第23話 夜にかける

 さすが代表。


 まだ三十歳なのにタワーマンションの高層階にある亜希の部屋で、陽世は食器を片づけていた。


 陽世が住んでいる部屋とは違い、広い空間にあるリビングダイニングにアイランドキッチン。料理をするだけでリッチな気分になる。


 フライパンや鍋などの調理器具はあったが、亜希がキッチンに立つことは滅多にないらしく、油汚れはない。その代わりに埃が落ちていた。


 陽世が居候している間は料理で恩返しをする予定にしている。


 ガラスに映る夜景はとても綺麗だが、毎日拝んでいる亜希にとっては退屈な景色らしい。


 リビングに目をやると、ソファに腰掛けて亜希はワインを嗜んでいる。酒に強いことは知っているが、彼女は毎晩アルコールを摂取する。それも、常人の倍は飲む。


 今日は弥勒の口数が少なく、何を話しかけても上の空だった。ストーカーのせいで疲れているのかと考えたものの、彼は弱音すら吐こうとしない。


 あの日、迂闊に人を助けようと飛び込んだ私のせいでこんなことになってしまった。弥勒に迷惑をかけ、さらに取引先の心晴まで巻き込んでしまった。


 陽世は大きなため息をついた。



 「陽世、ため息は幸せが逃げるから駄目よ」


 「すみません」



 こんなときでもどっしりと構えていられる亜希が羨ましい。普通なら同じ女性として巻き込まれたくないだろうが、彼女は進んで陽世を部屋に置いてくれた。


 とても感謝している。



 「今日、弥勒さんが元気なかったんです。気になって」


 「確かに、いつもより疲れてる感じだったわね。ちょっと電話してみようか」



 亜希はスマホから弥勒の名前を探して発信した。


 代表と統括本部長はビジネス以上の関係で繋がっている。ふたりはロンドンの大学で出会って、亜希は卒業後日本に移住して起業、弥勒はロンドンで就職したのち彼女にスカウトされて日本に来た。


 ふたりで出掛けることもあるが、そこに異性としての関係はまったくない。陽世からすると不思議な感覚だが、友達ですらない。


 しかし、その関係は友達以上に深い何かがあり、困ったことがあればいつでも連絡を取り合う仲だった。



 『はい』



 スピーカーモードにしたスマホをテーブルに置くと、弥勒の覇気のない声が室内に広がった。



 「弥勒、今日元気なかったみたいだけど、何かあった?」


 『まあ、な。元気ではないかも』


 「何があったの? お姉さんに話してみなさい」


 『天白さんに電話したんだ。茅ヶ崎さんたちが行くって言ってたから。心配だから通勤のときは、一緒にいたいって伝えた』


 「断られたの?」


 『いや、古宮さんに彼女に近づくなって怒られた』



 そういうことね。


 亜希はすべてを察した。



 「それで、弥勒はそれでいいの?」


 『古宮さんが守ってくれるならそれでいい。俺よりも近くにいるし、鍛えてるから身体も大きいし』



 弥勒が納得していないことはすぐにわかった。だからこそ、口数が少なくなって疲れているように見えたのだ。


 実際は、不機嫌だったのだろう。



 「私の行動が軽薄でした。本当にすみません」


 『陽世ちゃんが謝ることじゃない。とはいえ、いつまでもこの件で振り回されてたら仕事どころじゃないから、なんとかしないと』



 なんとかしたいが、なんともならない。弥勒と陽世を逆恨みしていると見られるあのビジネスマンの特定はできているだろうが、警察はその情報を弥勒たちに渡すことはできない。


 決定的な証拠がなければ逮捕をしても送検はできないし、犯人じゃなければ個人情報を流出したことになるからだ。



 『例えば、俺がストーカーに襲われて重傷を負ったら殺人未遂の現行犯で逮捕されるのかな』


 「程度によると思うけど、少なくとも傷害罪には問えるんじゃない?」


 『そうなれば、証拠がなくても警察官の現認でなんとかなるんだな』


 「待って、変なこと考えないでよ」


 『例えだよ。眠いからそろそろ切る。おやすみ』



 弥勒はこちらの返事を待たずに通話を終了した。



 「弥勒さん、大丈夫ですよね?」


 「自分のことより、天白さんのことで相当ダメージ受けてるわね」



 そう言うとスマホを操作した亜希はすぐに誰かに電話をかける。今度はスピーカーじゃなく右耳に当てて、漏れた呼出音が陽世の耳に届く。



 「こんばんわ。ロイヤルキャピタルの宝財院です。こんな時間にごめんなさい。少しだけ話せる?」



 微かに聞こえる相手の声は女性だった。


 陽世は相手が気になって亜希の隣に座る。



 『なんでしょうか?』


 「天白さんは、弥勒と会ったことあるの? 最近よりもっと前、例えば高校時代とか」


 「え?」



 隣にいる陽世が思わず反応してしまったが、電話の向こうにいる心晴は答えに困っているのかなかなか次の言葉が返ってこない。



 「弥勒から聞いたことがあるの。高校時代に仲のよかった女の子がいて、その娘を傷つけてしまったって。何があったかは知らないけど、あなたたちを見ているとお互い知っているのに知らないように振る舞ってるように見えて。勘違いならごめんね」



 亜希はビジネスでたくさんの人と出会う機会があり、人を見る能力に長けている。


 映画の後に食事をしたときから、心晴と弥勒の間に何かを感じていたのだ。



 『仰る通りです。私と法月さんは、同じ高校のクラスメイトでした。でも、いろいろあって気まずいまま彼はロンドンに行ってしまって』


 「やっぱりそうだったのね。私はあなたたちの関係に口出しすることはないし、今の話を弥勒に伝えることもない。ただ、ひとつだけ。弥勒はあなたにしたことをずっと悔やんでた。いつかまた会えたら、あのときのことを謝りたいって。だけど、実際会ったら難しいこともあるのかな」


 『彼を傷つけたのはむしろ私の方なんです。何も謝られることなんて』


 「そうやってすれ違ってしまうのが恋なんでしょうね。突然電話してごめんなさい。おやすみなさい」



 亜希は引っかかっていた謎が解決してすっきりしたのか、通話を終了してスマホをテーブルに置くと、グラスにワインを注いで飲み干した。



 「天白さんと弥勒さんは付き合っていたんですか?」


 「付き合ってはいなかったはずよ。友達以上ってところなのかな。詳しいことは知らない」



 弥勒を連れて株式会社シエルにプレゼンのために訪問したとき、弥勒は突然陽世にプレゼンをするように言った。その帰り、心晴はなぜか弥勒から名刺をもらおうとした。


 あのときの違和感は、この事実によって解明された。


 だとしたら、私はそんなふたりの運命を引き裂いてしまったのではないだろうか。


 陽世は後悔に襲われて俯いて、再びため息をついた。

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