14話 夜の屋敷

 深夜のことである。


 俺はふと、目覚めた。一度全身を震わし、ベッドから起き上がった。‥‥‥そう。眠りに沈む夜中、誰しもが一度と言わず経験するであろう、あれである。


「トイレ行きたい」


 そんなことをボサッと呟いた俺は、一人部屋にしては広すぎる暗闇の空間を彷徨い、ドアノブに手をかけた。心なしか、ドアを開けたその瞬間から冷たい隙間風が。いや、気のせいだ。


 部屋の外は、これまた広すぎる廊下である。木の枝のように分岐した複雑な廊下を伝い、便所へ向かわなければならない。


 べ、別に怖くなんかないよ? 小学生じゃないんだから。幽霊とか居る訳ないし。


 ギィィ‥‥‥(何かがきしむ音)。


 ――は、はぁ? そんな典型的な脅しが通用するとでも?? それで怖がるのも五歳児までだからな。


 さて、暗くて景色はロクに分からないが、俺の脳内では便所までのルートが鮮明に映し出されている。俺が今居るのは二階最奥の寝室の前である。ここから廊下を進み、二つ目の分岐で左に進む。さらに真っ直ぐ進み、突き当たりで右だ。その先に目的地トイレはある。


 と、ここで深呼吸。


 だ、だから怖くねぇよ! これはだな、高鳴る鼓動を静める――じゃない。血液の循環を制御し、尿の流れを遅らせるためにやっているのだ。‥‥‥よし、行くか。


 まず一歩。


 メキメキ‥‥‥(床がきしむ音)。


 あれ、この床ってこんなに音立てるっけ? こんなに廃墟みたいな音立てるっけ? 


 俺は首をブンブンと横に振った。


 これはあれだ。視界が悪いからその分、耳が敏感になっているだけだ。‥‥‥え? やっぱり怖いんじゃないか、だって? ――断じて否である!


 五感は貴重な情報収集源だ。異世界を三年間生き抜いてきた俺は、五感の一部が機能しなくなった時、残る機能が自ずとそれを補うよう鍛えられているのである!!


 さぁ、いくら俺が尿を遅らせているとはいえ、時間は有限だ。先を急ぐ!


 ――こうして俺は勇敢に歩を進め、二つ目の分岐に辿り着いた。そこで俺は立ち止まった。というのも、一つ気になることがあったのだ。


 何か・・から見られている気がする。


 先ほどから、妙に視線を感じるのだ。気配がある。それも、俺の動きに伴ってついてきている。‥‥‥ゆ、幽霊だぁ? 存在しない奴に気配を感じる訳がないだろう? バカバカしい。


 しかし俺の五感は、ますます敏感になっていた。暗闇になれた俺の目はより鮮明に景色を捉えた。ちょうど右に、窓があった。外が見える。


 どこからともなく吹く風が木々を揺らしているようだった。そのザワザワと鳴る木の葉の音までがよく分かる。相変わらず、不気味な景色である。


 よくよく考えたら、ここって森の中なんだよな。強力な魔獣が多く住まう森。冒険者たちがこの森で命を落とすことだって珍しくはないだろう。となると、この森は死んだ冒険者の亡霊がうようよと彷徨っているんじゃ――。


「って、いかんいかん!」


 俺は自分の頬を両手でパチンと叩いた。


 何を変な想像をしているのか。幽霊なんて存在しない! 暗闇のこの環境で"怖い"という感情なんてありゃしない!


 俺はそう言い聞かせ、分岐を左に曲がった。しかし俺の足はまたすぐに止まったのだった。


 今、メキメキって音がしたよな‥‥‥。いや、俺の足音じゃなくて。明らかに、俺とは別のところで音がした。敏感になった俺の耳に聞き間違いなどあり得ない。


 ‥‥‥ま、まぁ? 音くらいどこでもするよな。そりゃあ屋敷だって、外は風が吹いてるのに一ミリも揺れないなんてことはないでしょうし。俺が気にすることじゃないっての。


 俺は再び歩き出した。当然、鮮明にメキメキと聞こえてくるが、もう平気だ。怖くない。――い、いや! そもそも最初から怖いなんて思ってないんだからね!!


 俺は廊下を真っ直ぐ進む。左側には、これまた大きな窓があり、やっぱり風に揺れる木々が望めた。


 ――その窓から。何かが見えた。


 月明かりかと思ったが、光は木の上に重なって見えている。‥‥‥え、ちょっと待ってよ。何も現実逃避する口実思いつかないんだけど。どう見ても不自然な位置で光ってるんですけど。


 う、嘘ですよね? 俺の見間違い、ですよね‥‥‥?


 俺は一生懸命に目を擦った。そして再び窓を覗いた。すると――


「‥‥‥え?」


 光は三つ、四つ‥‥‥と徐々に増えていた。


 おいおいおいおい。これもう言い逃れできるレベルじゃないぞ!? どうなってんだよ!?


 俺はとうとう、思い切り目を瞑った。そして身体の向きを窓から廊下へと変えた。もう見てられるか。さっさとトイレ行って部屋に戻ろう。


 そう思って目を開けた。





「‥‥‥‥‥‥は?」





 ――――――――廊下中が、光の玉で埋め尽くされていた。


 さらに、背後から視線を感じる。


 ま、まさか‥‥‥。ゆ、幽霊なんて、居る訳‥‥‥。


 俺の足はすくんで動かなかった。激しく身が震えている。だがそれでも、俺はぎこちなく後ろを振り返った。


 そこには、光に当てられ微笑む女の影が――――


「ぎゃああああ!!!!」


 俺は思わず腰を抜かした。


 しかしすぐに、全ては解決した。


 俺の目の前に居たのは――――――――――――――――ティアナだった。


「お、おおおお前! こんなとこで何してんだよ!?」


 ティアナは笑顔で答えた。


「ヒロト様がどこかへ向かわれるようでしたので、暗闇では危険だと考え、明かりをつけさせていただきました」


「紛らわしいことをしてくれるな!! というかトイレくらい一人で行けるっての!」


 全てはティアナの仕業であった。まったく、驚かせやがって。過保護な従者メイドは困ったものだ。


「あのな‥‥‥、屋敷の外ならともかく、屋敷の中まで俺を見張るのは止めてくれ。全然落ち着けないから」


「それは大変失礼致しました。以後、気をつけます」


 ティアナは頭を下げ、去っていった。景色も元に戻った。これで一件落着だ。


 ‥‥‥と思っていたが。恐怖はないはずなのに、俺の身体がぶるんと震えた。ん? 何故だ?


 ――――――――あっ。


「ヤバい! ピンチだ!! 俺の"俺"が、大ピンチだー!!」


 俺は便所へダッシュした――――。

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