第1章 幹部に辿り着きし者
5話 冒険者の侵入
うむ。良い朝だ。涼しい風に、ほんのりと差す柔らかい朝日。風にそよぐ木々。
俺は庭で背伸びをした。前世の子供時代、よく親父に身長を伸ばすためだと背伸びをさせられたのを思い出す。本当に懐かしい。
それにしても、これまで全く意識できていなかったが、早起きが身に染みついているらしい。これに気づけたのも全て、ダラダラしているおかげに他ならない。
この落ち着いた雰囲気。最高だ。前世なら寝惚けて訳も分からずトーストを放り込みながら着替えているところだ。異世界に来た当初は冒険者として、クエスト中に野宿したりもしたな。ハラハラドキドキは満足した。これからはダラダラの番。
「おはようございます、ヒロト様。ご朝食をお召し上がりになりますか?」
なんと、玄関にセシリーが立っていた。あれ、俺の感覚だと今午前六時くらいなんだけど。しっかりとメイド服で髪も整っているんだけど。寝癖は? あくびは?
「セシリー、もしかして寝てない?」
「いいえ、休養は抜かりなくとっております」
抜かりなくって‥‥‥。俺、この時間に起きるとか言ってないし、むしろ昨日のだらけ切った態度から俺がもっと遅く起きるものと思われても良いはずなのだが。いつ起きて身支度を済ませているのだ‥‥‥?
――まあ、昨日も散々思い知らされた通り、仕事は完璧にこなす
「それで、ご朝食を準備致しますか?」
再び問うセシリーに、俺は首を横に振った。
「いや、あと小一時間くらいはいい」
「承知致しました」
セシリーは深々と礼をすると、屋敷の中へと踵を返したのであった。‥‥‥毎回ああも最敬礼をされると、なぜか罪悪感が沸いてくる。すごく謝られているような気がしてしまう。――いや、俺は何も悪くない、悪くない、悪くない。
己にそう言い聞かせ、少し身震いをした俺は、やがて屋敷に戻った。
* * * * *
「‥‥‥ここで間違いないのか?」
「ああ、そのはずだ」
日が昇ってきた昼頃。剣や弓などの武器、防具を携えた人間が男女二人ずつ。彼らは冒険者と呼ばれる存在であり、対魔族戦における前線に立つ者たち。
彼らは現在、ヒロトの支配圏にある森を彷徨っていた。
「お前の話が本当なら、俺たちの英雄生活は目の前だぞ‥‥‥!」
陽気な男――トールが興奮を隠せずに両手を広げて話す。
「気が早いわよ‥‥‥。カイト、あなたが見たって言っているのは、本当に幹部だったの?」
しっかり者の女――スーザンが問う。
「男は見た感じただの人間――というか実際もあまり強いようには思えなかった。‥‥‥けど、そいつの近くに居た女の子が、支配圏がどうのこうのって言ってたのを聞いたんだ。そっちはメイド服で、男に敬意を払っているように見えた。魔王軍幹部とみて間違いないだろう」
勇敢な男――カイトは、昨日この森で見かけた"魔王軍幹部と思われる人物"について説明した。
「人が住まないはずの森林で、メイドを従える男性‥‥‥。確かに、カイトさんの話を聞く限りでは、その男性が魔王軍幹部だというのならば筋は通っていますね」
気弱そうな女――リンが理解を示す。
「よっしゃ! そうと分かればさっさと行こうぜ! リン、頼む!」
トールに頼まれ、リンはスキルを発動した。
「
「ありがとう、リン」
カイトが笑顔でそう言うと、リンは頬を赤くした。
「いえ‥‥‥! そんな、感謝していただく程じゃありません!!」
スーザンは小声でリンに呟く。
「こんな時にまで色恋沙汰は止めてよね?」
「ち‥‥‥!? 違います!!」
四人は地図を見る。カイトは指を指した。
「俺が昨日迷子になったのが、ここだな」
「よくもまぁ堂々と言えるもんだね」
ジト目でカイトを見つめるスーザン。そんな彼女の肩にポンポンと手を置きながらトールは説得する。
「まぁまぁ、そう言うなスーザン。そのおかげで俺たちは英雄として名を轟かせることができるんだ」
そんな話をしながら、冒険者らは歩みを進めた。そしてその度に、彼らは空気が淀んでいくのを感じていた。
もう正午だというのに、風は冷たく、重い。四人は黙々と歩いている。
「‥‥‥まだ着かないの?」
あちこちを見回しながらスーザンが問う。
「もうカイトさんが迷子になった地点に到着していてもおかしくないのですが‥‥‥」
リンは地図を見ながら首を傾げた。
「カイト、何か目印とかないのか?」
「えっと‥‥‥確か女の子の方が、三つ首の狼を大量に殺していた。あれは上級魔獣だと思う。死骸の山があるはずだ」
カイトの回答にトールは苦い表情になった。
「何だよそれ、おっかないメイドだな‥‥‥」
四人は狼の死骸の山を見つけるべく、辺りを何度も見渡す。そこで、リンが気づいた。
「あれ‥‥‥。景色がほとんど変わらないので分かりにくかったけれど、地図上では私たち‥‥‥」
「どうしたの?」
「――――――――
「「え‥‥‥」」
冒険者らは足を止めた。確かに景色は変わらず森の中である。しかし彼らには、ちゃんと進んでいる感覚があった。だがリンの
景色と、感覚と、情報と‥‥‥。彼らは混乱し、沈黙した。何が正しいのか分からなくなっていた。
「――実に面白い種族ですこと」
その静寂の中で、美しく高い声が透き通った。カイトとトールは混乱する中で、唯一はっきりしたその声に魅了され、その主を探そうとした。
「ちょっとあんたたち、急にどうしたのよ!?」
「スーザンさん、二人とも様子が変です!」
その主は目の前に居た。メイド服をヒラつかせ、可愛らしく美しく、立っていた。カイトとトールにとってその女性は、この世で最も美しかった。その女性は――――――――ティアナだった。
「さぁ稚拙な人族よ、答えなさい。どこから来たの?」
カイトはトロンと口を開いた。
「レグリス王国でひゅ‥‥‥」
その口調はまるで三、四歳の子供。ティアナは微笑むと、続けて尋ねた。
「何をしに来たの?」
次に、トールが答えた。
「魔王軍幹部をひゃおして、英雄ににゃるちゅもりでちた」
トールが答え終わる頃には、カイトもトールも、立ってはいなかった。四つ這いの状態で口を開けっ放しにし、舌をぶら下げていた。
「ち、ちょっと! カイトもトールもしっかりしなさいよ! 何をしているの!?」
スーザンが二人に叫ぶが、その言葉は通じていないようだった。ティアナは言った。
「それはいけない事よね? お仕置きをしなきゃ」
「はひ‥‥‥」
トールは腰の剣を抜くと、それを己の首に添えた。
「トール!?」
慌ててスーザンが止めようとするが。
「あ‥‥‥」
トールは何の躊躇いもなく、自分の首を凄まじい勢いで斬り落とした。大量の血飛沫が広がり、トールの首が血の尾を引いてスーザンの元に転がる。スーザンとリンは絶句した。
そしてティアナは、ポケットから紙に包んだナイフを取り出した。それから丁寧に紙を取る。
「さぁ。これをお食べ、坊や」
そう言って、ティアナはナイフをカイトに向けた。リンは腰を抜かし、涙目で声を震わせながら言う。
「あの‥‥‥カイトさん‥‥‥? 大丈夫‥‥‥ですよね?」
「いひゃだきましゅ‥‥‥」
カイトは口を大きく開くと、ナイフを喉の奥に刺さるまで咥えた。口から唾液混じりの血が垂れる。ティアナは笑って、そのナイフをカイトの口の中でかき回した。
生々しい、肉が切れる音がゴモゴモと聞こえる。リンはそれをどうすることもできず、ただ泣きながら眺めるに留まった。最後にティアナは、ナイフをカイトの口の中に押し込んだ。カイトは倒れた。
「あ、あぁ‥‥‥。あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‥‥‥!!!!」
リンは泣き叫ぶ。既にカイトとトールは絶命している。リンは死んだカイトを眺めたまま、ただしゃがみこんでいた。
「やはり知能を持っただけの猿は弱いですわね。楽しめましたわ」
ティアナはさらに二本のナイフを取り出した。
「‥‥‥逃げるよ、リン!」
「カイトさん‥‥‥。カイトさん‥‥‥」
決意したスーザンがリンを呼ぶが、リンは放心状態であった。
「ちょっと、何してるのよ!? 早く逃げないと、私たちまで!!」
「もう死んで良くってよ?」
ティアナは二本のナイフを軽く投げた。スーザンは咄嗟に伏せてなんとかかわした。しかし――
――もう一本のナイフはリンの左胸にきれいに刺さっていた。リンは、開いたままで乾ききった瞳を僅かにずらし、倒れているカイトを見た。
「カイト‥‥‥さん。わ、たし、も一緒に‥‥‥。フヒ‥‥‥」
最期に口を三日月のように歪めて、リンは事切れた。
「っはあぁ、はあぁ‥‥‥!!」
信じがたい状況に息を乱すスーザン。一方、ティアナは穏やかな笑みを浮かべていた。
こんなとこ、来るんじゃなかった。魔王軍をなめすぎてた。人間じゃ、人間ごときじゃ、魔族には敵わない。
スーザンは伏せたまま、そんなことを考えていた。これは、魔族を敵に回した罰なのだと、生を諦めかけていた。
ティアナがまた、ポケットからナイフを取り出した。その金属の音で、スーザンは我に返った。
逃げないと! 生きないと!
不意にそう思えたスーザンは震える脚を叩いて無理やり動かし、生まれたての子鹿のようになりながらも、走り出した。一生懸命に逃げた。
まだ、待ってくれている人が居るから。
「パパ‥‥‥! ママぁ!!」
一生懸命に、生き続けようとした――。
――この日、ヒロトの支配圏に冒険者が侵入した。しかしその事実をヒロトが知るのは、まだずっと先のこと――――。
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