第10話 雷鳴の訪れ

 土曜日、心晴は自室で目が覚めると枕元のスマホで時間を確認した。


 午前九時二十六分、夜更かしのせいで寝過ぎてしまった。平日と休日で起床時間の差は二時間未満にすることを心がけている。理由は体内時計を保つため。


 これでは完全にオーバーだ。


 待ち受けには数件のメッセージがあり、その相手は七海と古宮だ。


 七海には昨日弥勒と十年ぶりの再会を果たしたことを報告した。しかし、彼は心晴に気づいていない様子だった。


 『天白さん』と名字は認識しているものの、『心晴』と下の名前で呼んでいたので私だと気づかなかったのかもしれない。いや、高校を卒業してからロンドンに移住した彼は、そもそも私のことなんて覚えていないのかもしれない。


 七海からの『これは運命だよ! 連絡すべし!』というメッセージの後に、万歳する熊とアニメのキャラクターが親指を立てているスタンプがふたつ添えられていた。



 「連絡先知らないし」



 知っている。だが、それはビジネスの関係で得た情報。私的な用途で情報を使うことは許されない。


 土曜日は弥勒も休みだろうし、理由をつけて連絡をすることなどできない。日本に帰って来ているなら、そう言ってほしかった。


 この結果があるのは、高校の卒業式で私が選択した行動のせいだ。お別れの挨拶に来た彼に私は何も言わずただ走って逃げてしまった。


 あの瞬間、彼と私の関係は終わったのだ。


 続けて古宮からのメッセージを確認する。


 内容は仕事のもので、『風早七海と契約の件、白紙に戻りそう。もしかしたら会えると思ってたのにー!』と落ち込んだ様子だ。



 「残念でしたね。映画観に行きますか?笑」



 ふざけて返信した内容は、すぐに送信時間の上に既読の文字がついた。



 『行く! 今日空いてる?』



 そういうつもりじゃなかったんだけど、休日に特に用事はなかった。



 「用事はないです」


 『じゃあ、一緒に観ようよ』



 はじめてだった。古宮と仕事で出会ってから二年強が経つが、彼からはじめて休日にふたりで外出のお誘いを受けた。


 しばらく悩んだ彼女だったが、気分転換も大切だと自らに言い聞かせて「行きましょう」と返信した。


 待ち合わせは渋谷駅。付近にある映画館で午後二時頃からの映画を見た後、夕方食事をして帰ることになった。


 待ち合わせをした古宮は仕事中の落ち着いた雰囲気はなく、なぜか緊張している様子だった。


 「なんかいつもと違いますね」と訊ねた心晴に「否定はしない」と笑う古宮だったが、彼が何を思っているのかなど、彼女は理解することもなかった。


 映画館に到着すると、古宮は無人の自動券売機でふたり分のチケットを購入した。土曜日は人が多く、座席指定の画面でふたり並んで取れる席は多くなく、ひとつの席がひとつ飛ばしに予約されていた。


 それだけひとりで映画を楽しむ人が増えているのだろう。



 「あれ、あの人」



 背の高い古宮が人混みの向こうに誰かを発見したらしいが、心晴の身長では映画を楽しみにして盛り上がっている女性グループが見えるだけだった。



 「誰か知り合いでも?」


 「いや、法月さん。昨日プレゼンしてくれたロイヤルキャピタルの本部長さん」


 「え、どこですか?」



 心晴は『法月』という言葉に反応して彼を探そうとする。女性グループのそばを通り過ぎて、人混みの向こうに出た彼女の視界に彼が入った。


 昨日のオフィスカジュアルと違って私服を着た弥勒が知らない女性と話している。その女性はアッシュグレーのロングヘアが目を惹く長身で、細身のモデルのような人だった。


 それは心晴にとって見たくない光景で、ふたりの邪魔をしてはいけないとその場を離れようとした。


 しかし、偶然にも話していた彼らは移動をはじめ、あろうことか心晴がいる方向に近づいて来る。



 「法月さん、昨日はありがとうございました」



 さすがに無視をするわけにもいかず、古宮が挨拶をした。心晴たちに気づいた弥勒は驚いていたが、「ああ、シエルさんの」と微笑む。



 「こちらこそ、昨日はありがとうございました。少し厳しいことを言ってしまって、あの後社長さんに怒られませんでしたか?」


 「いいえ、むしろ企画が失敗する前に止めてもらえてよかったです」



 古宮の台詞が社交辞令であることはきっと弥勒も気づいている。



 「そちらの方は・・・」


 「ああ、こちらは法財院ほさいん亜希あき。弊社の代表です」



 綺麗な女性は微笑んでお辞儀した。



 「こちらは株式会社シエルのご担当者さま」


 「古宮です。お世話になっています」


 「天白です・・・」



 弥勒がお互いを紹介して、挨拶を済ませると「それでは」と亜希と並んでシネマゾーンへと去って行った。



 「あのふたり付き合ってるのかな。代表と本部長のカップルってすごいよね。ハイスペックカップルって言うのかな?」


 「そうですね。お似合いでした」



 代表と紹介された亜希はまだ三十歳前後の若い女性だった。悔しいくらいにお似合いのふたりは、誰もが羨むカップルそのものだ。あのふたりが映画の主役を務めても違和感がないくらいに。



 「俺たちもこうやってふたりでいるとカップルに見えてるのかな?」


 「どうでしょうか」



 古宮の攻めた発言も今の心晴には届かない。


 こんなことなら、映画に来なければよかった。いまだに忘れられない人が幸せそうに笑っていることは、素晴らしいことだ。


 でも、それを見たくはなかった。


 どこかで幸せに暮らしてくれているなら、それで満足だった。



 「そろそろ上映時間だし、入ろうか」


 「はい・・・」



 映画の上映は二時間、心晴は親友が美しく、そして眩しく輝くスクリーンをただ眺めていた。

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