1-1.

 残り3、2、1――。


「OK。準備完了だよ、イチイ」

 僕は携帯電話を耳に当て、木陰に隠れている彼にそう告げる。

「流石、仕事が速いじゃねーか。よっし、行ってくるわ」

「初手は右脚だよ」

 背後にいたアセビが、体ごと僕に近付いて電話に向かってそう言った。彼女の胸が背中に当たって、ちょっとだけドキリとする。

「ハイよぉ」

 快活な返事。見れば、イチイは僕らに背を向けて歩き、携帯電話を持つ右手を振っていた。……余裕綽々だな、あいつ。


 僕ら3人は広大な敷地を誇る中央公園にいた。花壇には花が植えられ、季節毎色とりどりの花で溢れる。大きな噴水もあり、夏にはその中で遊ぶ子供達の賑やかな声が響く。そんな市民の憩いの公園に、1人の男がベンチに座っていた。

 男はタンクトップ姿で、太く逞しい腕をこれ見よがしに覗かせていた。ジーンズに革製の高価そうなブーツ。大きな手には合わないサイズの携帯電話を何やら操作しながら、苛立たし気に足を小さく踏み鳴らしていた。

 一見すると、イライラしているだけの厳つい男だが、彼は電子掲示板で指名手配されている犯罪者だった。ランクはS、A、B、C――とある中のB。中ボスみたいなものだ。

 男の名前はハタダタケシ。1月前、スーパーマーケットのATMを破壊し、金を奪った強盗だ。その際に十人ほどの怪我人を出している。

 僕らは、彼を捕まえる為にここにいる。――と言っても、僕らは警察じゃない。普通科高校に通う高校2年生だ。だから出来るのは、彼を取り押さえ、警察に引き渡すまで。


 イチイがハタダの目の前に立つ。「あァ?」と低い声を上げながら、ハタダが顔を上げる。

「なんだ、お前。何見てんだよ?」

「ハタダタケシだな? 先月、ATMを強盗した――」

 そこまで言ったところで、ハタダが動いた。イチイの股間を狙い、右脚を跳ね上げた――けれどその一瞬前に、イチイは彼の右足を踏み付けていた。

「!」

 動きを先んじられた――。その事態に、ハタダは目を丸くし、己の足を見詰めた。その彼の顔面を、イチイの左脚が払いのけた。

「ご……ッ!」

 ハタダがベンチから吹き飛び、地面に崩れ落ちた。その合間に、イチイは右耳にイヤフォンを装着する。それは彼の携帯電話に接続されており、手動操作なしに通話を続行できる。

「次は右手が脇腹に向かって来るよ」

 僕に相変わらず密着しながら、アセビがイチイに告げた。……いやあ、おっぱいって柔らかいねえ。

『ハイよぉ』

 イチイの声が返ってくる。僕は再び、彼とハタダに視線を向けた。


「くそッ! テメエ、なんのつもりだッ!」

 ハタダが怒りを露わにして叫ぶ。イチイは「まあまあ」とナメ切った態度で、広げた手を上下に振って見せた。

「そうカッカすんなよ、えッ? カルシウム、ちゃんと摂ってるか?」

「――――」

 ハタダの怒りが頂点に昇る。左足を踏み込んで腰を回し、胸で腕を引いて、振るう。中々堂に入った右フックだったが、イチイはその一撃を、ハタダが踏み込んだ時点でその場にしゃがみ込む事で回避した。

「……!」

 ハタダは驚愕し、そしてようやく悟る。イチイの他に仲間がおり、その中に『未来予知』、若しくは『予測』の能力者がいる事を。


「――御名答」

 僕は口の中で呟く。そう、僕の背後にいる彼女、桃園アセビがその『未来予測』の能力者だ。


 彼女は見たもの、聞いたもの――およそ五感で感知した事柄を決して忘れない。それは意識的にも無意識的にも脳へと蓄積されていく。全てを知って、覚えている。そうして取得した情報を統合し、導き出される『予測』の結果はおよそ外れない。彼女は五から十五分先の『結果』を自由に見る事ができた。


 イチイがハタダの真下から跳び上がり、彼の顎を右拳が突き上げる――が、今回は上手くいかなかった。イチイがハタダのフックを避けるタイミングが早過ぎたのだ。自身の真下に入ったイチイが、どう攻めてくるか。それを考える時間を彼に与えてしまった。故に、ハタダは空いている左手にイチイの拳をぶつける事で、なんとかそのダメージを最小限に喰い止めた。

 互いに距離を離す両者。その様を見、僕は自分の予想を確信に変えた。

『っ……。くそ、バレたな』

「そうだね」

 イチイが右の手の甲を下にして鳩尾の高さに構え、肘を左手で押さえた。準備に入ったのだ。


『シクラ、今だ、やっちまおう』

 了解――。僕は返事をする事なく、両目を閉じる。続いてイメージする。僕の透明な眼球が頭蓋を突き抜けて宙を舞い、ハタダの眼窩へと突き刺さる一連のシーン。

 そして――、目を開く。

 僕の正面には、中段に構えたイチイの姿があった。次の瞬間、道に迷ったかのようにその視界が上下左右に乱舞する。ハタダは自分に何が起こったのか、理解できていないのだ。


 僕の能力、それは『視覚を入れ替える』事だ。今、僕が見ているのはハタダの視界で、ハタダが見ているのは僕の視界だ。ハタダが首を右にやれば、僕が見ている視界もそちらに動く。僕が首を左にやれば、ハタダが見ている視界もそちらに動く。ハタダが目を閉じれば、僕の視界は真っ暗になり、僕が目を閉じれば、ハタダの視界は真っ暗になる。僕は自分の事をハタダの目を借りなければ見られないし、ハタダもまた、僕の目を借りなければ自分の事を把握できない。

 だが、それを知らない今のハタダは、急に自身とイチイが遠く離れ、眺めている気分だろう。まるで幽体離脱だ。離脱したのは視覚だけだと言うのに。


 ハタダは右往左往している自分自身を見て、困惑し続けていた。僕が動かない限り、ハタダの見る景色は変わらない。この状態で動きたければ、まるで操作方法を知らないコントローラーで、画面上のゲームキャラクターを動かすような感覚に捕らわれる。足を動かしたいのなら、僕の目を借りて自分の足が動いている事を確認しながら、動かなければならない。

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