは反対方向に歩き出した。なんとなく気になって行く先を観察してみると、彼の歩く方向には赤い暖簾のラーメン屋があった。
「……ラーメンか……」
特段腹は減っていない。ただ、なんとなくいつもとは違うことがしたかった。
暖簾をかきわけ店内に入ると、カウンター席と小さなテーブル席が2つあった。客は先ほどまでバスの隣の席に座っていた金髪の若い男のみで、彼はカウンターの奥の席に座っている。店内に置かれているラジオからは、知らないタレントの番組が流れている。僕は店主のおじいさんに促されてテーブル席に座った。ややべたついたテーブルに灰皿が一つ置かれている。タバコは嫌いだ。工場を思い出すから。
「餃子と醤油らーめんで」
メニューをほとんど見もせずに注文する。僕のあとに金髪の男も同じものを注文したようだった。
「続いては、太一郎の懺悔室のコーナー。このコーナーはリスナーの皆様に、こっそり懺悔したいエピソードを送っていただくコーナーです。えーまず最初はラジオネーム犬のコマネチさん……」
僕はほとんどラジオを聴いたことがない。他人の話に興味なんてない。ただ、今日はなんとなく聞き入ってしまう。
「太一郎さん、私の懺悔を聞いてください。私は今34歳無職のおっさんです。先日、母が誕生日を迎えました。恥ずかしながら、実は今年はじめて母に誕生日プレゼントを贈りました。そろそろ寒い時期になるので、父からお金をもらい、マフラーを買いました。母は泣いていました。太一郎さん、この涙は、なんの涙なのでしょうか?……おっと……犬のコマネチ、本当はなんの涙か分かってるんじゃないのか?」
フッと思わず笑いが漏れる。いや、僕はこれを笑える立場ではないな。やがて店主がらーめんと餃子を運んできた。らーめんには薄切のチャーシューとメンマとネギと海苔が乗っている。スープを一口すすると、喉の奥がじんわりと熱くなった。麺はしっかりと卵のような味がする。こらえきれずに餃子をかじると、ニンニクとニラの香りが広がった。肉よりニラのほうが多そうだ。僕は醤油皿にラー油を追加して餃子にたっぷりと付けた。辛くて、美味い。餃子とらーめんを交互に食べていると、あっという間に無くなっていた。名残惜しい気持ちでスープに浮かんだネギや千切れた麺をつついた。よくよく考えたららーめんを食べたのは久しぶりだったかもしれない。最近はコンビニのご飯ばかり食べていた。
「ごちそうさまでした」
思わず声に出して言う。美味いラーメンだった。金髪の若い男に感謝せねば。
僕は店を出て、またイヤホンを付けた。電車を一本逃してしまったから、いつもより長い時間ホームで待たなければいけないな。
「それではお聞きください。チャットモンチーで、『真夜中遊園地』」
深夜のラーメンにしか癒せない傷がある 青い絆創膏 @aoi_reg
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