第7話 雨雲の向こう
金曜日の昼休憩、心晴はデスクで昼食をとっていた。隣には先輩の古宮がおり、彼もご飯を食べている。
心晴はコンビニで買ったパスタサラダとカフェオレ、古宮は同じくコンビニで買ったサラダチキンとおにぎりをお茶で流し込む。
ジムに通ってトレーニングをする古宮はタンパク質の摂取量を管理しており、低脂質のメニューを選んで摂取する。食事を楽しむというよりは、身体のために栄養を摂取しているような感覚だった。
心晴と食事に行くときはあまり気にしていないようだが、それでもメニューを選ぶときに揚げ物は避けた。
彼に胡麻ドレッシングはカロリーが高いと指摘されてから、パスタサラダも和風ドレッシングのものを選ぶようになった。
心晴はごく標準の体型で、身長も日本人女性の平均ほど。対して古宮は人混みにいても頭ひとつ出るくらいに背が高く、ジムで鍛えた身体はシャツを着ていても筋肉の形がわかる。
「毎日サラダチキンで飽きません?」
「最近は種類が多いからさ。今日はプレーンだけど、照り焼きとかネギ塩とか、日替わりで味を変えると飽きない」
「胸肉に飽きます」
「胸肉はトレーニーの味方なんだよ。天白さんはジムとか興味ないの?」
「私は運動苦手ですから。ジムにいる女性はみんな締まった綺麗な身体をしてるので、恥ずかしくて行けません」
「綺麗な身体にするために行くんだよ」
確かに。はじめから綺麗ならジムになんて行く必要はない。
きっと彼女たちは目標のためにジムに通い、そこまで到達してもなお、さらに高みを目指している。
私には無縁の世界だ。
「興味あるなら僕の通ってるジム紹介するのに」
「お気持ちだけいただきます」
午後二時から株式会社ロイヤルキャピタルの統括本部長と先日挨拶をした蓮見陽世が訪ねて来る。
七海との契約に際して彼らが所有しているデータをもとに見込まれる収益や、この契約が会社にとってプラスになるのかをプレゼンしてくれるそうだ。
社長、部長、主任である古宮、チーフの心晴、さらに関係している他部署の人間からアンジェの店舗を統括している現場の責任者も出席する。
「天白さん」
企画広報部長の
心晴にとって歳の離れた姉のような存在で、とても面倒見がいい。キャリアウーマンとしては目標にしたい存在だ。
「二時にロイヤルキャピタルの方が来られるから、それまでに会議室のセッティングお願いできる? 社長も参加するから一時半には準備ができた状態にしておいて」
「わかりました」
昼休憩が終わり、一時になって心晴は会議室に向かった。前回と違い椅子が十個ずつテーブルを挟んで対面に並んでおり、天井にプロジェクターが取りつけられている。
準備と言ってもプロジェクターの電源を入れ、パソコンのデスクトップを表示しておく程度のものなのだが、早めにしておくに越したことはない。
株式会社シエルとして風早七海にモデルの契約をする際の見積もりがあるのだろうが、機密情報は部長以上の人間しか入ることが許されない共有データの中にある。
あれほど有名な女優に仕事を依頼したら金額はどれほどになるのだろうか。想像しただけで恐ろしい。
心晴はオフィスに戻り自分のデスクに座ると、隣で古宮が慣れた手つきでかたかたとキーボードを叩き、メールを送っていた。
プレゼンまではまだ時間がある。スクリーンにある付箋に目を通し、その時間までに終えられそうな仕事をしておくことにした。
ひとつ終わればそれを剥がして捨てる。しかし、いろいろと新たに仕事は舞い込んでくるから、付箋を一枚捨てては新たに書き込んでスクリーンに貼る。
毎日の仕事はその繰り返しだ。
アパレル業界は夏本番が近くなるとその歳のAW、つまり秋冬の商品仕入れに向けて動き出す。常に先取りを行わなければ店頭に並ぶ頃にはシーズンが終わってしまうのだ。
デザインや商品の仕入れを行うのは他の部署であり、その部署から送られてきた仕様書をもとに、企画広報部がマーケティングの戦略を練る。
心晴は共有されていた仕様書に目を通してAWのトレンドを把握、企画を作成するためのリサーチを行った。
「天白さん、そろそろ」
「あ、行きます」
集中すると時間を忘れてしまうのが悪い癖だが、それだけ他のことに邪魔をされないだけの集中力があるということだ。いつも隣の古宮が声をかけてくれるから、時間に遅れることはない。
会議室に入ると社長や部長、普段あまり顔を合わせることのない現場の責任者も席についていた。
心晴は頭を下げて一番奥の席を目指し、重い空気の中着席する。すぐ隣に古宮がいてくれることで、少しばかり安心できた。
プレゼンの五分前になって、ノックがあって扉が開いた。
「失礼します。ロイヤルキャピタルのご担当者様が到着されました」
受付の女性に案内されて入って来たのは、記憶にある顔だった。前回挨拶をした陽世を従えて、彼は社長に名刺を差し出した。
「ロイヤルキャピタルの法月と申します。本日はよろしくお願いいたします」
ただ彼の顔を遠くから見つめて、心晴は固まった。
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