第193話:青く賢き龍
グラディウスは王都のレストランの個室でうなだれていた。
ここのところ、大きな問題にかかりっきりになっていたので、疲労が溜まっているのだ。だが起きたこと自体は痛快で、頑張りがいもあった。
「まさかあれだけ多くの砂漠の薔薇を見つけて来るとはのう⋯⋯」
事の発端は一ヶ月半前にルキウスが行方をくらましたことだった。孫のモフからルキウスの状況を聞いていたので、いずれ限界が来ると思っていたものの、事件が起きるのはグラディウスの想像より遥かに早かった。
教会は一時騒然となった。派閥に関わらず多くの者たちがルキウスと『月下の誓い』を監視していたはずだが、彼女たちは華麗に王都を脱出し、国外へと逃げてしまった。
「かっかっかっか!」
あの時の教会の教会騎士たちの顔を思い出すと笑いが込み上げて来る。自称ルキウス派の者たちはルキウスを捕まえられない騎士を責めていたが、側近であるのに同行を知らされてもいないとやり返されると反論も出来ない様子だった。
その後、ルキウスの後見人であり、モフの祖父でもあるグラディウスは当然槍玉に上げられたが、様々な伝手を使ってのらりくらりと躱したのだ。
そろそろまずいと思っていたところで、ユリアとその弟子のキトの援護が入ったのも良かった。二人で改良した最新式のポーションを取引材料にして良いと言われたので、粘ることが出来た。
「フィデスの婆さんも裏で動いていたな。聖女派の動きがどこか鈍かった」
聖女フィデスも若い頃はグラディウスとともに良く教会を逃げ出していた。彼女はルキウス以上に教会に恩義を感じているはずだが、それでも我慢できないことが多かったのだ。
「婆さんはルキウスに束の間の休息を与えたつもりだったのだろうな。だが、彼奴らはそんな思惑を超えて、結果を出しおったわい」
突如として王都に帰ってきたルキウスたちは砂漠の薔薇を持ち帰り、交渉を始めた。
当初教会の人間は彼女たちを見くびって話し合いに臨んでいた。砂漠の薔薇を取ってきたと言っても何個かの話だと思っていたのだが、蓋を開けてみれば彼女たちは教会よりも多くの砂漠の薔薇を保有しており、途中から立場が完全に逆転してしまった。
「マイオルの立ち回りも見事だったのう……。わしが矢面に立たされてしまったが、なかなかやるわい」
そもそもこの問題は、教皇派のとある枢機卿が砂漠の薔薇を派閥内で融通し、在庫がなくなってしまったことが問題だった。『月下の誓い』から砂漠の薔薇を補充できれば形式的には問題を解決できるので、教皇派の連中としては躍起になるだろう。
そんな事件が起きてしまう時点で、グラディウスからしたら教会は壊れているのだが、枢機卿を務めた時代からそれはよく分かっていた。
いま現在も教会の権力構造は変動していて、派閥関係の正確な情勢は誰にも分かっていない。だが、本来はそんなことをしている場合ではないはずだった。
「これでルキウスは望むものを手に入れたようだな」
今回の交渉でルキウスが望んだのは、ルキウス派の解体と、ほぼ全ての教会活動への参加拒否だ。本来、お互いを
「世も末じゃのう……」
後見人のグラディウスも圧力を受けてはいるが、いまさら老骨を追い詰めようとする者はいないし、むしろルキウスへ通ずる手段として重宝されている部分もある。
「聖下もフィデスもそろそろ気づくのじゃろうな」
枢機卿を自ら辞めて巡礼の旅をしたグラディウスは市井というものが少し分かっている。強引に旅に出たが、お陰で目を開いて世界を見ることができるようになった。
グラディウスは冷めたお茶を啜った。そろそろこの場所にじゃじゃ馬たちがくる時間だった。
◆
マイオルに連れられて、セネカは王都の地下にあるレストランにやってきた。ここに来るのは初めてではないが、マイオルほど慣れてはいない。
この場所はグラディウスが密談するために使う店のうちの一つで、いくつかの部屋は物理的にも魔法的にも盗聴に強くなっているらしい。
店主に教えてもらった個室に行き、扉につけられたベルを鳴らす。すると中からグラディウスが出てきた。今日は変装していないようだ。
「おぉ、よく来たなぁ。色々話したいと思っておったのじゃよ」
グラディウスは「かっかっかっ」と笑いながら迎え入れてくれた。そして、とりあえず食べたいものを注文しろと言って、リストを渡してくれた。
この店の料理の多くは平凡に思えるのだが、辛い料理は絶品だ。セネカは辛い味付けの煮込み料理を注文することにした。
「さて今日だが、教会の話は後にすることにして、まずは龍について聞きたいんじゃったな?」
先ほど届いた煮込みを口に入れながらセネカは頷いた。根菜と豚の肉がふんだんに入っていてすごく美味しい。隣ではマイオルも同じものを食べている。
「この前は話しそびれてしまったんだがな。実は何十年も前にわしも『リザードマンの森』に行ったことがあるんじゃよ」
グラディウスはパン粥の器の上でチーズを削りながら話し始めた。
「そうだったの?」
「あぁ……。当時、かなり探索したつもりじゃったが、ワイバーンはいなかった。砂漠もなかったし、森の様子もだいぶ違いそうじゃな」
「何十年も経っていれば変わっちゃうよね」
それだけあれば生息する魔物が変わっても仕方がなさそうだ。だが、グラディウスは首を振った。
「その可能性もないではないが、そこが龍の領域なのであれば、わしらは選ばれなかっただけなのかもしれぬ。おぼろげな記憶だが、不自然なところもあったしのう……」
「選ばれる、ですか?」
マイオルが言った。
「お主とモフは加護を得たという話じゃからな。その前段階で何かがあったとしても不思議ではない」
グラディウス言い切った。そう思う何かがあるのかもしれない。
「そもそも龍の加護って何ですか? あたし、何か変わったようには思えないのですが……」
「それはな――」
マイオルの質問にグラディウスは顔をしかめた。
「言えないことなんじゃよ。元枢機卿のわしであってもな!」
グラディウスはわざとらしく語気を強めた。察してくれと言うことなのだろうが分からないことが多すぎる。
「言えない……ですか」
「あぁ、お主らも金級冒険者になれば分かるはずだが、立場ができると誓約が増えていくのじゃよ。それほど、さまざまな情報に触れる機会が多くなるからのう」
セネカはどうにか情報を得られないかと頭を回転させ始める。おそらくマイオルも同じだろう。
「いまのわしに伝えられることは少ない。じゃがな、実はお主らのことを上に報告する義務も今のわしにはないんじゃよなぁ」
グラディウスは非常に愉快そうに笑みを浮かべる。教会では清廉潔白な人物として有名らしいが、そんな評価はとんでもないと思ってしまう。さっぱりした人物であることは間違いないが……。
「誤解しないで欲しいが、わしは出来ることをするのみじゃ。可愛い孫と聖者に加えて、生意気な弟子もおるからのう! かっかっかっ!」
生意気な弟子というのはマイオルのことだろう。マイオルはよくグラディウスの指導を受けていたが、ついに弟子と言われるほどの関係となったのだろう。
ちなみにセネカはグラディウスのことを気のいいおじいちゃんだと思っている。
マイオルは少し考え込んだ後で両手を上げた。グラディウスには敵わないと思ったのだろう。
そんなマイオルを見てグラディウスは目を細めながら言った。
「だから、言える範囲のことしか教えられんのだが、面白いことを聞かせてやろう。昔、とある本を読んでいた時にある龍の記述を見たのじゃが、お主らの話した姿とそっくりじゃな。その龍は『青く賢き龍』と呼ばれ、人に試練を課したそうじゃよ」
自分たちが出会ったのはその龍で間違いないのだろうとセネカは感じた。だが、眉間に皺を寄せるグラディウスを見て、これ以上話を引き出そうとするのはやめにした。
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