第15話 暗闇を歩く

 午後二時になってやって来たのは陽世だけだった。弥勒は先約があってそちらに赴いたらしい。


 残念ではあったが、ビジネスの場面では仕方のないことだ。


 心晴は事前に押さえておいた小会議室へ陽世を案内し、古宮と共に打ち合わせに入った。



 「突然お呼びして申し訳ありません」


 「いいえ、ご連絡をいただけて嬉しいです。それより、土曜日に弊社の代表がおふたりにご迷惑をおかけしたようで」



 陽世の謝罪に心晴と古宮は顔を見合わせて苦笑いした。



 「むしろご迷惑をおかけしたのは僕の方です。酔い潰れて法月さんにホテル代まで払わせてしまって。情けない話です」


 「私も帰りのタクシー代を払っていただきました。今日いらっしゃれば改めてお礼を伝えたかったんですけど」


 「気にしないでください。法月は超リッチですから。そもそも代表が誘わなければ古宮さんが酔い潰れることもなかったでしょうし。今朝代表が法月に怒られてました。どちらが上司かわかりませんよね」



 陽世はその光景を思い出したのか、笑いが堪えられずに吹き出した。


 まだまだ幼い小動物のような印象の彼女だが、仕事は立派にこなす。そのギャップが堪らなく愛おしい。



 「失礼しました。本題に入らせてもらいます。ご相談というのはどういったことでしょうか?」



 古宮は心晴とアイコンタクトをすると頷いて、話しづらそうに口を開いた。



 「先週御社から契約料が高すぎるとの理由で見送ることになった風早七瀬とのブランドモデル契約なんですが、弊社としてはどうしても彼女と契約がしたいと考えています」


 「えーっと、それはつまり・・・契約料を抑えられる方法がおありになるということでしょうか?」


 「いえ、完全にノープランです」



 陽世は古宮の言葉が飲み込めないらしく、頭に手を当てて「うーん」と唸った。


 彼女の反応は至極当然と言える。膨大なデータから導き出された結論を、根本解決がないままに無視しようとしているからだ。


 無回答の答案用紙に丸をつけろ、と言われている状況だ。



 「ノープランですか・・・」


 「蓮見さんの反応は当然なんですけど、どうしてもこの企画を進めたくて、ですね。何かお知恵を借りられないかと。藁にもすがる思いです」



 売れっ子の人気女優を広告に起用する場合、必要な経費は契約料だけではない。


 どの媒体で広告を作成するのかによって大きくコストは異なるものの、まずは専門の広告代理店に作成からレイアウトまで依頼し、雑誌ならカメラマンの手配、出版社への掲載料が必要になる。


 テレビコマーシャルであれば、撮影にかかる費用やテレビ局への放映料も支払わなければならない。


 現時点で明確になっているのは風早七海の事務所に支払うギャランティのみで、加えて上記の費用が別途必要になるのだ。


 しかし、この件の場合すでにギャランティだけで予算を超えるだけの金額に到達していた。どの媒体であっても導き出された結論は『ノー』だった。



 「仮に風早七海との契約が成立したとして、ファッション誌に広告を載せるだけでもコストは相当なものになるかと思います。さらに、その雑誌自体の発行部数も関係してくるので、コストに対する宣伝効果が十分あるのかは難しいところです」


 「やっぱりそうですよね。無理なのかなー」


 「いえ、決めつけるのは早いです。一度持ち帰って社内で精査します。過去に近い事例があれば、そこから突破口が見つかるかもしれません。弊社の強みは膨大なデータですから」



 無理難題でも簡単に諦めない。それがロイヤルキャピタルの方針だった。もしこの場に弥勒がいたら、きっと考えたいから時間がほしいと言っていたはず。


 私だって弥勒さんに鍛えられた。簡単に諦めてたまるものか。



 「すみませんが、お願いします。この企画が成功すれば、きっとアンジェはたくさんの人に知ってもらえるはずです」



 古宮は本当に心からこの会社の成功を願っている。


 働く理由はそれぞれ、生活のため、キャリアアップのため、やりがいのため。彼はすべてのために働いている幸せな人なのかもしれない。



 「早速会社に戻って過去のデータを調べます。何か発見したらすぐにお知らせします。御社でも何か案があればいつでもご連絡ください」



 陽世は忙しなく会議室の扉を開けると、ふたりの見送りを待つことなくエレベーターのボタンを押して行ってしまった。


 彼女はスイッチがオンになればすぐに行動するタイプだ。



 「やっぱり難しいよね。どうすればいいんだろ」


 「もう全部の費用出してこれだけかかりますけど、やりますって稟議書を上げてしまうしかないんじゃないでしょうか」


 「本音はそうしたいけどさ、きっとふざけるなって言われて終わりだよ」


 「ですよねー」



 会社はときに理不尽なもので、常に最高の成果を求める。


 例えそれが、大失敗を最小限の被害に抑えても失敗したという評価のみが残る。簡単なことを成功する方が評価は高いのだが、そんなケースはほとんどない。



 「ロイヤルキャピタルに相談したことは部長に報告しておく。常に案を考えつつ、いいアドバイスをいただけたらその方向で進むくらいにしておこうか。囚われすぎると通常業務が追いつかなくなる」


 「わかりました」



 心晴と古宮はオフィスに戻り、彼はすぐに部長の新宅に報告に行った。


 心晴はデスクに座ってコンピュータのスクリーンからロイヤルキャピタルとのアポイントが記載された付箋を剥がしてゴミ箱に捨てた。


 その代わり、新たな付箋に『企画案考える』とメモをして貼った。


 できることなら七海と直接会って仕事を依頼したいところだが、社外秘の情報のためそうすることもできない。それに、私と七海が友人であることを知られたくはない。


 弥勒は七海のことを覚えているだろうか。


 芸能界には疎いと言っていたので、風早七海が高校の同級生だった滝沢七海だと認識していない可能性もある。



 「あー、頭痛い」


 「大丈夫? 薬買って来ようか?」



 心晴の心の声が漏れたときを見計ったかのように古宮がデスクに戻った。



 「いえ、大丈夫です」



 私の上司はいつも優しい。

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