第31話 浴びるように

 「あーもう、なんでいつもこうなるんだろう」



 バーカウンターに身体を伏して愚痴を放つ大柄の男の隣に、飲んでも飲んでも体力が尽きることのない女が座っていた。



 「代表さん、僕は昔からこうなんですよ。好きになった人に正直に想いを伝えられず、三十三にしてやっと自分から行動できたんです」


 「よかったじゃないですか」


 「よくないですよ。僕は天白さんと二年以上毎日顔を合わせて、食事だって何回も行って、やっと一緒に映画に行ける仲になったんです。なのに、昔好きだった人と再会するなんて、僕に勝ち目なんてないじゃないですか」



 古宮は昔からそうだった。


 恋をしては、その人に彼氏ができる。ふたりきりで出掛けてデートする仲なのに、突然彼氏ができたと報告される。


 今までの関係はなんだったんだ。


 ただの友達がふたりきりで遊ぶことだってある。そんなことはわかっている。


 だけど、ずっとフリーだったのに、どうして僕が好きになったら、その人に恋人ができるんだよ。



 「僕は呪われてるんでしょうか?」


 「かもしれませんね」



 そもそもどうして亜希が古宮とふたりで飲んでいるかと言うと、失恋した古宮がひとりで酒を飲んで、酔っぱらった挙句亜希に電話をしたのだった。


 飲む相手がほしいなら、と亜希は喜んで彼に呼び出された。


 お酒を飲むのは好きだし、ひとりより誰かと飲む方が楽しい。ならば、断る理由はない。



 「最近は仕事も駄目なんです。蓮見さんに相談してる件も全然進まないし、望みがないとわかっているのに、好きな人と毎日八時間以上そばにいるし。もう、どうしていいかわかりません」


 「私は仕事とプライベートは分けています。というか、そういった感情が邪魔だから職場にプライベートは持ち込みません」



 来店して十五分、亜希はすでにウイスキーのロックを二杯とモスコミュールを飲み干し、四杯目を注文した。


 古宮に呼ばれる前、自宅でワインのボトルを空けたところだったのだが、これだけ飲んでも素面しらふに近い状態だ。



 「もう、僕も仕事にプライベートは持ち込みません。もう、恋なんてしない」


 「そんなこと言わないで。ほら、もっと飲んで」



 そんな歌があったな、とふと思った亜希が煽ると、彼は右手に持っていたグラスの中身を空にした。


 彼がどれほど飲んでいるかはわからないが、すでに出来上がっていることは間違いない。


 飲ませすぎると弥勒に怒られるのだが、彼の前でその名前を出すことはご法度だった。



 「もう一杯ください」


 「その意気です。どんどん飲みましょう」



 倒れたら、茅ヶ崎を呼んで運ばせよう。


 刑事をしている彼をいいように使うのは、きっとこの世で亜希だけ。


 古宮はちょうど飲み干したものと同じお酒を注文し、それが提供されたと同時にまた半分飲んでしまった。


 あまり気持ちのいい飲み方ではないが、今日の彼にはそれでいいのかもしれない。



 「代表さん」


 「なんですか?」


 「亜希さんって呼んでもいいですか?」


 「ご自由にどうぞ。むしろ呼び捨てでいいですよ。古宮さんの方が歳上なんだし」


 「じゃあ、そうします。そういや、何歳なんですか?」


 「レディに失礼よ。ピチピチの三十歳です」



 酔うと遠慮がなくなるタイプの男、古宮。



 「僕も仕事で成功して、独身貴族になってやる」


 「それもいいじゃないですか。結婚だけが幸せじゃないですし」


 「お互い独身ライフを謳歌しましょう」


 「私はいずれ結婚する気でいるけどね」


 「裏切り者!」



 古宮と話していると不思議な感覚になる。これまでたくさんの人と話してきたが、彼との会話はテンポが独特で、それでいて快感だった。


 話しやすいのは、彼が持つ雰囲気のせいか、それとも酒が入ったことによる作用なのか。


 亜希はまた、グラスを空けた。そろそろ胃を休ませようと、注文したのはフルーツ系のカクテルだった。


 それは酒豪にとって、ほとんどジュースにあたる。



 「考え方なんじゃないですか。仕事にプライベートを持ち込みたくないなら、職場恋愛をしなければいいんです。例えば私は別の会社にいて、業務上で会うことはないでしょ? なら、仕事は仕事、恋愛は恋愛で分けられる」



 亜希は恋愛への興味が強い方じゃないが、人との繋がりは大切にしている。その中で価値観が共有できる人がいたら結婚という選択肢はありだと思っていた。


 だが、古宮の言うように同じ職場で恋愛をしたいとは思わない。だから、弥勒との関係は常にドライだった。



 「僕と亜希が結婚する可能性もあるってこと?」


 「可能性はゼロじゃないでしょ。限りなく低いですが」


 「じゃ、友達からはじめてくれますか」



 古宮の表情が明るくなって、子供のような目で亜希を見つめた。偉大なる酒の効果だろうか。



 「飲み仲間からはじめましょう。私と仲良くなりたいなら、もっとお酒に強くなることね」


 「僕はお酒に強いですよ。まだまだ飲める」



 古宮は間違いなくお酒に強い方じゃなかった。


 これまで亜希は自分よりお酒に強い人物に会ったことがないが、たったひとりだけ、飲ませても飲ませても酔わなかった人がいる。


 それは弥勒だ。


 酒の味が嫌いだと普段は飲むことを避ける彼だが、一度だけ亜希が失敗して落ち込んでいたときに、励ますためだけに苦手な酒をずっと飲み続けてくれたことがあった。


 落ち込んでいていつもより飲んだ亜希と同等の量の酒を体内に摂取して、彼は顔色ひとつ変えることはなかった。


 限界まで飲むと、亜希より強い可能性もある。



 「古宮さんのライバルは強すぎますね」


 「なんのこと?」


 「なんでもない」



 それから三分、そのときはやってきた。


 古宮はアルコールに背中を撫でられて、深い眠りについた。



 「仕方ないか」



 亜希はスマホから茅ヶ崎の名前を探して電話をかけると、彼はすぐに電話を取った。



 「助けて」


 『何かあったのか?』


 「うん、困ってるの。酔っ払いがいて」


 『どこにいるんだ? すぐに向かう』



 場所を伝えて亜希は電話を切った。


 彼はいつでも私のためなら飛んで来てくれる。


 その後バーに到着した茅ヶ崎に、「お前みたいな上司だから、あんな部下が育つんだろ」と小言を言われたが、それでも彼は文句を言いながら古宮をホテルまで運んでくれた。


 やっぱり、人との繋がりは大切だ。

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