第30話 恵みの小雨

 「心晴と友達になってあげて」



 七海が提示した協力への交換条件は簡単であり、とても勇気のいるものだった。


 その条件を聞いた心晴は、なぜかとても恥ずかしくなって恐る恐る弥勒の顔を横目で見た。



 「友達、ですか」


 「そう。それを約束してくれるなら、喜んで協力します」



 七海は忙しくても心晴のメッセージには必ず返事をくれる。


 弥勒と病室で話した後、心晴はその内容を彼女に伝えた。しかし、その後はまた仕事上での付き合いに戻り、虚しくなったことも伝えた。


 それを知った上で、七海は弥勒に対して交換条件を提示したのだ。協力はもともと喜んで受け入れるが、どうせならそれを利用してやろうというのが七海の魂胆だった。



 「どうしますか? 私が協力するかは、法月さん次第ですよ」


 「具体的にどうすれば?」


 「友達といえば、お互いを下の名前で呼んで、休みの日には一緒に出掛けることもあるんじゃないでしょうか。ただのイメージですけど、そうなってほしいです」



 弥勒は照明が降り注ぐ眩しい天井を見上げて目を閉じる。数秒の沈黙の後に、「わかりました」と返事をした。



 「ただ、仕事のときは取引先の社員として接します。それでもいいですか?」


 「それはお任せします。そういうことで、SNSでの宣伝の件をお受けします。私への連絡はすべて心晴を通してください。今回の件は心晴の紹介ですので」



 七海はとことん弥勒を追い詰めていく。ビジネスを成功させるためには、弥勒と心晴はお互いを信頼して突き進むしかない。


 弥勒は心晴の顔を見て、苦笑いをした。



 「やっぱり、七海には敵わないな」


 「当然でしょ。ふたりのことはよく知ってるんだから。じゃあビジネスの話はここで終わり。ここからは、友人としての再会を楽しみましょう」



 七海は祝福の乾杯をするために、酒を注文した。料理はいつも通りのコースで、待っていれば順番に提供される。


 七海と心晴はビール、弥勒はやはりカクテルだった。



 「それでは、十年ぶりの再会を祝して乾杯!」



 三人のグラスがぶつかって、室内にカチンと音が響く。それぞれが液体を喉から流し込むと、苦味を楽しむ歳になったことを実感した。



 「弥勒くんはロンドンに行ってからどうしてたの?」


 「大学へ行って、就職して、三年前に会社の代表にスカウトされて日本に戻った」


 「そして、心晴と運命の再会をしたのね」


 「ちょっと、七海」



 気まずそうにする心晴と弥勒を見て悪い笑みを浮かべる七海は、高校生の頃の彼女を思い出させた。



 「帰国したら七海が有名な女優になってて驚いた。あの映画も面白かったよ」


 「ありがとう、観てくれたんだ。映画の中の私、心晴みたいだったでしょ?」


 「ん? どういうこと?」



 七海が演じた女性は、学生時代の片想いを成就させる役だった。


 つまり、そういうことだと言いたいのだが、心晴の顔が赤くなっているのを他所目に、彼はまったく意味を理解していなかった。



 「そのうちわかるんじゃないかな」


 「気にしないで。七海は適当なことばかり言うから」


 「私、アンジェの広告塔になるんですけど」


 「それは感謝してるけど、これとは別の話だから」



 心晴と七海が戯れ合う姿を見ていた弥勒はカクテルを飲みながら、当時を思い出していた。


 七海は男子の憧れで、誰とも仲良くしていた。


 心晴は明るくて優しくて、だけど人付き合いには不器用なところがあって、他人に遠慮して自分の意見をあまり主張しなかった。


 思い返せば、あの頃心晴が俺に見せていた笑顔は、他の誰にも見せない特別なものだったのだろう。


 そんなことに気づきもしなかった俺は、彼女の気持ちを考えることもせずに自らの考えだけを彼女にぶつけてしまった。


 ここからまた、彼女との関係をやり直せるだろうか。


 久しぶりに三人が揃った食事会は、高校生の頃の話や、七海が慶應義塾大学でミス慶應に選ばれたこと、お互い会っていなかった期間の話で盛り上がった。


 心晴と弥勒は提供する服を決めてから、改めて七海に連絡をすることを約束して、ふたりで先に店を出る。


 七海は時間をずらして帰るらしい。有名人は大変だ。



 「天白さん。この後、時間ありますか?」


 「はい、ありますけど、仕事の話ですか?」



 結局七海と別れるとすぐに弥勒は敬語に戻ってしまった。



 「提供する服のことで相談をしようかと思いまして」


 「それは、友人としてお願いしたことなので、プライベートの時間なのでは?」



 心晴はあえて含みを持たせた表現で弥勒の反応を試すことにした。彼がどう判断するのか、それを知りたかった。



 「確かに。言われてみればそうか。このあたりにカフェないのかな?」


 「カフェはないと思う」



 友人として話す感動を抑えて、心晴はスマホで周辺のお店を検索してみた。


 残念ながら、飲食店が多いエリアにゆっくり過ごせるような場所は見当たらない。



 「よかったら、俺の部屋来る?」


 「え、部屋?」


 「いや、ごめん。今のなし。さすがにないよな」


 「私はいいけど」


 「けどさ、なんて言うか、ほら、異性の友達だし、そういうのはよくないんじゃないかと。古宮さんのこともあるし」


 「なんで古宮さんが出てくるの?」


 「なんでって訊かれると、難しいけど」



 心晴と古宮はそれから何事もなかったかのように職場で接していた。告白されたのに、彼はそれ以降何も言ってこない。


 心晴から「あの話どうなりました?」と訊くこともできず、時間だけが流れていく。



 「弥勒くんが嫌じゃないなら、部屋に行くけど、どうしたい?」


 「じゃ、行こうか」



 仕事のときは冷静で的確な分析をしながら、意見をはっきりと主張する彼だが、プライベートでは別人のように優柔不断なところを見せる。


 電車に乗って移動するのかと思っていたら小雨が降り出して、彼は通りでタクシーを止めて、後部座席に乗り込んだ。


 スマホに表示したマップでマンションの住所を伝えると、車両はゆっくりと発進した。


 隣に座っているだけでなぜかドキドキする。


 何も起こらないとわかっていながら、これから弥勒の部屋にお邪魔すると思うとワクワクが止まらなかった。



 「うまくいくといいな」


 「そうだね」



 弥勒はきっと七海の契約について、うまくいくよう願っているのだろう。


 願わくば、プライベートの方もそうであってほしい。

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