第35話 雨上がり

 約束通りの時間に弥勒と陽世は有楽町に到着した。


 心晴と古宮が予約していた小会議室の扉を開けてふたりを通すと、四人はふたりずつ向かい合って席についた。



 「突然の連絡ですみませんでした」


 「いえ、社をあげたプロジェクトが進みそうなときなので、ご意見をいただけることはこちらとしても助かります」



 今朝電話で話した陽世と古宮が打ち合わせの導入の会話をはじめた隣で心晴と弥勒は彼らの会話を聞いていた。


 心晴がチラッと弥勒を見ると、彼は話している古宮をいつも通りの表情で見ていた。


 変に意識をしては表情が緩んでしまいそうで、できるだけ彼を見ないようにしなければと思うものの、やはりそれは難しかった。



 「法月さん、風早七海さんに交渉してくださったようで、感謝しています」


 「いえ、人脈を辿ったら偶然繋がっただけです。ただのラッキーです」



 弥勒は古宮の話の流れで一瞬心晴の方を見た。その刹那、彼の広角がわずかに上がったことを陽世は見逃さなかった。



 「それでも、アンジェをSNSに出してくれたことはかなり大きいです。これで、契約の話が進めばいいんですけど」


 「その件ですが、御社では関東圏でのテレビコマーシャルと雑誌をメインで考えられていましたよね」


 「ええ、何せ上層部が情報を拡散するならテレビだ、というもので」



 弥勒は横目で陽世を見ると、彼と交代して話をはじめた。



 「我々としてはテレビの放映はしない方向で進めていただきたいと考えています」


 「どうしてでしょう? 稟議を上げるにしても上が納得しないと決裁は下りないので、説得するだけの理由が必要になります」


 「テレビのない家庭は少ない。とはいえ、テレビを観る若者も決して多くはないんです。今の若者がもっとも触れていて、もっとも観ているものが、他にあります」


 「オンライン動画、ですか?」



 話を黙って聞いていた心晴が発言した。黙って聞いているだけなら、心晴はこの場所にいる意味がない。


 目の前に弥勒がいるだけで、仕事に対するモチベーションと自己肯定感が高くなることが不思議だ。



 「その通りです。テレビの放映は観られている保証がない上かなり高額になりますが、インターネットなら、再生数に応じた料金の支払いになるので、より効果的です」


 「でも、私は興味のない広告はスキップしちゃいます」



 心晴が意見を述べるたびに弥勒がわずかに微笑む横顔を、陽世は横目で見た。



 「だからこその風早七海なんです。スキップされてもSNSで観ていれば、アンジェというブランドを意識に定着させる効果はあります」


 「確かにその通りでしょう。ただ、その見込みだけでは・・・」



 理にかなった話ではあるが、これで稟議を通すことができるかは怪しい。経営層の人間になると、確固たるデータを提示しないと納得しないかもしれない。



 「なので、お願いしたいことがあります」



 弥勒が心晴の顔を見つめて言った。その視線に射抜かれた心晴は「はい!」と大声で返事をすると、彼は笑う。



 「ここから二週間でアンジェの公式サイトのアクセス数と全店舗の売り上げを集計して、過去二週間と前年の同じ時期で比較をしてほしいんです。アパレルは季節で売り上げが変わりますので単純に比較はできませんが、弊社にあるアパレル業界のデータと照らし合わせて風早七海がSNSで宣伝した効果がどれほどのものかを精査します。それをデータとして稟議に添付すれば、エビデンス能力はあるのではないでしょうか?」



 弥勒が以前試算したプロジェクトの利益と、七海が宣伝をしてアンジェが数万人に認知された今では前提条件が異なっている。それを踏まえた上で、新たなデータを抽出して再度試算を行い、契約の最終判断をする。


 ロイヤルキャピタルとして弥勒が報告をすれば、シエルの上層部が稟議を可決する可能性は極めて高いだろう。



 「わかりました。では、稟議を上げるのは九月下旬ですね。それまでに、下書きは部内で作成して、データが上がったと同時に提出ができるように準備を進めておきます」


 「よろしくお願いします」



 最終的に弥勒と古宮の間で話がついた。


 心晴と陽世は早く彼らのような交渉ができる人材になりたいと願いながら、彼らに倣って頭を下げる。


 顔を上げたとき、心晴は弥勒の表情を見てつい口元が緩んでしまった。慌てて真顔に戻ったつもりだったが、きっと古宮に気づかれた。


 心晴と古宮はエレベーター前で弥勒と陽世を見送った。


 扉が閉まったと同時に、「天白さん、すごい表情に出てたよ」と古宮にからかわれ、心晴は頬を赤色に染めつつも反論できずに悔しい思いをした。


 心なしか以前より弥勒も表情に変化が見られたような、気のせいかもしれないけれど、そんな気がする。


 弥勒に頼まれた仕事は心晴に任せる、と古宮は通常業務に戻った。


 弥勒に頼まれ、古宮に任された仕事だ。精一杯努めなければ。


 心晴は両手で頬を二回叩いて気合を入れ直して、デスクについた。



 一方、エレベーターの中では、弥勒と陽世によってこんな会話が繰り広げられていた。



 「天白さんを見るたびにニヤニヤしてましたね」


 「そんなことないでしょ。いつも通りだったと思うけどな」


 「天白さんも弥勒さんを見て口元緩んでしましたし、おふたりはそういう関係になられたんですか?」


 「そういうってどういう?」


 「わかってるくせに」


 「さあ、なんのことやら。とにかく、このプロジェクトは成功する」


 「まだ試算してないのにわかるんですか?」


 「わかるよ。だって、雨が止んだんだから」


 「意味がわかりません」



 心晴と弥勒の関係はまだ、はじまったばかりだ。


 そう思いながら、無意識に口角が上がる心晴と弥勒だった。

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