第十七章:樹龍の愛し子編

第195話:ヘルバの氏族

 ロマヌス王国の王都ティノープルの中心にはフォルムと呼ばれる場所がある。そこには政治や経済に関する施設が立ち並んでおり、この国の中軸を担っている。


 フォルムの隣には国王の宮殿があり、この日は政治を担う評議員や法務官が集められていた。


 国王の補佐官であるギィーチョは集まった者の顔を見る。呼ばれているのは国の上層部にいる者ばかりで、彼らは何故この場に呼ばれたのか分かっていないようだ。


 質実剛健を体現するような会議室の奥には、国王であるネルヴァ・アウレリウス・アウグストゥスが不機嫌そうな顔で座っている。国王は今年で四十七歳になるが、髪には艶があり、血色も良い。瞳には智慧が宿っており、集まった者たちを射抜くように見つめている。


 全員が集まったのを確認してからギィーチョは会議の開会を宣言した。

 全ての人間の視線が国王に集まり、場の緊張感が高まる。


 王は言った。


「今日集まってもらったのは他でもない。最近其方そなたたちから私への諫言かんげんが少なすぎる。皆々のお陰でこの国の情勢も落ち着いて来たが、まだ道半ばである。問題は尽きぬし、安泰と言うこともない。同じ事が私にも言える以上、目につく事があれば、其方たちは私を諌めなくてはならない」


 王は毅然とした態度だった。対する臣下たちは王の話を聞き、ほぅと息を吐いた。もっと別のことで怒られると思っていたのかもしれない。


「ロマヌス王国は民の国だ。民が声を上げるためには其方たちが私に声を上げなければならないことを覚えていて欲しい」


 この国の王を臣下が諌める姿を見せていけばその態度が連鎖的に広がり、民の声も届くようになるというのが王の理念だ。だが、最近取るに足らない報告をする際にも必要以上に王を恐れ、慇懃な態度を取る者が増えて来た。


 そんな状態では諫言などできないだろうというのが王の懸念なのだろう。


 ギィーチョは集まった者たちを再度見た。いま平気な顔をしているのは、以前から高い地位にいた者ばかりだ。


「どんな些細なことでも良い。まずは最近の物事について私に言いたい事があれば是非声を上げて欲しい」


 王は改めて諫言を求めたが、前に出る者は出てこなかった。古参の者は新人に出て欲しいと思っているのだが、慣れなければ難しいのも理解できる。


 ギィーチョは足を踏み出し、「王よ」と言った。


「最近王は高級な葡萄酒を嗜まれる機会が増えました。特別な機会に飲まれるのは良いでしょう。国を治めるための気苦労があるのも分かります。ですが、我々には費用の少ない計画を求めながら、王が自制をなさらないのは辻褄が合いませぬ」


 王は顔をしかめた。歯を食いしばり、顔が赤くなっている。


「其方は私が時折気晴らしのために葡萄酒を飲むのが悪いと申すのか?」


「そうは仰っておりません。高級な酒を飲む頻度と量が増えていると言っているのです。以前は月に一度ほどだったものが、いつの間にか隔週になり、現在では週に一度になっております。頻度を増やすなら質を落とし、質を変えぬなら頻度を減らすのが良いかと」


 王はギィーチョから目を逸らした。そして非常に残念そうな顔で「其方の言う通りにする」と言った。


 それからギィーチョの後に続いて、古い者を中心に諫言が始まった。


 最初は王が未亡人に色目を使っていたとか、会議の際の着衣の乱れが気になるなどの小言が多かったが、話が進むにつれて政治や経済に関する話が増えて来た。


 ギィーチョはその様子をじっと見つめていた。


 国王ネルヴァは即位後からこのような態度を取り続け、いつの頃からか賢王と評されるようになった。未だに魔物の脅威から逃れることは出来ていないが、この国の経済は安定し、近年では盗賊を見ることもほとんどなくなって来た。




 静かに話を聞いていると、突然扉が開き、部屋に入ってくる者がいた。それは王国騎士団の副団長を務めるクルソルだった。いつも冷静に戦況を眺める男が、汚れたままの服で挨拶もなく入って来た。


「無礼者! この場を何だと思っているのだ! 陛下に失礼ではないか!」


 怒りを露わにする者もいた。確かに非常識な振る舞いには違いないだろう。


「カエクス卿、気持ちは分かるが私のことは良い。クルソルは弁えている人間であるから、礼儀を飛ばしてでも伝えたい事があるのだろう。そう理解して良いな?」


 クルソルは強く頷いて端的に伝えた。


「ヘルバ氏族から国家存亡級の事態が発生したとの報告を賜りました。至急、陛下にお伝えしたい事が御座います」


「分かった。皆はしばし待っていてくれ。話せる内容であれば私から後で伝えよう。だが、指示があるまでは口外禁止だ」


 そう言って王はクルソルと共に別室に移動した。


「ヘルバの氏族……?」


 ギィーチョは何が起きたのか分からず、ただ王が戻るのを待つ他なかった。





 王都にある『月下の誓い』の拠点では、最近干し肉作りが流行っていた。

 モフの【綿魔法】で特殊な綿を作り、肉を包むとかなり早く乾燥させる事が出来ると判明したのだ。


 その結果、最初はただ塩漬けの肉を作っていただけなのに、今では凝った調味液に漬けてみたり、とある葉を巻いて肉を柔らかくしたりと研究が進んでいる。


 ルキウスやプラウティア辺りは冷静に「こんなに作ってどうするの?」と言っているが、凝り性で食いしん坊のマイオルとガイアは夢中になっている。


 セネカも不動の味見係として日々研究に協力をしていた。ちなみに作りすぎた場合、冒険者たちに売り捌けば良いとセネカは考えている。


「ねぇ、プラウティア。プラウティアは私たちが干し肉作るのを眺めているだけだけれど、興味は湧かない?」


 拠点の居間で干し肉をかじりながら、セネカは隣にいたプラウティアに聞いた。今は二人きりだ。


「興味がないわけじゃないけど、私は横で見てるだけで良いかな。もう十分に美味しくなっていると思うし……」


 プラウティアの言うことは正しかった。既に質としてはかなり良くなっているのだが、マイオル達は躍起になっていて、さらに幅を広げようと試行錯誤を重ねている。


 何がそんなにマイオルを駆り立てるのかは分からないが、美味しいものが食べられるのであればセネカは文句がなかった。だが、贅沢を言えば肉に飽き始めてもいる。


「私は今が良い時機だと思うよ? そろそろプラウティアも入らないと出遅れちゃうんじゃないかな」


「……何の話?」


 プラウティアは困った顔になった。セネカが何を言っているのか分からないのだ。


「モフの【綿魔法】で干し肉を作るのが早くなるって事が最近分かったでしょ? その結果が今なんだけれど、この技術って肉だけのものだと思う?」


 そこまで言うとプラウティアは察したようだった。


「これって植物の素材を乾燥させるのにも役立つはずだよね。マイオルが商売をするって本気で言い始める前に動かないと、モフの余裕がなくなっちゃうと思う」


「た、確かにそうですね……。マイオルちゃん達ほど情熱を捧げられなかったので、考えもしませんでした」


 プラウティアはセネカが食べていた干し肉を手に取り、良く観察し始めた。乾燥具合や加工の程度が気になって来たのだろう。


「とりあえず水気の多い果実で研究してみるのはどうかな? 果実で出来るなら応用が効くと思うから」


「そうですねっ!」


 プラウティアは強く頷いた。しかし、セネカが笑いをこぼしたのを見て、本当の狙いに気がついた。


「セネカちゃん、お肉に飽きたから今度は干した果物を食べるつもりだね?」


 セネカは目をそらして干し肉を手で割いた。片方をプラウティアの口に入れ、もう片方を自分の口に入れた。


「……これ美味しいね」


 セネカの下手なごまかしにプラウティアは笑い、もし果物を干したら渡してくれると言ってくれた。




 砂漠の薔薇の一件以来、セネカ達は冒険を抑えめにしながらゆっくりと日常を過ごしていた。


 鍛錬を怠ることはなかったが、身を危険に晒すこともなかった。ルキウスの生活の中心が神殿から拠点に移ったこともあり、セネカはとても充実した毎日を送っていた。


 そんな『月下の誓い』の元に連絡が入ってきた。それはギルドからの緊急の要請だった。

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