五月雨
第1話 日の出
神奈川県立湘北高等学校は県内でも有数の進学校として有名で、通っている生徒の満足度は極めて高い。
卒業生の大多数は進学を選択し、毎年東京大学をはじめとした日本が誇る一流校への合格者を多数輩出している。
その分日々の勉強は大変で相当な覚悟がないと大学受験どころか進級することもできない高水準の教育が提供されている。
課題の量は比較的少ないが、テストが極めて難しく授業進度が早い。教科書の内容は二年生のうちに三年分のカリキュラムを終えてしまう。
そんな中でも優秀な生徒たちはクラブ活動やボランティア活動、友人や恋人と青春を送る。
高校二年生の十月、心晴はなんとかここまで勉強に食らいついてきた。自己評価でも決して要領のいい方じゃなく、秀才が集まるこの学校でなんとか中の上の成績を保っている。
志望校は決めてあるし、それはきっと変わらない。あとは、本当にそのレベルの受験ができるようにさらに成績を上げることが求められる。担任にレベルが低いから志望校を変えるように言われたら、まず合格はできない。
心晴は教室の窓際にある席で開いた窓から空を見ていた。ようやく夏が去り、爽やかな風が黒い艶のあるロングヘアを撫でた。
「心晴」
「ん?」
視線を送っていたのとは反対の方向から名前を呼ばれて振り返った。
隣の席に座っていたのはクラスメイトの
その名前からお寺に生まれた子供だと勘違いされることが多いが、彼の両親はビジネスで世界を駆け回っていて、いわゆる印象とは正反対の家庭に育った。
中学生までは親と一緒に海外にいたのだが、高校から日本に来て高校近くの賃貸マンションにひとりで暮らしている。
彼と出会ったのはこの高校に入学してすぐ、はじめて一年生の教室に入ったときだった。
帰国子女で友人がいなかった彼は堂々としていて、隣の席になった心晴は帰国後最初の友達になった。
出会った頃は小柄で心晴よりわずかに背が高かった彼も今では見上げるほどに成長した。高校男子の成長速度は恐ろしいものがある。
「今度の休み空いてる?」
「空いてるけど・・・」
心晴の心臓が高鳴った。
「じゃ、遊びに行こう。八景島シーパラダイス行きたくてさ」
「うん、わかった。他に誰か誘うの?」
「いや、ふたりで。嫌?」
「全然嫌じゃない。楽しみ」
弥勒は眩しい笑顔を見せて「じゃ、詳細はまた連絡する」と占領していた他人の席から移動して友人の輪に向かった。
ふたりで、しかもシーパラダイス。これは疑いようもないデートだ。
これまでもふたりで遊んだことはあったけど、ちょっと買い物に行って食事をして、同性の友達と遊ぶ感覚だった。
「青春ですねー。心晴さん。笑みがこぼれてますよ?」
聴き馴染みのある声で緩んでいた表情を引き締めると、先ほどまで弥勒がいた席に親友が座っていた。
「からかわないで」
「でも、嬉しいでしょ? ほら、親友の私には正直にさ」
「・・・嬉しい」
心晴と弥勒の微笑ましい会話を少し離れた場所で聞いていたのは
彼女は同性の友人の中でもっとも仲がいい女の子で、二年生のマドンナ的存在だ。高校二年生とは思えないほどに大人びた容姿で、学校一の枠に囚われないほどの美貌を持っているために外を歩けば歳上の男性から声をかけられることが多い。
彼女と一緒にいると平凡な自分が惨めに思えることもあるのだが、そんな話を冗談交じりに弥勒にしていると、彼から「心晴は綺麗で魅力的な女の子だよ。誰かと比べる必要なんてない」と真剣な表情で言われたことがある。
そのときからだった。
私の心はずっと彼に握られている。
「もしかして、告白されたりなんて?」
「それはないでしょ。弥勒くんを狙ってる女の子も多いって聞くし。わざわざ私じゃなくても・・・」
それらしい言い訳を並べているが、実際弥勒は自分に気があるとなんとなく思っていた。
自惚れだと理解していながらも、弥勒がふたりきりで遊ぶ女子生徒は心晴か、たまに七海くらいだ。
「もっと自信を持ちなさい。それに、本当に好きなら他の誰かに盗られる前に捕まえておかないと」
「しー!」
声量を抑えずに心晴の本心を発表する七海を止めようと彼女の口を手で塞ごうとしたが、七海は素早くその手を避けた。
「弥勒くんには聞こえてないから大丈夫」
「他の人が聞いて、噂が広がったら困る」
「あ、それがあったか」
「やめて」
七海はそんなことしない。
わかっていても、彼女には小悪魔的な部分が垣間見えることがある。そんなところも魅力に変えてしまうことが、彼女のあざとさだ。
「当日着て行く服とか、メイクとか、アドバイスは必要でしょうか?」
「お願いします」
残念ながら心晴にはファッションセンスもメイクの腕もない。素材が一級品で、さらにセンスも兼ね備えた七海の力を頼らないと間違った方向に向かうかもしれない。
彼女が親友で本当によかったと心から思う。
「じゃ、放課後に作戦会議ね」
七海は妖艶なウインクをして席を離れた。
授業の開始を告げるチャイムが鳴り、心晴の苦手な数学の時間がはじまった。
その授業はいつも以上に難解なものだったが、それは単元のせいじゃなく、彼女の心の高揚が脳の機能を制御しているため。
やっぱり私は不器用な人間だ。
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