第27話 槍の雨

 「馬鹿じゃないの! 何考えてんのよ!」



 病室で亜希の怒号が弥勒を襲った。


 昨日病院に搬送された弥勒は精密検査を受けたが、脳や臓器に異常はなかった。一歩間違えれば死んでいてもおかしくないほどの暴行を受けたので、念のために二日間入院するように医師から言われている。


 目覚めて最初に会ったのは刑事の茅ヶ崎と山下だった。すでに彼らからも説教を受けた後だ。


 「我々はこうならないように慎重に捜査していたんだ。あんたが無茶したら意味ないだろ」と言い返せない正論を完膚なきまで叩きつけられた。


 木闇は傷害の現行犯で逮捕された。


 間違いなく木闇は送検されることになるだろうが、これまで彼らが行ってきた捜査は意味がなくなった。


 怒られるのも無理はない。


 マンションのエントランスで弥勒が木闇に接触した姿は防犯カメラに残っており、通路に呼び出して話していたところを目撃していた人もいた。


 現場に落ちていた封筒の中に木闇について調査した資料があったことから、弥勒が勝手に行動して招いた結果であることはすぐに気づかれた。


 刑事のふたりが「治るまで大人しくしていてください」と嫌味っぽく言い残して去って弥勒が休もうとしたところ、入れ替わりに亜希と陽世がお見舞いに来た。


 そして、説教タイムは延長戦に入った。



 「もう、ごめんって。ここまでやられるとは思ってなかったんだよ」


 「あの人がおかしい人だって最初からわかってたじゃないですか! 無茶しすぎですよ! 死んだらどうするんですか・・・」



 陽世は泣きながら弥勒を非難した。


 彼が無事だったことへの安堵と、無茶をしたことへの怒りで感情が不確かな方向に飛び散っていく。



 「あんたは私が思っていたより馬鹿だったわ」


 「馬鹿です。私の上司なんだから、もっと冷静に判断してくださいよ」


 「どうせ馬鹿だよ」



 大事には至らなかったが、動くと身体が痛む。仕事に復帰するのは、早くとも来週になりそうだ。



 「ちょっと休ませてくれよ。もう陽世ちゃんも自由に動けるし、しばらく業務は任せたよ」


 「やり方が正しいとは思わないけど、陽世を守ってくれたことは礼を言うわ。これ、お見舞い取っといて」


 「絶対安静ですよ! また見に来ますからね!」



 亜希はテーブルに封筒を置き、陽世は弥勒を指差して勝手に動かないよう釘を刺した。


 見舞金をもらうつもりはなかったが、リッチな彼女からなら遠慮などしない。


 「ありがたくもらっとく」と伝えて、ふたりが病室を出て行く背中を見送った。


 やっとゆっくりできる。


 枕に頭を置いた弥勒は白い天井を眺めて深呼吸する。胸が動くと蹴られた箇所が痛んだ。


 一発殴られて傷害罪にしてやるつもりが、まさか殺されかけるとは思っていなかった。


 馬鹿と言われても反論することはできない。


 疲労が蓄積された弥勒の脳は、そのまま眠りについた。



 ノックの音で目が覚めた。


 寝ぼけた状態で「どうぞ」と扉の向こうにいる誰かに声をかけると、扉がゆっくりと開いて古宮が顔を覗かせた。


 弥勒は慌てて姿勢を正して座った。



 「身体は大丈夫ですか?」


 「まだ痛みますが、異常はありません」


 「そうですか。病み上がりで申し訳ありませんが、謝罪とお話ができたらと思って来ました」


 「謝罪? 何に対しての謝罪ですか?」


 「法月さんに、失礼な物言いをしました。天白さんを守ると言いながら、結局彼女は被害を受けてしまった」



 古宮は弥勒に「彼女に近づくな」と言った。それなのに、心晴を守れなかった。自らを責めているのだろう。



 「あー、私に対しては何も気にしないでください。私が天白さんを巻き込んだことは事実ですから」



 弥勒が古宮の謝罪を笑い飛ばしたが、古宮の表情は変わらない。



 「法月さんと天白さんはどういう関係なんですか?」


 「関係・・・。取引先の社員、ですけど」


 「それだけじゃありませんよね。もっと昔、あなたは彼女に会っているはずです」



 心晴が古宮に事実を告げたのだろうか。


 確信したような彼の口調に、弥勒はどう答えるべきか考えた。まだ誰にも言っていないことで、心晴本人ともこの話はしていない。


 少し考えていると、古宮は「僕は天白さんに気持ちを伝えました」と言葉を付け足した。



 「天白さんのこと、大切に思ってるんですね」


 「誰よりも彼女を大切だと思っている、はずだったのに、法月さんを見ていたら、その自信がなくなったんです。だから、本当のことを知りたい」



 古宮が本心を打ち明けたのに、弥勒が誤魔化して逃げるのはフェアじゃない。



 「高校生の頃、クラスメイトでした。別に付き合ってたわけじゃないです。たまに遊んだり、食事に行ったり、友達みたいな感覚で。でも、私は彼女を傷つけてしまいました。卒業して、もう会うことはないと思っていたのに、こんなことになるなんて」


 「会いたくなかったんですか?」


 「どうでしょう。わかりません。御社で彼女の顔を見たとき、頭が真っ白になりました。もし、万が一再会することがあったら、過去と向き合って謝らないといけないって思ってたんですけどね。なかなか勇気がなくて。私は臆病者です」



 古宮は弥勒の話に表情を変えることはなかった。


 きっと覚悟はしていたのだと思う。


 出会って少しの期間、それもふたりで会うことがまったくなかったのに、心晴は弥勒のことばかり気にしていた。


 過去に出会っていなければ考えにくいことだった。



 「二年前に天白さんが異動してきて、教育係として仕事を教えてきました。いつしか彼女に対する気持ちは、ただの仕事仲間とは別のものになって、気がつけば好きになっていたんです。この気持ち、わかってくれますよね?」


 「はい、よくわかります」


 「でも、十年以上想い続けた相手じゃ、僕に勝ち目はなさそうだ」



 古宮は弥勒に背中を見せて扉を開けた。



 「仕事が終わったら、お見舞いに来ると言ってました。どうか、もう彼女を悲しませないでください」



 古宮はこちらを見ることなく廊下に出て、そのまま扉を閉めて病室を去った。


 ひとり静寂の病室に取り残された弥勒は、古宮が先ほどまでいた場所をずっと見つめていた。


 弥勒にできることは、古宮の決意を無駄にしないことだ。

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