1-2.
「おい、気分はどうだ?」
イチイの声に、ハタダは益々混乱する。目で見た距離感と、耳で聞いた距離感が合わないからだ。
入れ替わるのは『視覚』だけ。他の感覚は全て置き去りだ。しかし、人間は外部から受け取る知覚の八割が『視覚』だと言われている。その八割に引き摺られて、人間はまともな行動や思考ができなくなる。
ここでもし僕が立ち上がり、歩き出したらこいつは余計混乱するだろうな……と、嗜虐心が疼いた。脚の感覚では直立している筈なのに、視覚は前へ前へと歩いている。動いていないのに、動いている。脳味噌はパンク寸前にまで至るだろう。
僕の能力に出来るのは、ここまで。直接的な攻撃力はない。アセビもそれは同様だ。
僕らには敵を圧倒できる実行力はない。故に、どこまでいっても後方に下がっての支援が精一杯なのだ。
だが、彼――二ツ屋イチイは違う。彼の能力は『気流の操作』。自身の半径2メートル以内の気流を自由に操作する事ができる。要するに任意で風を生み出せるのだ。だが、大きく強力な風を生み出すには、比例して時間がかかる。チャージタイムというヤツだ。
彼が中段に拳を構える時が、まさにその時。彼の垢抜けた茶髪が大きく乱れ、唸る風の音が耳を刺す。周囲の塵や埃を巻き込んで黒く染まった竜巻が、彼の腕を軸にして渦巻いていた。
『行くぜ――』
イチイが踏み出す。全てを終わらせる暴虐の竜が唸りを上げる。
左足で地を強く踏み込み、右足の踵を跳ね上げる。腰を回し、腕を伸ばし切る前に相手の体にぶつける。その腕を伸ばしながら、肩から手首を回転させ、相手を強く貫く。ボクシングに於けるコークスクリュー。空手に於ける正拳突き。
螺旋回転により威力を増した拳。その突貫力に上乗せるようにして、渦巻く竜巻が前方へと射出され、相手を大きく吹き飛ばす――!
凝縮、圧縮から解放された竜巻。その威力は辺りに植えられた樹木を大きく反り返らせる程の風力だった。手足を投げ出し、横方向に回転しながらハタダが花壇、ベンチ、木々を破壊しながら、遥か30メートル程向こうへ突き進み、やがて地面を削りながら失速し、崩れ落ちた。
「……いつも思うけど、コレ、よく相手が死なないよな」
僕は目を閉じて能力を解除し、アセビに向けて言った。彼女は苦笑いのようなものを零して、
「そうだよね。……アレでも加減してるみたいだけど、ホラ、あいつ、割と容赦ないじゃない?」
まったくだ。僕は頷いて、イチイの下へと歩み寄る。
「終わったぜ、シクラ、アセビ。やっぱ俺達は無敵だな!」
イチイは子供のように無邪気な笑みを浮かべ、掲げた手を僕と叩き合った。アセビとも同じく叩き合い、
「アセビ、警察を呼んでくれよ。今の内にシクラとあいつをふん縛っておくから」
了解と快活に返事をして、アセビが携帯電話を取り出す。僕とイチイは吹き飛んだハタダの下へと向かった。地面は竜巻に吹き飛ばされた跡で延々と大きく抉れており、その威力に僕は思わず顔をしかめた。
さて、ハタダはと言うと、まだ生きていた。良かったと、僕は一安心する。
ハタダの手足は見事に折れており、一部は骨が皮膚を突き破っていた。完全に行動不能だ。腹の辺りの衣服は引き千切れ、吹き飛んでおり、恐らくここに渦の軸、竜巻の目であるイチイの拳が突き刺さったのだろう。
「……警察じゃなくて、まずは救急車だったかな」
流石のイチイも頭を掻きながら、やり過ぎたと後悔しているらしい。しかしまあ、彼の怒りは僕にも分かる。ハタダが出した死傷者の中には、幼い子供がいた。恐らくお小遣いでお菓子でも買いに来ていたのだろう。だが、運の悪い事に強盗に巻き込まれた。
「まあ、人様を怪我させているわけだし、自業自得だよ」
僕はまるで感情の籠っていない声で言って、ハタダに近付いた。彼は、「うう……」と小さく呻き声を上げた。辛うじて意識もあるようだ。
「お前ら、くそ、覚えてろよ……」
今日び中々聞かないセリフだった。僕は思わず小さく笑ってしまった。
「負け犬剥き出しの台詞だな、え?」
イチイがせせら笑う。
「チームか? どこの、どいつだ……」
「俺達はチーム『
どう聞いても自慢である。イチイの自尊心の高さはネタにも出来ない。僕は溜息をついて振り返る。通報を受けた風紀委員会の数人が駆け付けて来ていた。
僕はハタダの足を、イチイは肩を持って風紀委員会の下まで運んでいく。彼らは僕らに敬礼して、その身柄を引き取った。ハタダの状態を見て、風紀委員会が思わず息を呑んだのは余談だ。
「ご苦労様。君達のチーム名を聞いてもいいかな?」
風紀委員会の一人が僕に声を掛ける。僕が『AICe』の名を告げると、驚いたように目を見張った。
「『AICe』って、結成して以来、ずっと一位の、あの……?」
「おう、その『AICe』だぜ!」
耳聡いイチイが大きく声を上げた。僕は頭を掻いて、遠慮がちに「そうです」と答えるに留めた。
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